池袋のジュンク堂で水村美苗さんの『日本語が亡びるとき──英語の世紀の中で』(筑摩書房/2008.10.31)買って来て、急いで読んだ。と言っても、買ったのは火曜日だから、4日ほどかかって読み終えたことになる。梅田望夫さんが自分のブログで2度ほどすべての人に読むようにアピールした気持ちはよく分かる。読まずにいろいろ言うより、まず読んでみることを私もお薦めする。おそらく、水村さんも遠からず日本語は亡びると思っているのだと、私には思われた。
ところで、水村さんの問題意識は、一つは、日本の近代文学とは何だったのかということである。そして、もう一つは、インターネットの時代に入り、英語が<普遍語>として登場した現在、日本語はどうなるのかということだ。私は、前者についての水村さんの分析は正しいと思う。私には、何故、川端康成や大江健三郎がノーベル賞を取ったのかよく分からなかったが、水村さんの分析で少し分かったような気がした。しかし、後者についての水村さんの提言には、多少注文がある。運命の予測という点について言えば、あまり違っていないとしても。
さて、国語ということを考えるときに、「書き言葉」と「話し言葉」とは本来は全く別の発達の仕方をしたということを押さえておかなければならない。「書き言葉」は、単に「話し言葉」を書き写したものではないのだ。「書き言葉」は、むしろ「話し言葉」では通用しないからこそ、生まれたものだ。そして、「国語」とは、常に「書き言葉」の問題なのだ。「国語」というのは、言うまでもなく近代国家の誕生とともに、国民の言葉の問題として発生した。英語やフランス語、ドイツ語と同じように、極東の国でも、日本語が国語として生まれた。これが水村さんの国語に対する基本的な考え方であり、私もその通りだと思っている。
日本の場合は、不思議なことに、国語の政策者たちの思いとは別に、漢字仮名交じり文として国語が誕生した。この漢字仮名交じり文は、一方では英語やフランス語、ドイツ語の翻訳を通して、普遍的な真理を表現する言葉として練り上げられるとともに、言文一致体として日本の和文の伝統を引き継いだ書き言葉として洗練させられていった。こうして、極東に誕生した国語としての日本語は、英語やフランス語、ドイツ語と同じように、<文学の言葉>と<学問の言葉>を二つながら内包することが可能となったわけだ。
<国語の祝祭>の時代とは<文学の言葉>と<学問の言葉>が同じように<自分たちの言葉>でなされる時代だというだけではない。<国語の祝祭>の時代とは<文学の言葉>が<学問の言葉>を超越する時代である。非西洋国の日本においては、まさに、非西洋語で学問することからくる二重苦ゆえに、<文学の言葉>が<学問の言葉>を超越する必然が、西洋とは比較にならない強さで存在した。<国語の祝祭>の時代は、より大いなるものとならざるをえなかった。日本においては<文学の言葉>こそ、美的な重荷のみならず、知的な重荷をも負う言葉として、はるかに強い輝きを放った<国語>たる運命にあったのだった。(同上・p203)
このすぐ後に、「そして、その強い輝きを放った<国語>は、小説から生まれ、小説を産んだ」と書かれているところを見ると、水村さんは、英語やフランス語、ドイツ語と比べるといかに日本語の特殊性として、日本の文学を、特に日本の近代小説を高く買っていることが伺える。つまり、日本語の場合は、常に、文学が主であり、学問としての言葉としてはあまり活躍していないと言っているわけだ。多分、水村さんによれば、日本語は、学問の言葉としては、常に翻訳語としてしか機能していないということになるらしい。しかし、私は、思考する言葉としての日本語は、翻訳を通してこそ鍛えられてきたのだと思う。たとえば、日本語は翻訳を通して語彙の体系を拡張してきたのだ。
くり返すが、この世には二つの種類の<真理>がある。別の言葉に置き換えられる<真理>と、別の言葉には置き換えられない<真理>である。別の言葉に置き換えられる<真理>は、教科書に置き換えられる<真理>であり、そのような<真理>は<テキストブック>でこと足りる。ところが、もう一つの<真理>は、別の言葉に置き換えることができない。それは、<真理>がその<真理>を記す言葉そのものに依存しているからである。その<真理>に到達するには、いつも、そこへと戻って読み返さねばならない<テキスト>がある。(同上・p251)
これは、要するに日本語の文章というのは、科学的な真理を表す限りは翻訳可能だが、文学的な価値を知るためには翻訳は不可能で日本語の表現自体を味わうほかないということを言っているわけだ。このことは、特別に日本語の特色ではない。どこの国の言葉もそうした運命をになっている。そして、母語として身につけていない限り、どの国の言葉も本当の意味では理解できないことも確かである。たとえば、短歌や俳句の音数律がその短歌や俳句に与えている微妙なニュアンスは、日本語を母語としていない限り、おそらくは分からないに違いない。さて、水村さんは、こうした論理展開の当然の帰結として、「問題はこの先いったい何語でこの<テキスト>が読み書きされるようになるかである」と考える。今は、インターネットの時代であり、「英語の世紀」である。
<学問の言葉>が英語という<普遍語>に一般化されつつある事実は、すでに多くの人が指摘していることである。たが、その事実が、英語以外の<国語>に与えうる影響に関してはまだ誰も真剣には考えていない。<学問の言葉>が<普遍語>になるとは、優れた学者であればあるほど、自分の<国語>で<テキスト>たりうるものを書こうとはしなくなるのを意味するが、そのような動きは、<学問>の世界にとどまりうるものではないのである。<学問>の世界とそうではない世界との境界線など、はっきりと引けるものではないからである。英語という<普遍語>の出現は、ジャーナリストであろうと、ブロガーであろうと、ものを書こうという人が、<叡智を求める人>であればあるほど、<国語>で<テキスト>を書かなくなっていくのを究極的には意味する。>(同上・p252・253)
そして、水村さんは、もし夏目漱石が今生まれたとしたら、彼は国語で文学を書かないだろうという。もし、そうなら、もう結論は出ていることになる。それなのに、彼女は、「日本語が『亡びる』運命を避けるために何をすべきか」と問う。そして、英語教育と日本語教育の在り方を提言している。おそらく、漱石なら放っておいたほうがいいと言うに違いない。個人的な意見を言うなら、日本語は亡びてほしくはない。しかし、言語というのは、人間が話したり書いたりするものであるだけでなく、人間が考える時にも使われるものである以上、人間が変われば変わりうるものであるとしか言い様がない。
ただ、私は、思考というものは、母語でするものだと思っている。だから、母語を学問をするに耐えうる言葉に鍛えることこそが大事だと思う。今年、ノーベル化学賞を受賞した日本の科学者たちは、英語で論文を書いたかもしれないが、日本語で思考したと思われるのだ。また、確かに国語というが、まさしく国語を作ってきたのは、国の政策ではなく、日本の近代文学だったということを水村さんは述べていた。とするなら、私たちは、日本語をもっと鍛えていくしかないのであり、そういう意味で、英語を読む能力を鍛えると同時に日本語を大事にしていこうと言うことはとても理解できる。そして、さらに言うなら、母語を思考に耐えうる言葉に鍛えるためには、書き言葉を鍛えなければならないということになる。思考というのは、おそらく、表現することを通してしか鍛えられないと思われる。
私が水村さんに違和を感じるのは、ここのところだ。それは、ある意味では、七章全体の問題だと思われる。なぜなら、それまでに書いてあることから考えると、七章で展開されていることなど、ほとんど無意味に思われるからだ。そこまで読んできた私たちとしては、後は、時代の必然に任せるほかないという結論にならざるを得ないのだ。にもかかわらず、何故、七章を必要としたかと言うことかもしれない。しかし、七章のようなことを論ずるならば、その前にやらなければならないことがあるような気がする。それは、一つは、英語とは何であり、<普遍語>となった英語は今までの英語と同じなのかどうかということである。もう一つは、英語が<普遍語>になったとき、各国の国語はどのように変わっていくのかということだ。さらに、もっとも非西洋語になる日本語の特質とは何であり、それは<普遍語>に対してどんな役割を果たすようになるかということでもある。
言語というのは、ある一定程度の人々が使っている限り、簡単には亡びないことは、ユダヤ人たちが証明してみせた。その上、過去の<普遍語>がいずれ<普遍語>の位置を別の言語に譲ったように、英語も未来永劫<普遍語>という位置にいるという保証など少しもない。私は、七章以降でこうしたことを展開してほしかった。それがない限り、日本語は、ただ物珍しい言葉であるが故に、保存されるべき言語ということになるだけだ。私たちにとって、日本語とは、本当は何であるのかということを、やはりもう一度根本的に考えてみるべきだと思われる。<書き言葉>は、<話し言葉>をただ写し取っただけのものではないという指摘や、学問的な真理と文学的な真理は違うという指摘などは鋭いものであり、私たちは、言語の本質をもう一度考えながら、もっと遠くまで考えてみるべきだと思う。