今日は芝居のワークショップ日。
先月、熱い芝居を堪能させてもらった役者さんら、月イチで会っている芝居仲間と、久々の手合わせの機会だ。
俺は役者ではないので、演技を直接ぶつけ合うわけではないが、映画の話をたっぷりして、朗読に耳をそばだてて、短い掛け合いの芝居を全力でブラッシュアップする、 たった数時間の、けれど充実した時間を過ごした。
彼らとは、毎日顔を突き合わせるわけではない。友達でもない。時に意見をぶつかり合わせることもある、互いの心にしなやかな緊張の糸を張っている間柄だと、俺は思っている。だから、このワークショップがいつなくなるとも知れない。それが明日でも、不思議はないと思う。
しかし、いつかはなくなるだろう場だからこそ、一回一回の機会を大事にしたい。確かな足取りを、それぞれに刻んでいきたい。欲張りな願いではあるが、そう思っている。芝居が、残せない芸術だからこそ尚更。
いい時間だった。
先月、熱い芝居を堪能させてもらった役者さんら、月イチで会っている芝居仲間と、久々の手合わせの機会だ。
俺は役者ではないので、演技を直接ぶつけ合うわけではないが、映画の話をたっぷりして、朗読に耳をそばだてて、短い掛け合いの芝居を全力でブラッシュアップする、 たった数時間の、けれど充実した時間を過ごした。
彼らとは、毎日顔を突き合わせるわけではない。友達でもない。時に意見をぶつかり合わせることもある、互いの心にしなやかな緊張の糸を張っている間柄だと、俺は思っている。だから、このワークショップがいつなくなるとも知れない。それが明日でも、不思議はないと思う。
しかし、いつかはなくなるだろう場だからこそ、一回一回の機会を大事にしたい。確かな足取りを、それぞれに刻んでいきたい。欲張りな願いではあるが、そう思っている。芝居が、残せない芸術だからこそ尚更。
いい時間だった。