創造的深化

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産業構造の変化と出生率の低下の因果関係

2015-07-30 15:26:38 | 産業
出生率空間論と都市集中
 一見関連性が見えにくいタイトル。しかし、出生率の低下は何を意味しているかの原因はつかめるはずだ。たとえず1970年代の日本の生産量の変化が、大きなバロメーターを示していた。このことに気づいた人間は多くはなかったはずだ。
 つまり資本主義が国内では大きな転換点を迎えたことは、ぬやすとなる鉄の生産量がこの時期からずっと横ばいを続けていたからだ。大量生産、大量消費は国内産業が日米安保条約の保護の下で拡大を続け、やがて市場の限界に届いたことを意味していた。つまりは手を変え品を変えて生産し続けたとしても、生産と消費の均衡は極限を迎え、これ以上企業が生産拡大をしても、在庫が増えるだけだという限界点でもあった。まさにこれが、資本主がの限界すなわち第二次産業隆盛の時代が終焉を迎えることを読み取るべきであった。国内市場が飽和状態を迎えるとしたら、史上を国外へと転換していかなければ企業の拡大、あるいは存続はできない。同様に1973年には中小企業、非製造業の資本利潤が9.3%とピークを迎えていた。とくに中小企業は国内市場に基盤を置いている。ここが横ばいになるということは、国内産業のMAXであり、拡大戦略そのものの終焉といえる。 同じくして、1974年には合計特殊出生率は総人口を維持できる2.1人を下回り始めていた。人口が増加し始めたのは資本主義社会が生産性を高め、機械による大量生産を可能にし、労働力を次第に必要としていたことに起因している。労働者の集中は都市を生み、今まで以上に生産が可能となり、多くの人間が収入を確保でき、暮らしが安定すれば出生率も飛躍的に拡大する。その出生率がピークを迎えて、下降し始めたということは、産業の変化に対応しているものであった。
 第二次産業のピークは終焉し、産業の都市化と人口の集中も産業構造が変化し、すでに第三次産業へと転換している。同時に第三次産業は生産性の拡大を生み出し続ける産業ではない。当然、人口の増大を可能にする起爆剤となる産業というよりは、資本主義の高次化が成熟期を迎えてしまったと言い換えることもできる。出生率の低下は、こうした産業の転換が要因となるものであり、出産奨励金や子育て費用の支援や、保育料の無償化などの手当だけで回復できるような原動力にはけっしてならない。


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