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光明遍照 十方世界 念仏衆生 摂取不捨 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 永観律師に帰依し奉ります。

法華経と我等凡夫の心

2022-01-29 19:29:42 | 日蓮・富士門流
天台系の法華経関連書籍を解説した説明の中に、善悪とも肯定されるべき一心に含まれる存在であると書かれてありました。人間の心を完全な悟りを獲得した釈尊の極説である法華経は一念三千を説いています。一念三千の構成要素の中に十界論があります。地獄・餓鬼・畜生が入ってますから、勿論悪心もあって当然なんですね。しかし、どういう訳か仏教と云うと高尚且つ正道こそ総てだって云う感じの論調が殆どなんですね。悪心を肯定されると何故かホッとします。自分自身悪心だらけなんで。清い心のみ仏門の入口に立てるって規定されると、自分なんか絶対に無理ですからね。

法華経には迹門と本門があり、各々随縁真如と不変真如を説いています。また、迹門は理具一念三千、本門は事具一念三千があります。昔、本迹勝劣は日蓮系で激しく色分けされていましたが、天台宗の考え方から来てるんですね。迹門は漸次に修行し成道を成し遂げた釈尊の説法が主体であるのに対して、本門は真理そのものに到達した釈尊が主体です。これは理具一念三千が修行で成道を期するのに対して、事具一念三千は当体其れ自体が仏であり、仏道修行中でもその行いそのものが仏だって云う考えなんですね。修行中?人の営み自体が仏の活動ってことでしょうか。そう云えば道元禅師も正法眼蔵に似たようなことが書いていたように思います。

日蓮系では天台宗の理具一念三千、事具一念三千の総てひっくるめて理の一念三千とし、自宗の教義を事の一念三千としています。お題目や三大秘法が此れに当たると思いますが、日蓮聖人の場合社会活動も入っていての事の一念三千だったみたいですね。より良い社会に変革活動してこそ事の一念三千が現成されるって考えですね。日蓮系の宗教団体が市民生活や政治活動に能動的だった歴史背景にはこう云った思想DNAが絡んでいるようですね。折伏って日蓮系の考え方では人々に仏種を植えるための善意の行動なんですが、この理由が分からない人から観ればありがた迷惑以外の何物でもないですからね。マジ、日蓮聖人ってマルチン・ルターかマルクスとレーニンを合わせた様な宗教家だったようですね。

日蓮系の本迹勝劣ですが、身延系は本迹一致、富士門流や他の旧勝劣派は本勝迹劣です。ただ、身延系の本迹一致は本勝迹劣、台当勝劣を踏まえた上での本迹一致です。ちょっと捏ね繰り廻してややこしいです。朝師が叡山で学んだ本迹未分の一念三千観法義が抑々の発端かと思います。大体、どの宗派でも派祖や中興の師が体系化した宗義に沿うよう宗学が成立しますからね。云いたいことはそんなことではなく、私達凡夫には如意宝珠のごとき一念三千の御魂が先天的に賦与されているわけですから、能動的に想いを掛けて行動すれば大抵の困難は打破出来るポテンシャルがある筈だってことなんですね。諦めずにやり続ければ大抵は叶うはずだってことなんです。

ただ、四節三益から云えば如意宝珠は下種から真に力を発揮するものかと。人間の素養や環境、運と云うものは個々の阿頼耶識に由来している処が大半かと考えます。この阿頼耶識を変革する法義が大切なんですね。
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