人と対面して「ま。だいたいこれくらいか」と直感で値踏みするのは人間の性か?原人から進化した人の業?何はともあれ人間には持って生まれた、はたまた、環境・努力などの後天的なもので人間の格が形成される。私がまざまざと感じたのは山岳修験者と交流を持った時だ。明らかに何かが違う。何か見えない物に守られてるような?後で知ったことだが護法善神が憑いてるらしい。護法善神とは正法を護る神様の事。お寺・神社・宗教にはいてるらしい。・・・らしい。・・・らしい。で見えないからしかたない。「法は人を俟って広まり、人は法に依り昇る」と弘法大師は言われたとか。信仰あるいはそれに類することをしてパワーアップ出来るらしい。しかし私が見るにその個人の先祖家系で立派に供養されてるとか、何代連綿と家系が継続してる。あるいは数代前の先祖が信仰深かったなど縦の繋がりがキチンとされていないとご守護もイマイチの様に思える。根の無い木は栄えないのである。方位採り・祐気法はいわばカンフル剤で、前記した先祖祭り・信仰(これもいいのと悪いのがあり難しい)はとても大切である。さらに言えば本人の孝養・道徳心・気迫の有無が開運の奥義と言って過言ではない。
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四柱推命で性格判断を重視するのは、欠点を知り、それを改善することが開運の早道と昔の聖賢も考えたからではないだろうか。
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もう一度言う。カンフル剤では永続的な開運は絶対ありえない。五術で仙(山)があるのはこのためであろう。