宗教・占い探玄  

光明遍照 十方世界 念仏衆生 摂取不捨 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 永観律師に帰依し奉ります。

博打と新興宗教の因果関係

2012-02-18 08:48:45 | 宗教観
 人はツキに見放されると「あー、先祖の祟りだ」「信仰が間違っていた」「家相・方位が悪かった」などと気になるものです。確かにそう云う側面があるんですが全部が全部と云うわけでは無いと思います。私の身近にいる先生なんかは「私は科学者なんで宗教とか占いは信じません。データー的に検証されたものしか信じてはいけないと教わりました」とのたまわっております。実際、弊害の方が大きい側面もあるんでそれはそれでいいんじゃないかと思います。私はツキのことを考える時「シュレーディンガーの猫」のことを思い出します。生きているか、死んでいるか分からない猫なんてあり得ない話ですが。・・・

 運転している時なんかでもこの猫の話を思い出すことがあります(笑)。人間は意思・思考という部分が大きく働いて安全な運転を行うことで乗り物は足代わりになります。しかし、不注意や飲酒、規則を無視した運転で身の安全を担保するのは完全に運・ツキ・確率の範疇に入りますよね。安全な運転を心掛けても追突されることはあるんで全般に亘る運・ツキ・確率を度外視するわけにはいきませんが先に挙げたこの2つは全く別物だと思います。

 「ツキの法則」という谷岡一郎氏の本がありますが、この本を読むとギャンブルと新興宗教は大きな類似点があるようです。とりわけ日蓮系の新興宗教はこの傾向性が強いように思いますね。新興宗教を信仰する信者さんの根底には明らかな現世利益への強い欲求があります。期待を裏切られると信仰への疑念が非常に強くなります。「あーこの信仰が原因で俺は不幸になったんだ」とか。・・・確かにそう云う側面はあるんですが、この世知辛い世の中でそれもここ20年間日本は経済状態等全てにおいて厳しい状態です。であるにも拘らず「リストラされたのはこの信仰のせいだ」「離婚したのは本尊のせいだ」とか云うのはナンセンスだと思うんですね。

 一生懸命に本尊に向ってお祈りをするのはいいんですが、世法を無視して現世利益なんて有りはしないと思うんです。ご飯を食べるのに私達は自分で箸を使って食べます。ご利益信仰の信者さんらは誰かの手でご飯を食べさせてもらおうとしている気がします。序でなんで云いますが、大方の不幸は実は前もって前兆があるんでは?と思うんですよ。リストラにしても働いていたら分かると思うんですよ、自分の今いるポジションとかは。利益になる、使える職員を首にするのは法律に関わる事件を起こした人くらいなのではないでしょうか?

 そろそろ肩叩きかなと思ったら、努力するか何なり手を打つべきではないでしょうか?離婚にしても経済的に逼迫すると女性は考えるらしいですね。占いでも妻は「妻財」で表現するくらいですから。でもそんな女性はそれだけのものです。身の不運と云うよりそんな女性と早く別れることが出来て良かったんではないでしょうか。大方の不運は実は自分の努力で回避できるのにそれをしなかったことに原因がある様に思います。
コメント (6)
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