創造的深化

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新しい共同体の在り方

2015-11-26 14:57:19 | 共同幻想
新しい共同体の在り方
 マルクスは「意識とは意識された存在に他ならない」といっています。つまり、存在が意識を規定するとも言い換えられます。意識された存在だけが意識を決めているんだという意味でもあり、その存在が意識を生み出しうる源泉だともいえます。存在とは人間にとっていえば、社会環境や生活環境、自然環境といった個人の周りのすべての状況をさしています。
 これに対して吉本隆明は「人間の具体的な社会生活過程そのものが、人間が生み出す幻想そのものを規定する。」という言い方をしています。吉本はマルクスの影響が大きいため、言い方を自分なりに言い換えてはいても内容は同じだといえます.存在=社会過程であり、意識=幻想と言い換えられているだけです。ただ、吉本はさらに進めて、「人の心が動かし演ずるところのものと人間の具体的生活過程とは関係がない、またある場合には全く逆に出てくることもある。」と書いている。これは、幻想=観念という意識が生み出す世界のことで、マルクスとの両者をまとめれば、意識は存在とは遊離して独り歩きし、それが観念の世界の領域を拡大する。存在といわれる環境全体そのものを逆に規定したり、生活実態とは無関係な想像の世界を構成することも可能であるとなる。
 例えば、共同体の巧みに支配を利用して、政府は理念としての、国民が共有しているはずの規範を、自分が考えている世界に変えてしまう、新たな規範を生み出すこともできる。観念の世界が現実を規定してしまう端的な例である。
 「具体的・現実的社会そのものが国家を規定するというのがひとつの一端だとすれば、もう一方の一端は、そういうことは全然関係なく、人間は人間の心の集まりで生み出せるものだという両端があります。その両端の間に挟まっている幅や構造を捉えなければ、ほんとうは分かったとはいえない。」といっています。
 思想では、このテーマの両端の間の構造を考えて捉えることが重要であるということになります。心の集合が生み出す共同性の構造と、国家と個人との関係から国家に疎外されてしまい、また逆に国家の共同性を規定する社会構造の特性の構造を捉えることが重要だということです。それは個々の社会の歴史や地域性で違いがありますから、その差異を見極めることと、その上でその共同体に合う共同性を勝ち取り共有していくことが求められる。

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