今日は朝から雨模様ですが、私は昨日墓参に出掛けたんで、今日は自宅でお仏壇と御本尊様に向かい先祖供養をするつもりです。昨日墓参して感じたのは世代交代ですね。新しく建墓されたものも多いですが、40年前に在ったお墓が所々墓じまいされていました。父が今の墓地にお墓を移転させたのが1979年でしたから、最近の変わり様の速さに驚いています。自分の考えの中ではお墓は滅多に動かないもの、固定し半永久的なものとの先入観がありましたから。日本の少子化が取り沙汰されていますが、家を継ぐ、継続させると云う概念が忘れられようとしていますね。私自身、子供は女の子3人でお墓の存続に関しては頭を悩ましています。家系の勢いには法則性があり、大抵勢いが無くなる時は女系になり、子供が出来ないになります。私で分家四代目ですが何とか存続させたいものです。宗教で法脈を受け継ぐのを血脈相承と云いますが、血肉を分けた先祖こそ正味の血脈相承です。先祖代々の陰徳・DNAが自身に流れ込んでいるわけですから。また亡くなった先祖の智恵証覚の度合いで、霊導によって運命が左右されます。亡者の智恵証覚を開かすため供養する目的もあります。
自分が名乗っている姓の先祖を専らご先祖と称してお祀りするのが普通かな?所謂直系先祖と定義されているご先祖です。徳風会系は直系を内氏神としてお墓や仏壇には直系先祖しか祀りません。
傍系先祖、即ち母方や祖母、妻のご先祖は寺院で外祀りする形式です。対して大本教や生長の家、霊友会系は直系と傍系を自宅での祭祀では合祀していますね。さすがにお墓での合祀はしていないようです。直系と傍系の合祀については高度な霊能力者の意見も様々でして、直系を主体にしないと霊系が乱れるから行わない方が良いとする霊能の先生方も多いです。
私はお墓に関して云えば、遺骨の合祀はしていませんが、五輪塔を建墓して直系と傍系の両方を合祀しています。→五輪塔の下は霊名を記載した紙や写経、鏡しかありません。自宅での祭祀は直系先祖の仏壇と妙法曼荼羅と日蓮像を祀っている祭壇に直系と傍系を合祀してお祀りしています。
それが良いとかではなく、傍系のご先祖がそうするように働きかけての結果だと今は思っています。傍系先祖も絶家とかになっていると、供養の要求も凄いように私は感じます。私の父方の祖母のご先祖は戦時中に絶家になったんですが、戦後の混乱期を経ても我が家では何一つお祀りしていませんでした。
自分が突然、鬱傾向になったのがきっかけですね。これは間違いなく傍系先祖が原因だと直感しました。それから色々と紆余曲折ありでしたが、前記した祭祀形態になりました。私の個人的な結論として云うと、直系ばかりを祭祀しても、傍系先祖の供養が足りない場合、その先祖供養は不完全で何等かの供養要求や家系に障りが出て来ると思います。スピリチュアルで先祖供養は天国に行けばお仕舞いみたいに書いていますが、霊界に旅立った故人の霊格を上げることで、現世にいる子孫である私達も運気を高めることが出来ますから、お互いWin-Winの関係なんですね。
五輪塔の下に直系先祖の遺骨が無いから、傍系と合祀出来るわけです。直系先祖は同じ寺内墓地なんですが、以前父が建墓したところに納骨しています。つまり、両墓制みたいな形態の墓制です。
はからずも埋墓が父が建墓したところで、私が建墓したところが詣墓になっています。→と云っても両方お祀りしていますけどね。ただこれからは詣墓のところに母親が亡くなれば両親のお墓を建てるわけですが、同じ詣墓の下に納骨するつもりなので両墓制ではなくなりますね。
両墓制の考えは大切で遺骨に荒魂が宿り、和魂は詣墓に宿ると云う考えです。幸魂と奇魂は天界に昇ります。仏壇に祀られている霊璽や位牌には和魂が宿ると考えられています。
荒魂は障りをなすものとされ畏怖されていますが、埋墓の場合は穢れを斥ける意味で詣墓を建てる風習が出来た様です。
話しは全然違いますが、徳川家康は自分の死後、その祭祀方法を亡くなる前に采配しています。おそらく久能山には家康の遺骨がそのままで、改葬云々で日光に祀られたのは和魂→つまり魂の世界での呪術かと思います。神社で云えば、大国主命の和魂は奈良の大神神社に、荒魂は出雲大社に祀られている形態かと。日本にある神社は荒魂と和魂の二つに別けて祭祀する方法がよく見かけられますね。日本の高度な宗教宗派は両部信仰なんですよ。家康は晩年、個人としては天台宗に帰依したんですが、天台は山王一実神道と云う神道も天台教義に含まれています。→真言宗も両部神道がありますが、やはり神道を教義の中に含んでいます。
傍系先祖、即ち母方や祖母、妻のご先祖は寺院で外祀りする形式です。対して大本教や生長の家、霊友会系は直系と傍系を自宅での祭祀では合祀していますね。さすがにお墓での合祀はしていないようです。直系と傍系の合祀については高度な霊能力者の意見も様々でして、直系を主体にしないと霊系が乱れるから行わない方が良いとする霊能の先生方も多いです。
私はお墓に関して云えば、遺骨の合祀はしていませんが、五輪塔を建墓して直系と傍系の両方を合祀しています。→五輪塔の下は霊名を記載した紙や写経、鏡しかありません。自宅での祭祀は直系先祖の仏壇と妙法曼荼羅と日蓮像を祀っている祭壇に直系と傍系を合祀してお祀りしています。
それが良いとかではなく、傍系のご先祖がそうするように働きかけての結果だと今は思っています。傍系先祖も絶家とかになっていると、供養の要求も凄いように私は感じます。私の父方の祖母のご先祖は戦時中に絶家になったんですが、戦後の混乱期を経ても我が家では何一つお祀りしていませんでした。
自分が突然、鬱傾向になったのがきっかけですね。これは間違いなく傍系先祖が原因だと直感しました。それから色々と紆余曲折ありでしたが、前記した祭祀形態になりました。私の個人的な結論として云うと、直系ばかりを祭祀しても、傍系先祖の供養が足りない場合、その先祖供養は不完全で何等かの供養要求や家系に障りが出て来ると思います。スピリチュアルで先祖供養は天国に行けばお仕舞いみたいに書いていますが、霊界に旅立った故人の霊格を上げることで、現世にいる子孫である私達も運気を高めることが出来ますから、お互いWin-Winの関係なんですね。
五輪塔の下に直系先祖の遺骨が無いから、傍系と合祀出来るわけです。直系先祖は同じ寺内墓地なんですが、以前父が建墓したところに納骨しています。つまり、両墓制みたいな形態の墓制です。
はからずも埋墓が父が建墓したところで、私が建墓したところが詣墓になっています。→と云っても両方お祀りしていますけどね。ただこれからは詣墓のところに母親が亡くなれば両親のお墓を建てるわけですが、同じ詣墓の下に納骨するつもりなので両墓制ではなくなりますね。
両墓制の考えは大切で遺骨に荒魂が宿り、和魂は詣墓に宿ると云う考えです。幸魂と奇魂は天界に昇ります。仏壇に祀られている霊璽や位牌には和魂が宿ると考えられています。
荒魂は障りをなすものとされ畏怖されていますが、埋墓の場合は穢れを斥ける意味で詣墓を建てる風習が出来た様です。
話しは全然違いますが、徳川家康は自分の死後、その祭祀方法を亡くなる前に采配しています。おそらく久能山には家康の遺骨がそのままで、改葬云々で日光に祀られたのは和魂→つまり魂の世界での呪術かと思います。神社で云えば、大国主命の和魂は奈良の大神神社に、荒魂は出雲大社に祀られている形態かと。日本にある神社は荒魂と和魂の二つに別けて祭祀する方法がよく見かけられますね。日本の高度な宗教宗派は両部信仰なんですよ。家康は晩年、個人としては天台宗に帰依したんですが、天台は山王一実神道と云う神道も天台教義に含まれています。→真言宗も両部神道がありますが、やはり神道を教義の中に含んでいます。
戦後、何故新興宗教がこれほど教線が伸びたか?ですが、私見を挙げてみます。
1・生活様式や宗教観念が大都市圏に住む住人を中心に変化したからでしょう。
戦前の家長を中心とする大家族制から小家族→核家族に移行したことです。特に郷里を離れ、都市部に移住した人らは従来の檀家制度や親類からの宗教規制に縛られることなく、自由に自分が信じる宗教に移行することが出来ました。
2・手軽に入会出来て、入会時にお金が掛からなかったこと。
高度成長期でも富めるもの、富めないもの二極に分かれていて、まだ富めないものも多くいました。そんな中で新興宗教は入会しやすかったんですね。
3・新興宗教の教義内容の斬新さ。創価学会なんかはその典型です。日蓮正宗のみ本当の日蓮聖人の正当な教えの教団であり、他の宗教は邪宗だと広言していました。そして、日蓮正宗の教えを広めることが善の善なるものと信者に教えていました。
言うなれば、これは革命理論なんですね。当時、マルクス共産主義も流行り、世直し気分も蔓延した中、宗教に無知な人は洗脳されたわけです。
それは兎も角、他の宗教では霊友会、生長の家など嫁ぎ先の先祖以外に自分の実家の先祖も祀ることが出来る斬新さに驚いたことでしょう。先祖供養でもその家の傍系にあたる先祖供養は殆どなされていなかったのが現実です。これは大東亜戦争で300万~320万人の戦没者を出した日本に於いて、直系重視→傍系も含めた先祖供養の必要性を感じる人が多かったと思います。
今日でも、法華系新興宗教で霊友会系宗教団体信者の合計は優に日蓮正宗系新興宗教信者の数を上回ります。正宗系革命理論より先祖供養を重視した人が多くいた結果だと考えます。
霊友会系の新興宗教は従来の直系先祖供養→直系、傍系先祖供養で供養方法に革命を起こしたわけです。この傍系も含めた先祖供養は神道系新興宗教の大本教から端を発していると思います。
この傍系供養を含めた先祖供養は信者にも様々な功徳があったようです。
やはり戦争の傷痕は霊的な影響からも大きかったんですね。
それと、新興宗教は基本「情」があります。檀家寺の殆どの坊さんのように「ごっさんです」とか、上から目線での対応、年貢奉仕ではありません。
アタリが柔らかく、所属の欲求を充たしてくれるんですね。
神道系の宗教は、全知全能の神→先祖→自分 と云う構図です。だから先祖供養を大切にしないと神の御神徳も薄いですよと云う考えです。
一方、仏教やキリスト教は、全知全能の神→自分 で先祖を間に挟みません。神道系は人は神の子孫であると考えますから、全知全能の神とは本質に於いて同じと考えます。
仏教では釈尊が法華を説いて、シャーリプトラが歓喜雀躍しましたが、神道の教えでは当たり前なんですね。それくらい、仏教と神道は考え方が違います。
霊学から教義が成立しているか、人間の欲の克服から悟りを説いているかの違いです。
神道は霊学と実践教義が一体なので、仏教みたいに理屈は少ないんですね。
神道は大神を祖とする祖先祭祀と鎮魂帰神法から成立しています。基本、実践の教義なんですね。神道を根幹に置き、仏教を枝葉として許容するのが本来正しい仏教の捉え方かと思います。
神道家に田中治吾平師がいます。師は神道を学び、仏教に学び、最終的に神道に移ります。
神道の秘奥の一端を知ると、仏教は理屈理論が先行して神道に比べてもの足りないんですね。
また、霊学は基より、国体の考えが甚だ神道と比べて劣るため、国家の大事にそのままでは使えません。ですので日本仏教は各宗派とも神道の影響を受けています。まあ、当然の経緯かと思います。
1・生活様式や宗教観念が大都市圏に住む住人を中心に変化したからでしょう。
戦前の家長を中心とする大家族制から小家族→核家族に移行したことです。特に郷里を離れ、都市部に移住した人らは従来の檀家制度や親類からの宗教規制に縛られることなく、自由に自分が信じる宗教に移行することが出来ました。
2・手軽に入会出来て、入会時にお金が掛からなかったこと。
高度成長期でも富めるもの、富めないもの二極に分かれていて、まだ富めないものも多くいました。そんな中で新興宗教は入会しやすかったんですね。
3・新興宗教の教義内容の斬新さ。創価学会なんかはその典型です。日蓮正宗のみ本当の日蓮聖人の正当な教えの教団であり、他の宗教は邪宗だと広言していました。そして、日蓮正宗の教えを広めることが善の善なるものと信者に教えていました。
言うなれば、これは革命理論なんですね。当時、マルクス共産主義も流行り、世直し気分も蔓延した中、宗教に無知な人は洗脳されたわけです。
それは兎も角、他の宗教では霊友会、生長の家など嫁ぎ先の先祖以外に自分の実家の先祖も祀ることが出来る斬新さに驚いたことでしょう。先祖供養でもその家の傍系にあたる先祖供養は殆どなされていなかったのが現実です。これは大東亜戦争で300万~320万人の戦没者を出した日本に於いて、直系重視→傍系も含めた先祖供養の必要性を感じる人が多かったと思います。
今日でも、法華系新興宗教で霊友会系宗教団体信者の合計は優に日蓮正宗系新興宗教信者の数を上回ります。正宗系革命理論より先祖供養を重視した人が多くいた結果だと考えます。
霊友会系の新興宗教は従来の直系先祖供養→直系、傍系先祖供養で供養方法に革命を起こしたわけです。この傍系も含めた先祖供養は神道系新興宗教の大本教から端を発していると思います。
この傍系供養を含めた先祖供養は信者にも様々な功徳があったようです。
やはり戦争の傷痕は霊的な影響からも大きかったんですね。
それと、新興宗教は基本「情」があります。檀家寺の殆どの坊さんのように「ごっさんです」とか、上から目線での対応、年貢奉仕ではありません。
アタリが柔らかく、所属の欲求を充たしてくれるんですね。
神道系の宗教は、全知全能の神→先祖→自分 と云う構図です。だから先祖供養を大切にしないと神の御神徳も薄いですよと云う考えです。
一方、仏教やキリスト教は、全知全能の神→自分 で先祖を間に挟みません。神道系は人は神の子孫であると考えますから、全知全能の神とは本質に於いて同じと考えます。
仏教では釈尊が法華を説いて、シャーリプトラが歓喜雀躍しましたが、神道の教えでは当たり前なんですね。それくらい、仏教と神道は考え方が違います。
霊学から教義が成立しているか、人間の欲の克服から悟りを説いているかの違いです。
神道は霊学と実践教義が一体なので、仏教みたいに理屈は少ないんですね。
神道は大神を祖とする祖先祭祀と鎮魂帰神法から成立しています。基本、実践の教義なんですね。神道を根幹に置き、仏教を枝葉として許容するのが本来正しい仏教の捉え方かと思います。
神道家に田中治吾平師がいます。師は神道を学び、仏教に学び、最終的に神道に移ります。
神道の秘奥の一端を知ると、仏教は理屈理論が先行して神道に比べてもの足りないんですね。
また、霊学は基より、国体の考えが甚だ神道と比べて劣るため、国家の大事にそのままでは使えません。ですので日本仏教は各宗派とも神道の影響を受けています。まあ、当然の経緯かと思います。
父親の23回忌が今月19日でした。私も先祖供養云々と偉そうなことを云ってるんですが、実は大きな勘違いをしていまして来年とばかり思っていました。16日バイクで近隣まで行ってたんですが、帰って来てバイクから降りた途端に腰に異変を感じました。正しく9年前と同じ腰の痛みです。「やってしまった」・・・とあの時の悪夢のような2日間を思い出しました。「まあ、姿勢を良くして、2日も経てば治るだろうと」と安易に考えていたんですが。・・・18日の時帰宅すると母親からTELがありました。「急須の蓋が綺麗に、何もせえへんのに割れてなあ。もう直ぐお父さんの祥月命日やろ。23回忌は今年と違うって言うてたけど、もう一回調べて見て。今年と違うんか?」。もう一つ気になることがありました。長女の初夢はお祖父ちゃんだったんです。私の名前を頻りに呼んでいたようで、片肘を枕代わりにゴロンと横になってテレビを見ていたそうです。吃驚しました。父親がテレビを見る時、よく見かけた光景でしたんで。そんなこともあったので直ぐに調べました。母親の言うとおり23回忌でした。母親には21日に四天王寺さんに行こうと連絡を入れました。
腰は良くなるどころか19日には椅子に長時間座っていて立とうとすると、激痛が走り腰を屈めたまま暫くじっとしていないと歩き出せません。おまけにその歩く様はペンギンみたいな歩き方です(笑)。ホント、情けなかったです。その日医事課に連絡して、腰部のレントゲンと採血のオーダーを取ってもらいましたが、「ペインは金曜日なんです」と事務員さん。「おいおい、直ぐにしてくれよ」と思いましたが、仕方ありません。明日に期待を込めて定時に職場を出ました。翌日レントゲン写真を見せてもらいましたが、腰椎が弯曲しているのには驚きました。診断名は腰椎すべり症。「まあ、典型的な症状ですね」「どうします?ペインは?」と先生。「勿論して下さい。どうにもなりません」と私。その日は時間の合間を掻い潜る様に仕事を処理して、神経ブロックを受ける時間を都合しました。いやあ、焦りました。時間通り、何とか到着。着替えをして下さいと看護師さん。何か仰々しいなあと思ったら、それなりに大変な処置なんですね。造影で患部を探りながら、カテラン針を突き刺すんですからね。これがまた痛いんですけど。
4か所刺されましたね。キシロカインとステロイド剤入りの注射をされるんですよ。部位によって、液を注入していて痛い時と染み透る感触の時がありましたね。指にはパルスオキシメーター、腕には自動血圧計が装着されていました。処置が終わるとストレッチャーで病室まで運ばれました。ここで50分の安静と時間ごとのバイタルサインチェックを受けるんです。ストレッチャーには吃驚しましたね。2005年のヘルニアのオペ以来ですから。「明日はかなり楽になると思います」と先生。私の場合、4時間くらい経ってから劇的に効いてきましたね。実はこの日、新年会だったんです。飲酒は禁でしたが、断酒を続けている自分としては気の緩みもあってシャンパンを飲んじゃいました。「ジュースやなこれは」と、3杯程ガバガバ飲んじゃいました。するとどうでしょう、腰が痛くないんですね。「明日からって言ってたけど酒で効きが早まったのかな?」と思いました。勢いで二次会にも参加して、そこでも飲んじゃいました。「腰が痛くない!こんなに長時間座っているのに」。ホント、嬉しかったですね。
今日21日、家族連れで四天王寺に行って来ました。長女は法要の順番を待っている間、お坊さんらが行う儀式を興味深そうに見ていました。「何か分からんけど癒されるね」と長女。私達の番が来たので内陣に入りました。拝んで貰っている間、背中がポカポカしました。「亡き父親も喜んでいるんだろうな」と直感しました。21日は初弘法も重なって、四天王寺は大変賑わっていました。母親の実家は真言宗なので「やっぱりお大師さんは凄いなあ」と感動していました。法要の前にお大師さんを拝んで、父親の成仏を祈願しました。法要後は元三大師堂に行き慈恵大師に礼拝し、四天王寺を後にしました。母親の家に戻り仏壇に手を合わせました。命日から数日遅れたことへのお詫びと日頃の守護への感謝です。読経後、子供達を呼んで手を合わせる様に言いました。礼拝時、蝋燭の炎が丸くなったり、円を描く様な運動をします。亡父もあの世で喜んでいるのかなと思いました。
腰は良くなるどころか19日には椅子に長時間座っていて立とうとすると、激痛が走り腰を屈めたまま暫くじっとしていないと歩き出せません。おまけにその歩く様はペンギンみたいな歩き方です(笑)。ホント、情けなかったです。その日医事課に連絡して、腰部のレントゲンと採血のオーダーを取ってもらいましたが、「ペインは金曜日なんです」と事務員さん。「おいおい、直ぐにしてくれよ」と思いましたが、仕方ありません。明日に期待を込めて定時に職場を出ました。翌日レントゲン写真を見せてもらいましたが、腰椎が弯曲しているのには驚きました。診断名は腰椎すべり症。「まあ、典型的な症状ですね」「どうします?ペインは?」と先生。「勿論して下さい。どうにもなりません」と私。その日は時間の合間を掻い潜る様に仕事を処理して、神経ブロックを受ける時間を都合しました。いやあ、焦りました。時間通り、何とか到着。着替えをして下さいと看護師さん。何か仰々しいなあと思ったら、それなりに大変な処置なんですね。造影で患部を探りながら、カテラン針を突き刺すんですからね。これがまた痛いんですけど。
4か所刺されましたね。キシロカインとステロイド剤入りの注射をされるんですよ。部位によって、液を注入していて痛い時と染み透る感触の時がありましたね。指にはパルスオキシメーター、腕には自動血圧計が装着されていました。処置が終わるとストレッチャーで病室まで運ばれました。ここで50分の安静と時間ごとのバイタルサインチェックを受けるんです。ストレッチャーには吃驚しましたね。2005年のヘルニアのオペ以来ですから。「明日はかなり楽になると思います」と先生。私の場合、4時間くらい経ってから劇的に効いてきましたね。実はこの日、新年会だったんです。飲酒は禁でしたが、断酒を続けている自分としては気の緩みもあってシャンパンを飲んじゃいました。「ジュースやなこれは」と、3杯程ガバガバ飲んじゃいました。するとどうでしょう、腰が痛くないんですね。「明日からって言ってたけど酒で効きが早まったのかな?」と思いました。勢いで二次会にも参加して、そこでも飲んじゃいました。「腰が痛くない!こんなに長時間座っているのに」。ホント、嬉しかったですね。
今日21日、家族連れで四天王寺に行って来ました。長女は法要の順番を待っている間、お坊さんらが行う儀式を興味深そうに見ていました。「何か分からんけど癒されるね」と長女。私達の番が来たので内陣に入りました。拝んで貰っている間、背中がポカポカしました。「亡き父親も喜んでいるんだろうな」と直感しました。21日は初弘法も重なって、四天王寺は大変賑わっていました。母親の実家は真言宗なので「やっぱりお大師さんは凄いなあ」と感動していました。法要の前にお大師さんを拝んで、父親の成仏を祈願しました。法要後は元三大師堂に行き慈恵大師に礼拝し、四天王寺を後にしました。母親の家に戻り仏壇に手を合わせました。命日から数日遅れたことへのお詫びと日頃の守護への感謝です。読経後、子供達を呼んで手を合わせる様に言いました。礼拝時、蝋燭の炎が丸くなったり、円を描く様な運動をします。亡父もあの世で喜んでいるのかなと思いました。
宗派の改宗、これは非常に難しい部分があります。例えばお墓です。菩提寺がある場合、信仰の改宗はかなり難しいです。先祖供養で必要なのは、祭祀者の一念なのではないかと思います。先祖供養では、敢て法華経については触れませんでしたが、ハッキリ云いましょう。故人の血脈を引く祭祀者の成仏(生活態度と正法帰依つまり正しい信仰)こそが、先祖供養には重要です。祭祀者自身が生活態度はめちゃくちゃで、本人が成仏していないのに、故人が真心の供養を受け取ることはありません。
信仰における祭祀者の成仏とは何か?早い話、一念信解の位に祭祀者自身が登ればいいわけです。法華経に説く一念信解とは、絶対不滅の仏界がこの身このままで、自分自身に存在していると固く信じている位です。お念仏をしていても、自分が阿弥陀さんであると確信してお念仏をお唱えするべきです。ご真言を唱えるにしても、経典を読誦するにしても、自分が仏だと確信して仏事を務めるべきですね。これ即ち、法華開会の思想です。
専門僧侶はこの一念があるからこそ功徳がひとしおなんです(まあ、無い人も多いですが・・)。この秘訣は心得て置くべきでしょうね。日蓮宗以外はこの秘訣を知らない在家ばかりです。爾前・権教において、法華開会しない行法は下種を考慮した場合は無意味です。霊界における成仏では功徳はあります。霊界での成仏と魂魄に刻まれる薫習の成仏は違うと思います。故人が天界に行ったとしても、下種されていない魂魄は成仏と云えるかどうか。会い難き仏法に縁しているのなら、祭祀者は是非この心持で供養すべきだと思いますね。
出家者が先祖供養を念入りにしているなんて聞いたことがないでしょう。それは自分の成仏は故人の成仏だからです。「出家すれば九族忽ち天に生ず」って昔から云われています。その出家者と同等の秘訣が先に挙げた一念です。
信仰における祭祀者の成仏とは何か?早い話、一念信解の位に祭祀者自身が登ればいいわけです。法華経に説く一念信解とは、絶対不滅の仏界がこの身このままで、自分自身に存在していると固く信じている位です。お念仏をしていても、自分が阿弥陀さんであると確信してお念仏をお唱えするべきです。ご真言を唱えるにしても、経典を読誦するにしても、自分が仏だと確信して仏事を務めるべきですね。これ即ち、法華開会の思想です。
専門僧侶はこの一念があるからこそ功徳がひとしおなんです(まあ、無い人も多いですが・・)。この秘訣は心得て置くべきでしょうね。日蓮宗以外はこの秘訣を知らない在家ばかりです。爾前・権教において、法華開会しない行法は下種を考慮した場合は無意味です。霊界における成仏では功徳はあります。霊界での成仏と魂魄に刻まれる薫習の成仏は違うと思います。故人が天界に行ったとしても、下種されていない魂魄は成仏と云えるかどうか。会い難き仏法に縁しているのなら、祭祀者は是非この心持で供養すべきだと思いますね。
出家者が先祖供養を念入りにしているなんて聞いたことがないでしょう。それは自分の成仏は故人の成仏だからです。「出家すれば九族忽ち天に生ず」って昔から云われています。その出家者と同等の秘訣が先に挙げた一念です。
前回書いた続きですが、結局「生島神社」は私が生まれた近所の神社にはありませんでした。以前、私は尼崎市に住んでいたことがありました。働きながら、学生をしていたんですが、住まいしていた鎮守さんが「生島神社」だったんです。尼崎、西宮という場所は非常に多くの出雲系神社が点在しています。私は直感的に自分を守護してくれているのは、出雲系の神霊であることは分かっていたので、折に触れよく近隣の素戔嗚命を祭祀している神社へ参拝していました。ただ、自分が住んでいた「生島神社」へは参拝に行ったことがありませんでした。
調べると住んでいた元々の産土神は素戔嗚命で、生島神社に合祀されていることが分かりました。産土神社、鎮守さん、一の宮神社、伊勢神宮(あるいは熊野大社、出雲大社)という霊的ネットワークが確立されているように思います。見た夢なんですが、神仏への敬謙な祈りというのは、ホントして損は無いですね。日本という土地に住まいしている限り、神社への参拝とかはするべきなんでしょうね。病気とか、イザという時に役立つと思いました。
清荒神でのおみくじなんですが、真剣に籤を引くと良く当たるんですよ、ここのおみくじは。
自分自身の産土神社ですが、大阪天満宮がそれですね。子供の産土、鎮守さんは小山産土神社。それを総括している鎮守さんは大津神社。一の宮は枚岡神社になります。授かった子供の産土神は素戔嗚命に全員なりますね。私の父母も同じなんですが、出生地で神社と思しきものは、天満宮しかありませんしねぇ。土地神さんという観点からは、生玉さんも考えられます。大阪城大手門前には、秀吉築城前に生玉さんが祭祀されていました。それを今の場所に移したんですね。ただ産土神の観点から見ると、かなり大きいように思いますね。因みに大阪の生玉の元宮は、先に挙げた生島神社にあったとも云われています。
祭神の菅原道真公自体、出生に関して秘められた謎を背負っています。ただ云えることは、出雲系の神様、ご神格であろうということです。
調べると住んでいた元々の産土神は素戔嗚命で、生島神社に合祀されていることが分かりました。産土神社、鎮守さん、一の宮神社、伊勢神宮(あるいは熊野大社、出雲大社)という霊的ネットワークが確立されているように思います。見た夢なんですが、神仏への敬謙な祈りというのは、ホントして損は無いですね。日本という土地に住まいしている限り、神社への参拝とかはするべきなんでしょうね。病気とか、イザという時に役立つと思いました。
清荒神でのおみくじなんですが、真剣に籤を引くと良く当たるんですよ、ここのおみくじは。
自分自身の産土神社ですが、大阪天満宮がそれですね。子供の産土、鎮守さんは小山産土神社。それを総括している鎮守さんは大津神社。一の宮は枚岡神社になります。授かった子供の産土神は素戔嗚命に全員なりますね。私の父母も同じなんですが、出生地で神社と思しきものは、天満宮しかありませんしねぇ。土地神さんという観点からは、生玉さんも考えられます。大阪城大手門前には、秀吉築城前に生玉さんが祭祀されていました。それを今の場所に移したんですね。ただ産土神の観点から見ると、かなり大きいように思いますね。因みに大阪の生玉の元宮は、先に挙げた生島神社にあったとも云われています。
祭神の菅原道真公自体、出生に関して秘められた謎を背負っています。ただ云えることは、出雲系の神様、ご神格であろうということです。
今から書くことは、事実であり、先祖供養のカテゴリーの範疇ではないかもしれませんが、霊脈とか神霊には関わっているんで参考にして下さい。2005年、春にヘルニアを患って、夏に入院。すぐに手術しました。入院前に、物は試しとばかりに、一心に仏壇に向かいご先祖さんに「どうかヘルニアが治りますように」とお祈りしたことがあります。2週間程同じ様にお祈りしたんですが、仏壇を置いている部屋で寝ていると夢を見ました。それは既に十数年前亡くなった父が紫色の法衣を着て、宝冠を頭に頂き笑いながらこう言うのです「(私の名前)、そらー手術せえへんと治らへんで」と。
起床して、本当に吃驚しました。まず私は夢をカラーで見ることが殆どないからです。ですんで、凄く印象に残りました。また亡父の夢をずっと見ていなかったのに、夢枕に立ったことにも驚かされました。この時点で、仏壇で病気平癒を祈願することは止めました。大体、先祖供養に自分の祈願を持ち込んではいけないのに、馬鹿ですよね。(笑)この頃、妻が出産を控えており、私の家族全員が母宅に厄介になっていました。暫くしてまた夢を見ました。今度は自分が生まれた場所であろう近隣を自分が歩いているんです。(この時、何故かその様に確信した思いなんですね。)
暫く歩いていると、幟が立っていて、外側が青色で、白字で「生島神社」って書かれてあるんです。それと外側が赤色で、白字で「生島神社」の幟がずらっと並んでるんですね。少し歩いて行くと、こじんまりとした社が見えました。起床してからも、凄くこの夢の印象は脳裡に焼き付いていました。その後、堺の労災病院に受診しに行ったんですが、この時の担当医が「生島」先生だったんです。「はぁ?」でしたね。結局、執刀医も生島先生がやって、まあ順調に経過を迎えてるんですが、こんなこともあるんかなぁと時々思いましたね。
その後、歩いたり出来るようになり、兵庫県宝塚市にある清荒神にお詣りに出かけた。「何でこんな病気で手術せんとあかんかったんやろ。俺は十分供養もして来てるし、何も悪いことはしてへんのに」と思いながらの参拝だった。天堂への参拝を終え、今後の運試しとばかりにおみくじを引いた。その内容は「前世での罪が解消され云々」とあった。思わず茫然とした。ヘルニアで体にメスを入れる破目になったのが、「前世での罪」とは。・・・
起床して、本当に吃驚しました。まず私は夢をカラーで見ることが殆どないからです。ですんで、凄く印象に残りました。また亡父の夢をずっと見ていなかったのに、夢枕に立ったことにも驚かされました。この時点で、仏壇で病気平癒を祈願することは止めました。大体、先祖供養に自分の祈願を持ち込んではいけないのに、馬鹿ですよね。(笑)この頃、妻が出産を控えており、私の家族全員が母宅に厄介になっていました。暫くしてまた夢を見ました。今度は自分が生まれた場所であろう近隣を自分が歩いているんです。(この時、何故かその様に確信した思いなんですね。)
暫く歩いていると、幟が立っていて、外側が青色で、白字で「生島神社」って書かれてあるんです。それと外側が赤色で、白字で「生島神社」の幟がずらっと並んでるんですね。少し歩いて行くと、こじんまりとした社が見えました。起床してからも、凄くこの夢の印象は脳裡に焼き付いていました。その後、堺の労災病院に受診しに行ったんですが、この時の担当医が「生島」先生だったんです。「はぁ?」でしたね。結局、執刀医も生島先生がやって、まあ順調に経過を迎えてるんですが、こんなこともあるんかなぁと時々思いましたね。
その後、歩いたり出来るようになり、兵庫県宝塚市にある清荒神にお詣りに出かけた。「何でこんな病気で手術せんとあかんかったんやろ。俺は十分供養もして来てるし、何も悪いことはしてへんのに」と思いながらの参拝だった。天堂への参拝を終え、今後の運試しとばかりにおみくじを引いた。その内容は「前世での罪が解消され云々」とあった。思わず茫然とした。ヘルニアで体にメスを入れる破目になったのが、「前世での罪」とは。・・・
宗教に関心を持たない人も、先祖供養には意外とご執心なのには驚かされます。アプリオリに先祖供養は自分の「運」を左右するって分かっている為なんでしょうね。新興宗教で霊魂・心霊観の乏しい、教義・理屈中心の教団があるかと思えば、逆の立場を堅持する教団もある。ここではっきり云いますが、極端に偏執している教団には入会するべきではないです。また、古社・霊社の祭神を軽んじる宗教・教団も駄目ですね。日本には戦後、この様な新興宗教が多くできました。また、入会している人々も非常に多いですね。
心霊・神霊・霊魂を認めない、我流の法事を執り行う教団信者に多いのが、首から上の病気です。人体で頭は目上、先祖、神さんを表します。近年、神経症の増加が顕著ですが、霊的影響を受けていることに起因していることも視野に入れるべきではないでしょうか?特にこれからの時代、霊的防御方法を会得する必要があるでしょうね。早い話、先祖供養を充実させて、霊的な関心、知識を学習するべきだと思います。そこで具体的な方法を挙げてみます。
1・産土神への尊崇 もし可能であれば、自分の両親が住んでいた場所の産土神社を探して欲しいですね。私の場合、父の産土神社の祭神は素戔嗚命と北野天神。母も同じ産土神であった。そして今住んでいるところも、同じご祭神と縁がある所だ。おまけに職場も。まあ、産土神は出雲系の神様が主体なんで、確率は高いんですが。・・・ちょっと驚きましたね。見えざる手によって導かれているんでしょうかね?天神様は母の氏神様でもあります。
自分が生まれた場所の産土神・神社を探し出す。また、自分が住んでいる産土神も。ここからが祈願のスタート地点です。「お世話になっています」と礼を尽くした作法でお祈りをします。祈願はまず感謝から入り、折に触れ、その時々足を運びます。徐々に馴染んだら、「私のご先祖様をどうぞ引き上げて下さい」と祈願します。勿論、お賽銭はきちんと入れましょうね。お寺へのお布施見たいなものですね。
2・一の宮への祈願 次に住んでいる場所の一の宮にご先祖さんを引き上げて下さいと祈願します。
3・信仰している寺社への祈願 自分と縁のある古社・霊社にご先祖さんを引き上げて下さいと祈願します。
関西で神道式なら春日大社での祖先祭を考えてもいいでしょう。これと併せてお盆、お彼岸、祥月にお寺で供養して頂いても良いでしょう。
4・家での祖霊祀り 仏壇、神棚できちんと位牌、神璽を整えて、日々ご供養する。(この時、中心となる神仏、あるいは高祖を念じなくてはなりません。要は徳の高い神霊に取り次ぎをしてもらうわけです。自力では雑念、魔が入りやすく難しいです。)
5・他人まかせにしない。 お寺さんとかに任すだけではいけません。祭主の主体はあくまでもやり始めた自分自身にあります。
心霊・神霊・霊魂を認めない、我流の法事を執り行う教団信者に多いのが、首から上の病気です。人体で頭は目上、先祖、神さんを表します。近年、神経症の増加が顕著ですが、霊的影響を受けていることに起因していることも視野に入れるべきではないでしょうか?特にこれからの時代、霊的防御方法を会得する必要があるでしょうね。早い話、先祖供養を充実させて、霊的な関心、知識を学習するべきだと思います。そこで具体的な方法を挙げてみます。
1・産土神への尊崇 もし可能であれば、自分の両親が住んでいた場所の産土神社を探して欲しいですね。私の場合、父の産土神社の祭神は素戔嗚命と北野天神。母も同じ産土神であった。そして今住んでいるところも、同じご祭神と縁がある所だ。おまけに職場も。まあ、産土神は出雲系の神様が主体なんで、確率は高いんですが。・・・ちょっと驚きましたね。見えざる手によって導かれているんでしょうかね?天神様は母の氏神様でもあります。
自分が生まれた場所の産土神・神社を探し出す。また、自分が住んでいる産土神も。ここからが祈願のスタート地点です。「お世話になっています」と礼を尽くした作法でお祈りをします。祈願はまず感謝から入り、折に触れ、その時々足を運びます。徐々に馴染んだら、「私のご先祖様をどうぞ引き上げて下さい」と祈願します。勿論、お賽銭はきちんと入れましょうね。お寺へのお布施見たいなものですね。
2・一の宮への祈願 次に住んでいる場所の一の宮にご先祖さんを引き上げて下さいと祈願します。
3・信仰している寺社への祈願 自分と縁のある古社・霊社にご先祖さんを引き上げて下さいと祈願します。
関西で神道式なら春日大社での祖先祭を考えてもいいでしょう。これと併せてお盆、お彼岸、祥月にお寺で供養して頂いても良いでしょう。
4・家での祖霊祀り 仏壇、神棚できちんと位牌、神璽を整えて、日々ご供養する。(この時、中心となる神仏、あるいは高祖を念じなくてはなりません。要は徳の高い神霊に取り次ぎをしてもらうわけです。自力では雑念、魔が入りやすく難しいです。)
5・他人まかせにしない。 お寺さんとかに任すだけではいけません。祭主の主体はあくまでもやり始めた自分自身にあります。
先祖供養、特に傍系先祖を祀って感じたのは、自らの慈悲心の欠如である。何故かしきりに、傍系の場合は供養をシテアゲテイルって、不遜な思いが実施中も湧き上がるんだ。「そんなことを考えちゃいかん」と思いつつもどうしょうもないんだな。直系先祖の時は、これ程は思わないのにね。・・・自らの最低な面を、神聖なご供養の場で先祖に告白しているようなもんですよね(笑)。自分自身、色々と精神状態のコントロール、ここでは「慈悲心」をいかに持続させて供養に臨めるか悩んだ時期があった。
数年経って、「そう云えば、うちは日蓮さんもそうだが、お大師さんにも縁が深かったなぁ」と思った。そこで、普段寝室に使っている部屋で、奥の院にある大師御廟をイメージし、お大師さん・稲荷大明神・高野大明神に先祖の冥福を祈願した。すると如何だろう、全然傲慢な気持ちが起こらないんだ。それから家にある神棚に手を合わせる時には「南無大師遍照金剛」って最初にお唱えすることにしている。
先祖供養で不可欠なものは「大悲」であると思います。お大師さんは大悲の塊なんでしょうね。私のような凡夫にでも信仰を通じて、その何分の一かでも呼び起こしてくれる。本当に有り難いことです。
数年経って、「そう云えば、うちは日蓮さんもそうだが、お大師さんにも縁が深かったなぁ」と思った。そこで、普段寝室に使っている部屋で、奥の院にある大師御廟をイメージし、お大師さん・稲荷大明神・高野大明神に先祖の冥福を祈願した。すると如何だろう、全然傲慢な気持ちが起こらないんだ。それから家にある神棚に手を合わせる時には「南無大師遍照金剛」って最初にお唱えすることにしている。
先祖供養で不可欠なものは「大悲」であると思います。お大師さんは大悲の塊なんでしょうね。私のような凡夫にでも信仰を通じて、その何分の一かでも呼び起こしてくれる。本当に有り難いことです。
先祖には直系と傍系がある。直系は自分がその姓を名乗っている家系の先祖。傍系とは母親、先祖の母方、妻の実家等である。「俺は先祖供養をきっちりやってるんだが、運気がイマイチ冴えないんだな」と思われている方も多いのではないだろうか。人間、先祖供養だけ行っていても、稼業に精を出さないと上手く行かないのは当たり前。順世の法は万人、万国共通の宇宙法則である。一生懸命世渡りしていても、何かシックリしない。例えば、事故、病気、事業不振などなど。こういう時は、自分の傍系先祖まで探して、原因を究明すると解決の糸口が見つかるかもしれない。
傍系先祖に変死、絶家があって、十分供養されていない場合、血縁者を頼ってその先祖が災いになっている場合がある。ホント信じられない話だが、本当のことである。特に近年は仏事・法要・祭祀と云うものをいい加減に行っているんで、こういうケースが非常に多い。世の中の法整備を幾ら行っても駄目で、霊的な鎮魂・浄霊を取り入れないと国は安んじられない。具体的にどうすればいいかなんだが、これが中々に難しい。ます気づきが必要だ。「俺の人生はこれだけのもの」って諦めてはいけない。「何でツイテナイんだろう?」と考えないと。
それと霊魂なんている訳がないって簡単に考えるのは馬鹿な話です。科学で証明出来ないからいないんです。っていう人。貴方は間違っていますよ。心霊を含む超心理学は欧米では非常に進んでいて、整束した学問として成立して来ています。今までの似非科学者の発言を鵜呑みにする愚は避けるべきです。超心理学はノーベル賞を受賞した有名な科学者も参入した実績もあります。物事の結果には何かしらの原因があることを考えなくてはいけないと思います。何かあると疑問に思い、探究する。霊魂の存在を信じる。最初の一点はここから出発します。
傍系先祖を探るには除籍謄本の申請が不可欠です。要は家系図の作成と同じ作業を可能な限り遂行します。探している時点までくるとしめたものです。かなりのご先祖さん、縁者を掘り起こすことが出来るでしょう。後は供養です。絶家になっていない傍系先祖は盆・彼岸等折に触れ、施餓鬼供養、墓参等行うと良いでしょう。問題は絶家の供養です。これは過去に記載しているんで参考にして下さい。墓相家などは殊更に絶家を忌み嫌うんですが、自分の先祖に当たる家系を蔑ろにしていいんですかね?
日本は元来男系中心なんで、傍系を供養する風潮が非常に希薄です。(外国、特に欧米と比較して、先祖供養しているだけまだマシですけどね。ただ、国魂、ルールが違ってるんで、外国と我が国の祭祀を同列に扱うことが出来ないんですね。例えば、日本ではお盆の先祖霊の活発さは他国での同日とは比べ物になりません。)自分の姓の先祖を祀っていればいいんだよってなるんですよね。絶家の祭祀から来る運の停滞というものは非常に強いんです。可能な限り祭祀を行い、冥福を祈るべきですね。
それと、3月や5月になると子供を含めて、家内にゴタゴタやトラブルが多い。病気になる何てことはないですか?ウチの家がそうなんですけどね(笑)。我が家系では、幼くして亡くなった先祖が多いんで、この時期になると俄然トラブルが増えますね。私も先祖供養をやり始めた初心者みたいなものですんで、悪しからず。この3月、5月って云うのは子供の節句ですよ。霊能者の先生が指摘する通り、ほんと当たってました。お施餓鬼とか仏壇に子供が欲しがる食べ物、飲み物を十分お供えすると供養になるって伺っています。中々出来ないんですよね。これが。・・・水子の多いお家は一度試されては如何でしょうか。
傍系先祖に変死、絶家があって、十分供養されていない場合、血縁者を頼ってその先祖が災いになっている場合がある。ホント信じられない話だが、本当のことである。特に近年は仏事・法要・祭祀と云うものをいい加減に行っているんで、こういうケースが非常に多い。世の中の法整備を幾ら行っても駄目で、霊的な鎮魂・浄霊を取り入れないと国は安んじられない。具体的にどうすればいいかなんだが、これが中々に難しい。ます気づきが必要だ。「俺の人生はこれだけのもの」って諦めてはいけない。「何でツイテナイんだろう?」と考えないと。
それと霊魂なんている訳がないって簡単に考えるのは馬鹿な話です。科学で証明出来ないからいないんです。っていう人。貴方は間違っていますよ。心霊を含む超心理学は欧米では非常に進んでいて、整束した学問として成立して来ています。今までの似非科学者の発言を鵜呑みにする愚は避けるべきです。超心理学はノーベル賞を受賞した有名な科学者も参入した実績もあります。物事の結果には何かしらの原因があることを考えなくてはいけないと思います。何かあると疑問に思い、探究する。霊魂の存在を信じる。最初の一点はここから出発します。
傍系先祖を探るには除籍謄本の申請が不可欠です。要は家系図の作成と同じ作業を可能な限り遂行します。探している時点までくるとしめたものです。かなりのご先祖さん、縁者を掘り起こすことが出来るでしょう。後は供養です。絶家になっていない傍系先祖は盆・彼岸等折に触れ、施餓鬼供養、墓参等行うと良いでしょう。問題は絶家の供養です。これは過去に記載しているんで参考にして下さい。墓相家などは殊更に絶家を忌み嫌うんですが、自分の先祖に当たる家系を蔑ろにしていいんですかね?
日本は元来男系中心なんで、傍系を供養する風潮が非常に希薄です。(外国、特に欧米と比較して、先祖供養しているだけまだマシですけどね。ただ、国魂、ルールが違ってるんで、外国と我が国の祭祀を同列に扱うことが出来ないんですね。例えば、日本ではお盆の先祖霊の活発さは他国での同日とは比べ物になりません。)自分の姓の先祖を祀っていればいいんだよってなるんですよね。絶家の祭祀から来る運の停滞というものは非常に強いんです。可能な限り祭祀を行い、冥福を祈るべきですね。
それと、3月や5月になると子供を含めて、家内にゴタゴタやトラブルが多い。病気になる何てことはないですか?ウチの家がそうなんですけどね(笑)。我が家系では、幼くして亡くなった先祖が多いんで、この時期になると俄然トラブルが増えますね。私も先祖供養をやり始めた初心者みたいなものですんで、悪しからず。この3月、5月って云うのは子供の節句ですよ。霊能者の先生が指摘する通り、ほんと当たってました。お施餓鬼とか仏壇に子供が欲しがる食べ物、飲み物を十分お供えすると供養になるって伺っています。中々出来ないんですよね。これが。・・・水子の多いお家は一度試されては如何でしょうか。