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光明遍照 十方世界 念仏衆生 摂取不捨 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 永観律師に帰依し奉ります。

ネット上での日蓮宗学の学習方法

2011-11-27 13:35:47 | 日蓮・富士門流
 近日、私がいつもネット上で拝見するのは、直人さん(what an endless road)、犀角独歩さん(犀の角のように独り歩め・仏教再考)、日蓮宗・法明教会さん富士教学研究会談義所さんのサイトです。特に日蓮宗の法明教会さんは学識豊かで非常に勉強になります。何度も云いますが、富士教学は理屈からして大きな間違いがあります。先に挙げた4つのサイトは学術的な物言いで、教学に関心の無い方には不向きですが、世間に影響を与えている富士門流の活動家や僧侶たちは是非とも見て頂きたいですね。

 と云うより、見て学習するべきですね。良いことをしているつもりが、実は悪だったと知ることが出来るでしょう。と云うか、上層部の支配層(僧侶・団体幹部)は分かっていて、それが己が生活のためであるとか保身のためである人が殆んどでしょうけどね。大部分の末端にいる何も分からない人たちは可哀そうなものです。思想支配による奴隷制とでも云うんでしょうかねえ?まあ、奴隷化している当人は奴隷と思っていないのが救いですけどね。
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予想する今後の富士門流

2011-11-26 11:51:08 | 日蓮・富士門流
 私などは信仰のコアとしては日蓮義を据えていますが、大枠が本(日蓮)迹(天台)一致の信仰体系ですんで、基本として他宗の仏像も拝みます。また私の日蓮義は大枠が隆門でそのコアが富士門流です。お題目の置き所が八品から文底秘沈に据替ているだけで、甚だ隆門に近い教学思想を是としております。こんな私だから思うんですけど、針金のような狭い教義を是とする考えは私には無理です(笑)。しかし、簡略化された信仰がより一層幅を利かすのは確かだと思いますね。

 日蓮宗学において最右翼は日蓮正宗(この中でも妙観講は最右翼)、その分かれである創価学会、顕正会などです。その他門流はどちらかと云えば、他宗に対して寛容な姿勢を示していますね。日蓮教団の中でも社会的に抜群の影響力を誇るのは創価学会でしょう。創価学会は完全に二極化しています。学会の草創期は「貧乏人と病人の集まり」と他宗から馬鹿にされていましたが、何を隠そう今では日本における超エリート集団の一角を担っています。

 他宗派の坊主が書いている2ちゃんスレで昔と同じと思っている馬鹿がいるが、日本の知識層の構造を全く理解していない。学会がエリート教育を武器に、各分野に人材を輩出している源泉は学校教育にあります。教育設備の充実度から、今や創価学園は超難関校として有名です。おまけに強い信心を持っています。日本の宗教組織では一番でしょうね。先程二極化と云いましたが、その学園の出身者を中心としたエリート層が学会組織の上層です。そして庶民層がそれに従属する形となっています。

 好む、好まずに関係なく、今後も宗教界の主導権を握るのは学会でしょうね。ただ惜しむらくは支持基盤であるお寺が無いことです。大石寺を諦めるか、将又新しい興門流のお寺に目を付けるかは別として、純粋な学会員の在家を僧侶にした純粋培養の宗門誕生もあり得るでしょうね。寺信心は旧い云々と云っても、帰属する場所は必要だと将来的には考えるでしょうね。日顕さんが行ったC作戦はそう云う意味では大きな衝撃を学会側にも与えました。

 学会の話ばかりになっちゃいますが、経済不況と二極化が続く中で他宗の信者は葬儀・祭祀過程の見直しを迫られ続けるでしょうね。恐らく今世紀末頃までには、仏教に関心のある庶民層の殆んどの家庭が、学会の御本尊を持つであろうと予測します。その頃には富士門流の教義はもう一度見直されるでしょうけれども。学会のエリート層がこれを行うでしょうね。今のままでは正味、既成仏教は危機的状況に陥ることだけは確かです。出家者しか得道出来ない仏教など、高度な教養を持つ庶民にとって魅力がなくなるでしょうからね。

 そして学会は内部分裂を起こさない限り、外部からでは絶対崩壊しません。それ程強い組織なのです。
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大聖人の仏法は正義の獅子吼

2011-11-22 06:32:41 | 日蓮・富士門流
 先に挙げたブログで爾前に円教はあるが、仏因と成るのか?成らないのか?を話し合いましたが、私も言葉足らずの部分がありました。そこで此間会う機会がありましたので「爾前の円教は法華経寿量品の久遠実成無作三身、富士門流で云う文底秘沈に至らないと仏因にはなりません。爾前の円は法華経に戻らないと仏因には成らないです」と言いました。この学会員さんは「その通り。理屈から云って変質しなければ、爾前の円は種に成らない」と答えてくれました。 

 「仏因である大王の種は一つなんです。他宗はそれが全然分かっていない」と私が言うと、その学会員さんは笑いながら「そう、他宗は全然分かっていない」と同意を示してくれました。この辺りは非常に重要で、何度もブログに載せていますが、日蓮仏法の根幹に関わる部分です。他宗と相容れない理由、日蓮仏法の特色は偏にここにあると云ってもいいでしょう。観心本尊抄文段で日寛上人が、証真法印の円教仏因論から始まり大聖人さんの文底秘沈に至る円教の解説があります。

 非常に短い件なんですが、大変重要な箇所です。真の仏因は法華経寿量品の久遠実成無作三身の観心である南無妙法蓮華経にあるとする考えです。大聖人さんの円教仏因論は証真法印を超えているんですね。教学的にもここまでたどり着くのは、並大抵ではなかったと思いますね。
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下種は寿量品久遠実成無作三身を信受することがポイント!

2011-11-19 06:46:15 | 日蓮・富士門流
 法華経の素晴らしいところ、それは法華開会により全ての教えは法華経に帰一されるとする部分である。寛容な懐の深さが、これまた法華経が経典の大王と呼ばれる所以であります。しかるに、同じ法華経を奉じている日蓮家に於いては「我法華経のみが成仏の種である」としている。ここでは寛容どころか、成仏の種子を限定しているのでこれが同じ法華経か?と思ってしまいます。しかし、他宗派から偏狭な思想と云われようが、他経に久遠実成や二乗作仏等を踏まえた完全な円融三諦の教義が無い以上、法華経への帰一は下種の根源を論じる場合仕方のないことです。覚者となる大王の下種の品種(寿量品久遠実成無作三身)は一つなんですから(笑)。

 大聖人さんが主張した下種仏法はどうしても、寿量品久遠実成無作三身を信受しなければ下種足り得ないとしています。この主張は他宗の仏法者には受け入れ難いものかも知れませんが、一念信解の位に下種の根源を定めた場合、この主張は正しいと私は考えます。爾前に仏因を認めるにも、まず爾前が法華経に帰一することが絶対条件です。何故中古天台で法華経が注目され、学匠が法華経を研鑽したかといいますと、この根源的な下種の探究に原因があります。

 大聖人さんが他宗を攻撃し、自説を誇示した理由、それは他の経典、宗派では下種の根源である寿量品久遠実成無作三身を信受し、観心する教義や方法論が説かれていないからです。三大秘法はこれを成就するための観心システムです。事の一念三千と云いますが、御本尊を媒介にして視覚に訴える観心なんですね。現在解明されつつある脳科学で、人間の認知は外部を経験して自分への返照と云う過程を踏みます。三秘とよく似ていませんか?もう一つ挙げると、天台大師が兄上に仏法を指導したのは、「妙法」と云う文字を使って直接観心に繋げる方法でした。

 心憎いまで人間と云うものを熟知していないと考えられない方法ですよね。理の一念三千は正味イメージを中心とした観法です。テレビは点いていないがイメージで観るわけです。この観法の根源的な薫習は下種にあるわけです。これまでツラツラと日蓮義の他宗攻撃の理由や独自性についてカキコして来ましたが、大聖人さんはホント、仏法の重要な箇所に焦点を当てて当時の仏法者や権力者に正法を獅子吼したわけなんですね。

 今まで日蓮教団に身を置いて退転後、他宗あるいは無宗教に転向して、それまで擁護していたはずの日蓮義に反旗を翻す人は多いです。退転の原因としては、所属していた教団のカルト性に疑問を生じたことが原因の人も居るでしょう。しかし、大聖人さんにまで非難の矢面に立たせる退転者に云いたいのは「それはお門違い」だと云うことと、大聖人さんの真意を理解していないことが原因だと云うことです。正法には魔が競います。是非、是非、賢明なる心眼を持って、日蓮門下はそれらに翻弄されないようにして下さい。

 法華経如来神力品に説かれている結要付嘱は、末法の観心である三大秘法を指しており、釈尊の使者として大聖人さんが出現されたことを忘れてはなりません。今までに無い観心方法であるがために、非常に難信難解であります。付法観・托事観・約行観は天台三大部に配置する見方もありますが、三大秘法は先に述べた3つの観法を統合した観心システムです。肝要にして易行です。それも下種を根本に置いた前代未聞の観心方法なのです。己が知恵の足りなさを大聖人さんに転嫁しないで頂きたいです。

 このブログで仏法について述べていることや、天部で云えば摩多羅神(三宝荒神)を中心とした教義、更には神霊・心霊、神道のことについて理解すれば、正法を理解する上で掌中の珠を得たようなものです。
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法華経研究のまともな学者は、蓮門の弟子の著作を厳選している。

2011-11-18 19:53:55 | 日蓮・富士門流
 口伝法門を除けば、法華経を研究している近代の学者でまともな人は、蓮門の弟子の著作を厳選している。日朝上人、日隆上人、日澄上人の3人の著作がその代表格である。日蓮宗学の学匠とはこう云う上人らを指すべきですね。
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仏法における国盗り物語(誤解され過ぎている日蓮大聖人)

2011-11-17 06:59:48 | 日蓮・富士門流
 大聖人さんが他宗をボロクソに書いているもんなんで、非常に誤解されている面が多い。極論すれば、他宗の人で大聖人さんのことが分かっている人は殆んどいないと云ってもいいだろう。そこで何故他宗を攻撃したかを検証したい。鎌倉時代、まあ今でもそうなんだけど、仏法の宗派の多いこと。辟易するくらいに多い。どれが真実の仏法なのかを探究していたんですね、大聖人さんは。真言宗は善無畏三蔵が一行から天台教学を学び、一念三千・三諦円融を大日経の解釈に混ぜ込みました。これは仏法を攪乱する大きな罪です。何故かと云うと、中国の天台大師は法華経開会思想により仏法を統一したにも拘らず、善無畏ら真言師がひっくり返したからです。詳しくは善無畏三蔵抄という御書に書いてあるんでご参照下さい。また日本天台宗の開祖、伝教大師は天台と同様に仏法の統合化を考えていました。自宗の教義構想として四宗融合を掲げていましたが、理趣釈経の借与拒否と泰範問題により弘法の真言を取り入れることが叶いませんでした。弘法は独自の教団設立のために、自宗と他宗の勝劣を決する教相判釈の書物を何冊も書きました。天台を華厳の下に置くなど,当時の奈良仏教の力関係も視野に入れ、最後に真言が勝っているとする己義を世間に公表しました。これを正すため大聖人さんは真言を責めたんですね。

 次に浄土ですが、これは私の先に挙げたブログに色々と書いているんで省略します。兎に角、この当時の念仏宗は布教方法が酷かった。華厳宗は天台の真似。しかも、己が自宗の権勢を誇らんがため勝手な解釈を入れています。禅宗ですが、南天棒と云う臨済宗の坊さんによると、大聖人さんが各宗派修業中時代、建仁寺で典座をやっていたそうであります。京都の東福寺にも伝承が残っているんで、禅宗の研鑽はかなり積んでいたんでしょうね。事の真偽は兎も角、要は見性も程遠い修業体系と不立文字を金看板にした教義体系は疑問の余地ありだったんでしょうね。実際、禅の修行で見性する天才は、当時でも何十万に一人くらいだと思われます。近代に於ける臨済宗の珠玉、山田無文師が亡くなった今、その様な禅師は現在ゼロでしょうね。

 天台宗に関しては、肯定する部分、否定する部分と評価が多岐に亘るため、読み取り方が非常に分かりにくいです。大聖人の直弟子ですら、天台に傾斜していたんですからね。否定する部分を述べると、当時の天台宗は権教と実教の立て分けがキチンとされていなかったんです。天台の教化方法自体が双用権実ですしね。大聖人さんは自分が下種仏法を広宣流布する役目を担っていると自覚していたんで、教化方法は廃権立実で行うしかなかったんですね。それは本未有善の荒凡夫には仏種を植え付ける事こそ、仏法では肝要であると判断されたからです。肯定するのは天台教学もよくよく見れば、偉大な天台の聖賢らが下種仏法について書いていますよと、大聖人の独断ではないことを証明するためです。本(日蓮)迹(天台)の立て分けは非常に大切なことでありまして、これを混同してしまいますと大聖人さんの誓願も夢のまた夢です。円教の精髄を説いた聖賢は、大聖人さん以後も出現することはありませんでしたからね。やはり上行菩薩の生まれ変わりだったんでしょうね。

 観心にも色々ありまして、前にも書きましたがお題目にも観心があるのです。殴り書きしたような漢字を拝んで何になるのか?何て考えるのは凡夫の浅はかさで、書き方、諸尊の配列、点の打ち方等、御本尊には甚深の意味が込められています。譬えるには僭越ですが、大聖人が目指した末法における仏法は、下種仏法からの天下布武です。所謂中央集権です。対して天台宗の仏法統一は幕藩体制みたいなもので、各宗の独自性を認めていました。仏法統一の覇道を目指す日蓮義には、どうしてもカルト的性格が教義自体に付随するのはこのためです。しかし、大聖人さんの登場により諸宗らが、自宗の欠点を知ることが出来ましたし、改善する宗派も現われたんですね。浄土宗はその代表格だと思います。



 
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日蓮仏法の現証(祈りとして叶わざるなし)

2011-11-15 13:38:02 | 日蓮・富士門流
 こんなことを書くと学会の回し者の様に思われて嫌なんですが、事実とのことでカキコします。一部の団体のことと思わずに、富士門流の現証と思って下さい。一昨日同僚と話していて聞いた話です。彼女は学会員であり、9年前から同じ職場で働いている同僚兼友人です。彼女の母親はバリバリの学会員だそうです。母親が離婚してから、彼女の一家は食うや食わずの極貧生活を一時期過ごしたそうです。一縷の望みは学会で得た信心だったとのこと。そんな彼女の母親にも転機が訪れます。求人欄で保険の外交員を募集しており、面接を受けて採用されました。

 彼女の母親はこの方面に優れた才能があったのか、保険のセールスは常にトップでした。遂には営業所の所長にまで昇進します。彼女の母親にWさんと云う部下がいました。Wさんは彼女の母親から折伏された方だったんですが、ひょんなことから友人の保証人になり、それが元で自己破産を余儀なくされました。保険の外交員とはいえ、母体となる保険会社は世間でも名の通る大大企業です。この不祥事が上司の知るところとなり、今年9月末を以て退職するよう勧告されました。

 Wさんは今、職を奪われたらそれこそ食うや食わずの生活です。Wさんは彼女の母親に、嘱託でもっと働かせて欲しいと泣きつきました。信心の親でもある彼女の母親は上司に何度も掛け合いましたが、「今までに前例が無い」とケンモホロロに一蹴したそうです。それでもイッコクモノの彼女の母親はそんなことに怯みません。「仕事も真面目やし、実績もある。なんでや」と何度も、何度も留任を願い出たそうです。しかし、帰って来る答えは同じで「前例が無い」の一点張りです。おまけに今度はあまりにも彼女の母親がしつこく食い下がるんで、その上司は彼女の母親とWさんを虐めるようになったそうです。

 そこで彼女の母親はWさんに「あんた、10時間題目しい!私もやるから」と言ったそうです。彼女の母親は御本尊の前で祈っている時、「そう云えば昔あの人と一緒に仕事をしていたなあ」と閃いたそうです。あの人と云うは、数十年前になるが、営業畑の研修を積むため大阪に来ていたYさんで、今では東京本社の財務担当をしている人でした。それもかなり出世をしていて部署におけるNO2の権限を持つまでになっていました。「会えるかどうか分からんけど、実行あるのみや。Wさん、あんた、Yさんにこれまでの事情を手紙に書いて」と彼女の母親は言い、その手紙を持ってYさんに会うため東京の本社に行きました。

 後は結果を待つのみです。彼女の母親は、焦るWさんに「もう一回10時間題目しい」と言いました。その後も本社から何の御沙汰もありません。「どないしょう?」と言うWさんに、「もう一回、10時間題目や!」と彼女の母親は祈りに祈るよう指導します。この時Wさんもさすがに信心に疑念が生じたようで、会合に行く道すがら、会館の道路前にいてた創価班の兄ちゃんに「私は(これこれ然々です)10時間題目あげろって云われてますが、祈りは叶うんでしょうか?」と尋ねたそうです。その兄ちゃんは「叶うと思います。やってみて下さい」と言ったそうです。

 ソウコウするうちに退職まで残すところ4日目となりました。この日意外な人事異動が発令されました。あの虐め抜いた上司がナント左遷されたんです。当時総務部に籍を置いていましたが、将来を嘱望された超エリートです。それが系列の子会社に移動になったんです。この会社では前代未聞、全く前例の無い人事だったので、皆が大変驚いたそうです。仕事上のミスが発覚したのが原因でした。しかし、子会社に回される程のミスだったかは定かではありません。もう一つ辞令が出ました。Wさんは65歳以上でも仕事が続けられると云う内容でした。この辞令も過去に前例の無いものでした。Wさんが凄く喜んだのは云うまでもありません。この話には後日談があります。

 会館前に立っていた兄ちゃんに結果を言わなくてはと思い、会合のある日会館前にいてたので、これこれ然々でと説明して「願が叶いました」とWさんが言ったそうです。すると、その兄ちゃんが「実はあれから僕もああ言ったものの、確信がなかったんで10時間題目していました」と答えが返って来ました。この話を聞いた彼女の母親は凄く感動したそうです。
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先祖供養は法華経で行うべし!

2011-11-13 12:17:35 | 先祖供養
 宗派の改宗、これは非常に難しい部分があります。例えばお墓です。菩提寺がある場合、信仰の改宗はかなり難しいです。先祖供養で必要なのは、祭祀者の一念なのではないかと思います。先祖供養では、敢て法華経については触れませんでしたが、ハッキリ云いましょう。故人の血脈を引く祭祀者の成仏(生活態度と正法帰依つまり正しい信仰)こそが、先祖供養には重要です。祭祀者自身が生活態度はめちゃくちゃで、本人が成仏していないのに、故人が真心の供養を受け取ることはありません。

 信仰における祭祀者の成仏とは何か?早い話、一念信解の位に祭祀者自身が登ればいいわけです。法華経に説く一念信解とは、絶対不滅の仏界がこの身このままで、自分自身に存在していると固く信じている位です。お念仏をしていても、自分が阿弥陀さんであると確信してお念仏をお唱えするべきです。ご真言を唱えるにしても、経典を読誦するにしても、自分が仏だと確信して仏事を務めるべきですね。これ即ち、法華開会の思想です。

 専門僧侶はこの一念があるからこそ功徳がひとしおなんです(まあ、無い人も多いですが・・)。この秘訣は心得て置くべきでしょうね。日蓮宗以外はこの秘訣を知らない在家ばかりです。爾前・権教において、法華開会しない行法は下種を考慮した場合は無意味です。霊界における成仏では功徳はあります。霊界での成仏と魂魄に刻まれる薫習の成仏は違うと思います。故人が天界に行ったとしても、下種されていない魂魄は成仏と云えるかどうか。会い難き仏法に縁しているのなら、祭祀者は是非この心持で供養すべきだと思いますね。

 出家者が先祖供養を念入りにしているなんて聞いたことがないでしょう。それは自分の成仏は故人の成仏だからです。「出家すれば九族忽ち天に生ず」って昔から云われています。その出家者と同等の秘訣が先に挙げた一念です。
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爾前経が仏因となるに際して、法華開会しなければならない理由(仏法における統一場理論)

2011-11-13 07:06:13 | 日蓮・富士門流
 先にも述べた通り、成仏は一念信解の位から展開して行くわけです。一念信解とは、絶対不滅の仏界がこの身このままで、自分自身に存在していると固く信じている位です。経典では法華経寿量品の本尊観です。もっと深く云えば、久遠実成無作三身を信じることです。久遠実成だけの意味合いだと、自分との相互関係が成立しません。下種を包括した即身成仏の教義は本尊と断絶していては叶いませんから、釈尊即自分自身と強く信じなければ駄目です。蓮祖が南無妙法蓮華経から諸仏が出生したと云うのは、因位の時久遠実成無作三身を信受したという意味です。

 真言宗にしても、自分自身が即大日如来と観想するところに妙味があります。念仏も自分自身が阿弥陀如来だと観想するところにポイントがあるんです。禅宗にしても、自分自身に本来備わっている仏さんを体得することが修業の目的です。これら各宗は縁起を信じ、本来の自分が仏と信じなければ出来ない修業です。法華経には二乗作仏・久遠実成・円融三諦・一念三千が他の経典と違い明確に説かれています。要はこの考えがないと、真の成仏する教義も存在しませんし、全員の成仏を保障したことにはなりません。

 法華経の更に重要な教義は、開会により仏法を統一していることと、種・熟・脱の三益・三種教相を説いていることです。爾前経は下種の教義など一切説いていないんです。また、他宗を見渡しても、三種教相を説いているのは、天台や日蓮宗関係の僧侶・学者ばかりです。無作三身を敢て本尊観や教義で説明していないのは天台・日蓮系以外の教団の特徴ですが、爾前経を根本経典とするこれらの宗において、既に下種されている前提を基本とするからです。

 真言宗に円融三諦・一念三千があったわけではなく、善無畏三蔵が天台教学から勝手に取り入れた代物です。華厳の教義も天台からのパクリです。要は法華経に開会されての権教・爾前の存在意義なのに、権教を根本経典とする各教団のお祖師さんらが、勝手に自分の宗派が優れていると主張しているだけなんですね。それが可能だったのはお祖師さんらが、既に過去世において本巳有善(下種を受けていた)だったからです。下種を受けていた大恩を忘れて、法華経に弓を引いている忘恩の徒であると蓮祖はボロクソに御書に書いていますけどね(笑)。

 権教・爾前経を根本とする各宗派も、所詮過去世の薫習をバネにして法華経の説く行程を瞑想・信心に取り入れて見性しているわけです。親が居るのに、自分一人で育ったかのように思っているわけですね。特に念仏宗は死後の成仏のみを願い阿弥陀仏を念じるなど、凡そ仏法とは全くかけ離れた教義が庶民に蔓延していました。おまけに聖教類を完全否定するんで、蓮祖は「この一凶を禁じなくては」と固く誓ったんですね。

 自分が仏さんで阿弥陀さんなのに、自分を観想の対象者から外した信仰は間違いです。当時の念仏は法華開会の思想には程遠いものだったんですね。蓮祖は円教のスペシャリストだったんで、仏因に関しては非常に厳しい指摘をしています。それは衆生の仏道を権教・爾前にある毒薬で妨げたくないと云う、慈悲の思いから来る折伏なんですね。天台は本迹一致、双用権実の法華開会で仏法を統一しました。蓮祖は本迹勝劣、下種法門の根源である独一本門から仏法の統一を考えていました。
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爾前経に得道が有るのか、無いのか。

2011-11-12 20:24:27 | 日蓮・富士門流
 平左衛門尉(平頼綱)は時宗の被官であり、実質上最高権力者の一人です。蓮祖が佐渡流罪から鎌倉に戻られた時、「爾前に得道はあるか?」と質問しています。種種御振舞御書にはバッサリと蓮祖が成仏出来ないと答えているだけですが、実はこの問題は蓮祖の教学を考える上で非常に重要な問題なんです。爾前得道の有無は天台教学をある程度知っておかなければ質問出来ない問いです。宗教に関する彼の道程を精査すると、それ相応の仏教に関する教養があったと推測されます。

 ただの念仏の強信者ではないんですね。執権北条時宗と同日に出家もして、法名も持っています。座禅では当代一流の禅師と称された蘭渓道隆からも学んでいるんです。親類には僧侶もおり、当人は念仏にも深い関心があるわけです。当時の天台宗と同じような信仰背景を基盤に持つ武士だったようです。先にブログにも挙げましたが、双用権実は天台宗の教化方法です。権教、つまり爾前経にも円教を含んでいることを踏まえて、得道を許すのです。

 富士門流の五人所破抄で、爾前の得道は過去世に下種をしているから得道出来ると説明されています。平左衛門尉は勿論、爾前に得道が有ると考えているからこそ、お念仏を唱えたりするわけですから。兎に角、蓮祖と平左衛門尉の会見は不毛に終わったわけです。このシコリは後日、熱原法難と云う大事件に発展して行きます。前にも書きましたが、蓮祖が爾前を許すのは、爾前が法華経として変質してからです。例えば、念仏をやっていて、その「行」そのものが法華(円教)に開会されます。ここで蓮祖は変質を迫るんです。それはもう浄土ではなく、法華経なんだ!と。そして、変質後は爾前の臭みを許しませんし、後戻りも許しません。これを条件として爾前を許しているんです。

 蓮祖が平左衛門尉にバッサリと云ったのは、当時の一般的考えであった双用権実(実は今もこの考えが日本の仏教の中心です。700年前と同じなんですね。富士門流が他宗からボロクソに云われるのは無理もないことです。)に異を称える目的で答えたんだろうと思います。下種を一番の教義に掲げている蓮祖と、全く真逆なわけですからね。「こんなに紳士的に対応してやっているのに、この野郎!今に見ていやがれ」って思ったんでしょうね。平左衛門尉は念仏者には庇護する一面も見せているんですが、蓮祖だけには違いましたね。

 私自身、天台からこの信仰に入ったんで、最初は双用権実でした。だから平左衛門尉の気持ちがよく分かるんですね(笑)。富士門流を先祖代々とか、二世、三世なんかは分からないでしょうね?ホンマ、折伏でやり込められたら腹が立つんですね。向こうさんは慈悲で云っているんですけど、こっちはそんなことは分からない。知りたくもない。むかつくんです。まあ、これは私だけかも知れませんがね(笑)。仏教的基礎知識がある程度備われば、備わるほど、この怨念は大きいのではないかと思いますね。

 それからもう一つ。正法を保つ人は、末法では権力を持っていません。これは、ホントお笑い草ですが、私はそう思っています。この娑婆世界は第六天魔王が管轄する世界です。これは私の個人的な体験ですが、若い時比叡山を朝早くから歩いたことがありました。そこで何か凄い魔物が来る予感がしたんです。後ろを振り向くと凄い高僧の方が歩いていました。世間の常識と真相は違うのかも知れませんね。

 最後にもう一つ、娑婆世界は第六天魔王が管轄する世界ではないかと思う現証は、折伏の時に実感するはずです。これは自分の肉親にでも云えることなんですが、富士門流の正法を勧めると親の仇にでもあったかのように反発する人がいます。普段接する時は温和そのものなのに、日蓮仏法の話をして行くとみるみる形相まで変わるんです。その人は爾前経なんかは全然受け入れてくれるんですよ。しかし、日蓮仏法は中々受け入れない。面白いでしょ(笑)。要は日蓮仏法を信受出来ない罪深い薫習を、阿頼耶識に刻み込んでいるんでしょうね。

 真実、富士門流を信奉している人は、概ね社会的に地位が低く、経済的にも大した人はいない。それに比べて、他宗の繁盛していること(笑)。第六天魔王はこの人が信じているのなら正法に違いないと思うような人間には、日蓮仏法を信じさせないようにするんです。逆だと信奉者が沢山出来ちゃいますからね。信じても成仏の種に成らない法門を信受させるんですよ。知恩院なんかいい例です。地獄に落ちた法然上人の尊像を祀っていますが、凄く繁盛しています。現証的には専門僧侶の念仏の法華開会で罪は受けない。しかし、一般人は下種足り得ない。

 浄土真宗にしても然りです。地獄の死相を門跡の法主が示しているにも拘らず、一般人にはその真相が伝わっていない。先祖代々行っていると云うだけで信仰を続けている。勿論、下種なんかに成りはしません。しかし、釈尊を崇めるが如き繁盛ぶりです。富士門流にしても内部分裂や抗争がずっと続いています。おかしな講元も何人かいてますし、これが信心かいな?と思うことばかりやっています。全部、真実の仏法から目を背けさす魔王の働きなんですね。
 
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