宗教・占い探玄  

日蓮聖人の教えから、浄土教に改宗した偏屈居士です。
現在はご先祖が帰依した、浄土真宗本願寺派に属しています。

真実の正法を知っていても世間に公表しない、否、出来ない僧侶たちの苦悩

2010-10-24 21:44:28 | 日蓮・富士門流
 実は他宗(一例を挙げると浄土系)の僧侶でも法華経に成仏の法があることを知っている者がいてる。しかし、言わないんだな、公けには。何故なら自分らの飯の食い上げになるからだ。日蓮教団では、身延日蓮宗に身を置きながらも、その実自分の信仰として興門流を是としている僧侶もいてる。(現証も言わないよ。特に悪いことは。笑)

 いてるが言い出せないんだな。身延の場合一品二半を尊重し、そこに文底秘沈も見出して本勝迹劣を一往は認めてはいるんだが、再往では一致としており、これが教学の伝統として保持してきた歴史があるんで可笑しなことが言い出せないわけだ。

 まあ、俺も僧籍を持っていたんで分かるんだが、宗門にいて師僧に反逆することは許されない。まして宗門に歯向かうなんて絶対不可能である。(破門です。破門。・・・笑)
師弟関係がそのまま生活に直結してるなんて可笑しな話ですけどね。実際そうです。これは。

 例えば富士門流の種勝脱劣なんか誰に聞いても可笑しいと言うよ。日蓮>釈尊という構図は仏法の理論上成り立たない。そんでもって日蓮本仏論でしょ。日蓮=釈尊となる。末法では本未有善の衆生が充満してるから、下種仏法が時期として適当で勝ってるとするのが正解だろう。

 ご本尊を読み解けば分かるが、内用において大聖人は久遠元初名字の仏と表し、外用は天台・伝教の弟子菩薩として表している。中心の意味は下種仏をご本尊は表すが、同時に究極の脱仏である久遠実成釈尊を表しており、内用・外用両方の義が存在している。

 因果倶時不思議の妙法とはよく云ったもので、末法下種の本尊を形態化するには妙法曼荼羅にしないと困難なのである。話がご本尊に行ってしまったが、何を言いたいかというと日蓮本仏論は間違いで、それを言うなら日蓮本尊論でしょ!ってことを言いたいんだ。

 でもこんなこと大石寺の僧侶らもぶっちゃけ分かってると思うよ。わかっちやいるけど、止められない、ってか。(笑)そりゃそうでしょ。宗史・宗学の大きな功績を残した高僧を否定するようなことが出来ないんです。これは身延日蓮宗と同じです。

 それぞれの宗派は大きなしがらみがあって中々に改革するのは難しいんですよ。

 
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日蓮義と「人間革命」理論

2010-10-24 07:58:13 | 日蓮・富士門流
 日蓮系在家教団で有名なのは、創価学会と本門仏立宗である。元祖は日扇師の本門仏立講だが、この2教団はよく似ている。宗教理論により、自己を啓発・改革するんだが、「折伏行」をすることにより、他者に妙法を下種して過去世における罪を滅し、福運を積むという考えがまず一つ。二つめにはお題目・宗義の優越性により自身の境涯を改革する考えがある。

 他宗はまず自分の自己修養や先祖供養に重点を置くので、折伏行により他者に影響を与えるのは日蓮系でも富士門流と八品派を淵源とする、この2教団の大きな特色である。折伏というのは、早い話宗教の勧誘である。理を尽くして、対象者が納得して入信すればいいんだが、複数で強引に入信へと持っていく手法が社会問題化されたことも過去にあった。

 当人はいいことをしているつもりでも、対象者にはいい迷惑の時もあるわけである。しかし、折伏している方は前記した確固たる宗教理論に基づいて行動してるわけで、この理論も知らない対象者と軋轢が生じないはずはないわけだ。行動科学でも人間には「コア」とか「スキーマ」とかいう動かしがたい判断基準が、その人の行動を支配しているわけでね。

 友人としてお付き合いはさせてもらいますが、私の信念を否定するようなこういった勧誘はご辞退させてもらいますとなるんだな。特に昔の創価学会の折伏は有名で、今もって蛇蝎のように嫌う年配層は多い。まあ、大きな負の遺産ってところかな。折伏ってもんは、その人の振る舞いを見て、対象者を自然と教導出来るような徳人でないと軋轢は避けられんでしょうな。

 俺もブログとかで日蓮義と自分の思う日蓮仏法観を書いたが、「ほんまに合ってるんかいな、日蓮仏法は?」と思い易占した。卦は兌爲澤初九。和して喜ぶ仏法なんだなって読み解いた。日蓮さんの教えは間違っていないと判断した。要はくだらん革命理論をくっ付けてそれを食い物にするアホがいてるって話。ちなみにかなり前、創価学会についても易占したことがある。

 卦は地水師。要は「戦い」なんだな。卦を起し終えて、思わず笑ってしまったことを覚えている。日蓮仏法を標榜してはいるが、実は大きく変質しているのが易占でも判断出来た。十数年前、友人と宗教談義をしていると、その友人が「創価学会?あれは彼らの説く十界論で云うと、修羅界ですね。位で云えば。僕も呼ばれて会場に行ったことがあるけど。一息落ち着くとか、ほっとするってもんがなかったな」と述懐していた。

 確かに日蓮仏法には功徳・現証は認められますが、ドラマチックで大袈裟な虚構理論を吹聴して洗脳するのは如何なものかと思いますね。 
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日隆聖人の「八品所顕の題目」とは、宗祖が云う三大秘法の南無妙法蓮華経と同じ意味

2010-10-21 20:40:56 | 日蓮・富士門流
 身延も富士も変な言いがかりをつけるものだ。日隆聖人の八品所顕の題目とは、大聖人の云う三大秘法の南無妙法蓮華経と同じに決まってるじゃないか!!自分とこの宗派を重んじるあまり謗法を犯して無いか?

 ただ、本門仏立宗みたいに、日扇はんが訳の分からん字を本尊にしたものとは全然別ものだからね。(笑)大聖人が設定したご本尊へのお題目こそが、本当のお題目。八品とは虚空会の儀式を示し、ご本尊はこれに基づいて描かれている。

 日蓮門下ならこんなこと、当然皆知ってることじゃないか。それをどうのこうのと、煩いんだよ。身延の何某なんかは、「八品所顕なのに、寿量品の文底秘沈の意味を含んで八品派の日@は書いている。どっちの意味か分からない」と述べている。

 そんなんだから、創価に問答で負けるんだよ。ご本尊のお題目なんだから、両方の義が備わってるのに決まってるじゃないか。大体、保田妙本寺の日要師が安房の片田舎から隆門を頼り、柄にもなくお上への天奏をした時の書面には八品所顕の題目への異議は示されていない。つまり、当時は同意義と認めていたんだよ。以後冨士派が唱える寿量品文底秘沈と。

 日要師らの卑怯なところは、散々世話になった隆門に天奏が終わって片田舎に帰ると、今度は「俺らの文底秘沈が正しく、八品派は間違い」って言い出した。それなら、最初から言えよ。同じことは種脱一双でも云える。天奏に際して八品派と同意義を示したのに、今度は種勝脱劣を作り始めた。坊主である前に、まず人間性の問題だろうな、ここまで来ると。・・・

 まあ、当時の富士派は宗祖の御影を拝んでると、日隆聖人が吃驚するくらいだから、成立する下地は十分あったんだろうけど。・・・まあ、仁義を欠いちゃあいけませんな。
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法華信心私記

2010-10-21 11:52:39 | 日蓮・富士門流
 しかし、まあ、何というんですかね。日蓮教団のその数の多いこと。真摯に法華経を信仰しようと思っても、カスを摑む可能性が非常に高いですね。ホント。

 これから書くことは俺が勝手に判断した日蓮教団ランクである。まず昔の一致派は教義として間違い!この系列の日蓮教団は外す。

 昔でいう勝劣派に着目するが、本果妙に焦点を当てている教義団体は排除!アホですは、一致も本果も。全然お話になりまへんな。

 日隆聖人の法脈を受け継ぐ八品派と日興上人の法脈を受け継ぐ富士門流、この2つが教義として非常に真義に近い。

 さすれば、どの教団がいいのか?ってなるんだが、残念ながら行体・教義2つとも大聖人の真義に近い教団は何処にもございません。

 そうでなければ、ネット上で法華信徒の英才たちが喧々囂々と議論なんかしませんや。隆盛を誇った富士大石寺なんか、もうカルト教団以外の何者でもないし。

 未だに種勝脱劣を種脱相対と同一視して、自分とこが唯一と思ってるからね。ほんとアホ!創価も顕正も大石寺から教義的に踏み出せない。

 つまり本質的にはこの系列の教団は、同じ穴のムジナってこと。ちなみに大石寺系列の在家教団は、本門仏立宗の日扇さんの物まねだということは再認識しておいたほうがいい。

 創価なんか日扇さんのことをボロクソに言うけど、宗教の傍ら金貸しをやっていた発足当時の創価より、余程まし。日扇さんは正味、道心が昂じて宗教にのめり込んだんだしね。

 ただ、本門仏立宗の本尊の尊形、あれは何ですかね?ここがやはりアホ。「実は偽者なんです」って宣言してるようなもんだ。訳のわからん字を拝ますなって。


 日蓮門下は大聖人の書いたご本尊を本尊にすればいいんだよ。ほんと、馬鹿だね。


 一番まともなのは、法華宗本門流。ただしここも活気はないし、信仰が死んでいる。俺は尼崎・本興寺にも行ったが、その辺のお寺さんと雰囲気が一緒。というより、真言宗寺院の方が余程活気に満ちている。宝の持ち腐れだな。

 それと、本尊配置の形態。ちょっと複雑すぎないか?何を拝んでるか分からんじゃないか。堺・顕本寺なんかとても複雑だ。

 富士門流でも大石寺系列はご本尊とその前に法華経八巻を置いてるが、これは非常に理に適っている。

 昔はご本尊を隠すように大聖人の尊形をご安置していた時期もあったらしいが、それを改めたのは正解だと思う。

 時代、時代で教義も加上し、行体も変化するが、特に日蓮系は大聖人の深遠な仏法を理解していない僧侶がこれをするもんだから、各派の差が非常に目に付く。

 法華宗本門流に戻るが、日隆聖人が堺・顕本寺にあるような形態にしろとでも云ったのかな?アホが、勝手な造仏をするんじゃない。師を辱める行為じゃわ。

 まあ、兎に角、それぞれ長所・短所があって真義に近づけるには、富士と八品の教義を繋ぎ合わさなくてはならないと個人的には思っている。

 日蓮教団の寺院の数でいうと、身延系の寺院が全体の3/4を占める。身延は一致派の総元締めなんで、如何に庶民が本当の日蓮仏法を知らされていなかったか如実に物語っている。

 そう云う意味では、富士門流の仏法を広めた創価の功績や、八品派の教義を広げた本門仏立宗の功績は大きい。身延と違う日蓮仏法が真義なんだという布教活動に置いて。・・

 しかし、いい線行ってるのに、先に挙げた致命的な欠点を包含してるんだな。勿体無いよ、全く。これらの原因は何かって?決まってるじゃん。それは「欲」だよ。「欲」。

 例えば本門仏立宗を挙げると、本来八品派は貫主のみに本尊書写が許されていた。当時、日扇さんと本能寺・本興寺を中心とする八品派とは険悪な関係だった。

 「馬鹿馬鹿しい。苦労して教線を拡大して、何で檀林で学ぶことを拒否され、師匠を追い遣り、住職の任を解いた宗門に依頼せんといかんのだ」とでも思ったんだろう。

 その結果が、あの訳の分からん本尊が出来た原因さ。創価は他のサイトに一杯書いてるんで省略する。宗教を狂わす原因は、「功名心」「野心」「金儲け」「俺様は偉い」とかいう「欲」だよ。

 俺は思うんだけど、教団の合同が成らないんなら、心ある日蓮門徒が自分の心に寺院をつくり、それに当てはまる寺院のお堂なり祖師堂なりを拝めばいいんじゃないかな。

 俺なんか富士門流だけど、自分の法華信仰に不可欠な日隆聖人をはじめ、本能寺・本興寺の歴代住職墓には手を合わせるけどね。
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保田妙本寺を守れ!

2010-10-08 21:17:27 | 日蓮・富士門流
 保田妙本寺は富士門流最後の至宝である。にも関わらず、またしても「T本」なる如何わしさ満点の男が登場してきた。占術家として「T本」を観相するに、「こりゃあ、駄目だ」としか云わざるを得ないご面相だ。

 裏切り者に、この人相は多い。それと心相が曲がってるのがご面相にアリアリと窺える。妙本寺の住職さんも十分気をつけられたし!関わる人物で法を下げるし、自分も落とす結果になりますよ。御身を大切にされたし。

 創価学会のI氏死亡の後は、秋谷さんが保田妙本寺に行き、学会が外護しますと云えばいいのに。「T本」よりましだわ、学会の方が。早く動かないとえらいことに成るかも知れんな。えらい害虫が目をつけたもんだ。 


 「T本」の描く構図は保田妙本寺を第2の大石寺にする考えだ。治める中核には自分がきちんと鎮座してるんだな。彼が立ち上げているサイトを見たが、明らかにカルト性を帯びている。その点、学会はまだまし。信心も強盛だしね。I氏が死んだらもっとましになるだろう。

 これからが本当の富士門流大変革期でおもしろいのかも知れない。大石寺系譜が傍流になり、保田妙本寺系譜が正流と規定され(ほんとはそうなんだが)て、大石寺の貫主に保田妙本寺の住職が納まる可能性だって将来あるかも。

 宗教をめぐる権力争いも創価のI氏が死ねば若干落ち着くんではなかろうか?秋谷さんは甚だ常識人なんで、もっと長生きしてもらって、宗門回復に尽力して欲しいところだ。それと、今度そうなった場合、創価も変わらんとね。

 カルトちっくな方向性は採らず、大きな度量で改革に臨んでもらいたいものだ。しかし、これも保田妙本寺の住職さんの気持ち次第だからね。成るのも、成らないのも。・・・
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正統な富士門徒を目指すなら「保田妙本寺」はこれから注目されるところ

2010-10-06 12:08:42 | 日蓮・富士門流
 正統な仏法を鑑みれば、法脈というものは非常に重要である。サイトを覗くと非常に重要と思われる文が載っていたので、そのまま引用したい。

>大石寺と北山本門寺はなぜ袂を分かったのですか?

大石寺を開創した日興は永仁六年(1298年)二月に重須の地頭、石川孫三郎能忠が宗祖御影堂・天照太神垂迹堂を建立寄進したのを機に重須に移り初代住職になりました。
その後、民部日向の弟子だった寂仙房日澄が帰伏後に重須初代学頭になり二代目は三位日順が学頭になっています。

創建当時は同じ初代住職を日興が勤めたこともあり、その後暫くの間は両寺は良好な関係にありましたが、文明十四年(1483年)に大石寺と同じ日興門流の小泉久遠寺との間に「血脈相承」に関する論争が起きた際に、重須の日淨は小泉久遠寺の日郷の末流こそ宗祖日蓮・派祖日興の正嫡であると主張して小泉久遠寺を「正嫡」とすることに賛同した為、それが契機となって大石寺と袂を分ったようです。
大石寺では現在の北山本門寺を「重須談所」と称して、半ば大石寺の付属機関であるかのように言っていますが、「重須の寺」は檀那の地頭が南条氏ではなく石川氏であり、初代住職に日興が就任し学頭まで置いていますから創建当初から大石寺と同格の独立した本山格の寺院であると見たほうがよいでしょう。

その後重須の寺は永正十二年(1515年)日国の代に駿河国の太守、今川氏親の許可を得て正式に「本門寺」と名乗りました。

この大石寺と北山本門寺が対立する契機となった大石寺と小泉久遠寺との間に持ち上がった「血脈問題」とは、日興に大石寺を譲られた日目が弟子の日郷と日尊を伴なって「天奏の途上(京都の天皇に仏法を説きに行く旅の途中)」美濃国垂井で元弘三年(1333年)11月15日に遷化した為、その後、師日目の遺志を受け継いだ日郷・日尊は天奏を遂げ、その後、日尊は京都に残り要法寺系の初代となり、日郷は師日目の遺骨の一部を奉じて大石寺に帰りましたが、自らが師から後事を託されていたのに大石寺では既に新田氏の一族出身の日道が住職に就任していた為、師の留守中に勝手に住職に就任した日道を非難して、自らは日目の正式な跡目として大石寺蓮蔵坊に入り塔中の東側の大徳方の支持を得ました。

大石寺は西の大坊の日道と東の蓮蔵坊の日郷の二人の「法主」が並び立つ異常事態となったわけです。
後に大石寺側は「これは血脈問題ではなく、単に東坊地の所有権を巡る争いに過ぎない」と問題の本質を振り替えていますが、これは相伝には寺地の相続をともなうのは当然のことから、大石寺側の勝手な言い分に過ぎないようです。

その後、大石寺内の形勢が南条家出身の日道に傾いたこともあって、日郷は弟子を連れて飽く迄も師日目の正式な跡目として小泉久遠寺に入り、次いで安房国(千葉県)吉浜に法華堂を建てて、師日目から相伝した本尊、聖教類聚を奉安したのが現在の大本山保田妙本寺です。

日郷はとても公正に人物を評価することが出来た方だったようで、自分の跡目を南条時綱の子息である日伝に相承して、正平八年(1353年)4月25日に遷化しました。
日郷の遷化によって一旦は大石寺の跡目をめぐる「血脈相承」の問題は終息したかのように見えましたが、日目から日道への「血脈相承」はなんら外形的な証拠が無く、大石寺は「内付」であると主張していましたが、大石寺内でも日道が正嫡であるとこを訝る声が上がり、再び小泉久遠寺が血脈の正統性を主張するに及び、兼ねてから不信に思っていた重須(北山本門寺)の日淨は小泉久遠寺に賛同したと言う訳です。

この大石寺日道と日郷の其々の末流の対立は、その後70年余の長きに亘り、今日まで影響を及ぼし続つ゛けていることは、北山本門寺と小泉久遠寺がともに大石寺の「唯授一人血脈相承」を否定し、「本門戒壇大本尊」の絶対性を認めていない事からも理解できます。
また、日郷の末流である大本山保田妙本寺は、一時は創価学会の戸田城聖の働きかけにより日蓮正宗に属しましたが、鎌倉日桜師の代に、日郷師の遺風を仰いで大石寺と再び袂を分かちました。

私は院生時代に保田妙本寺に仕事でお伺いする機会を得ましたが、日桜師には進んで貴重な資料を提供くださり『万年救護大御本尊』を始め数々の重宝を目の当りにしています。

「日郷上人」以来の資料は、その全てが当時のものであり、何も飾らず有りの侭を後世の伝えんとした「日興上人」の謹厳実直な精神に触れる思いがしました。

鎌倉日桜師は「私のところは今の時代に何一つ隠し立てする必要はありません」と仰せになられたことを懐かしく思い出します。

それに引き比べて、本尊や古文書の調査を頑なに拒んで、それでも次から次へとボロが出る何処かの「総本山」とは比べることすら失礼かも知れません。
私は部外者の一人ですが、ひょっとすると「日目上人」の正式な跡目は「日郷上人」だったかも知れませんね。

『日興跡条条事』は改竄文書ですし『戒壇本尊』は「日蓮聖人」の図顕本尊ではないようです。


ご参考まで。
鎌倉日桜師には高僧に相応しく安祥として御遷化遊ばされたそうです。
(rsd37264さんがヤフーの知恵袋で回答した文です)





 次に紹介する文面も非常に興味深い。この「直人」さんという先生は凄いね。断りも無く勝手に掲載させていただく。(ほんと、すいません。)

What an endless road
日興門流教学教団史の解明を目指して…の直人さんのブログにも以下の重要な記載がある。

1. Posted by 誠人 2008年08月25日 22:21
直人様

この件は仰る通りかなと思ってます、巷間話題になっています大石寺の板曼荼羅の件も含め、深い再考・検証が必要であると思っています、特に大石寺は周辺の他門流から昔から「作り法門の寺」と云われていると保田・妙本寺の御住職が語っておられたのを聞いた事があります、ですから北山(重須)の「本門寺根源額」件もやはり?と云うのが実感です。
2. Posted by 直人 2008年08月25日 23:45
誠人さん、こんばんは。

気軽に「さん」でお願いします。

>大石寺…「作り法門の寺」と云われていると保田・妙本寺の御住職

妙本寺ではそう評されているわけですか。
私は妙本寺の方と交流がありませんから「作り法門」の定義が今ひとつ分かりませんが、初耳でした(よく似た評を聞くことはありますが、妙本寺ではありませんでしたから。)

ただ、大石寺にしてもその昔は偽書である各種相伝書を用いて自山の正閏性を示すことはなく、むしろ、『本門戒壇の大御本尊』を前面に出すことによって興門他派の相伝論を斥けんとしていたわけです(大石寺第十四代・日主師『日興跡条々事示書き』)。

>北山(重須)の「本門寺根源額」件もやはり?

これは上掲のものでしょうか。
重須本門寺にはこうしたものがもう一点あり、永仁六年の成立とされる『本門寺棟札』(『垂迹堂棟札』とも『本門寺根源棟札』とも称される)があります。これは本間日諄師の『日興上人の風光』にその写真が載りますが、永仁六年前後の日興文書、日興書写本尊の筆蹟を対照すると明らかに偽筆であることが諒解されます。

『本門寺棟札』については日妙偽作説もありますが、日妙書写本尊と対比したところやはり異筆で、重須本門寺の動向からして重須本門寺第三代・日恩師の頃の偽作だろうなと推考しています。

ちなみに『本門寺額』は日妙師かその周辺だろうと思います。
3. Posted by 誠人 2008年08月26日 00:55
直人さん
早速「さん」で呼ばせて頂きます、勉強不足で表現も曖昧で申し訳ありませんでした、「作り法門の寺」と云うのは直人さんが仰る通り、大石寺の正当性を示さんが為に戒壇様を含めた相伝書等々の事を指していると思われます、かつて私の友人が日蓮正宗を離脱後の千葉県保田の妙本寺を訪れた際に貫主の鎌倉日桜師が「大石寺はね、昔から『作り法門の寺』として有名だったですね。次々と自分たちで法門を作っちゃうんだから、ひどいもんですよ。」と語っていたそうです。
※本門寺根源額は本門寺棟札の勘違いでした、すみませんでした。
4. Posted by 直人 2008年08月26日 06:04
誠人さん、こんにちは。

>表現も曖昧

いえいえ。誰しも経験することですから気になさらる必要はないかと思います。

>鎌倉日桜師

参考になりました。
ただ、大石寺に限らず妙本寺や要法寺といった興門他派も同門先師の所論とは異なる教学意識を形成してしたことも事実ですね。

けれど、大石寺の宗祖本仏論なんかは妙本寺第十四代・日我師の教学意識を踏襲したものですから鎌倉師がそういう風に評されたのも何となく理解できます。


 ほんと、驚きです。正統な継承者なんて、何を今更って言われてしまいそうですが、仏法と云う意味において「法脈」は重要だと思うんですね。・・・

 正統な法脈を保田妙本寺とした場合、大方の富士門徒は傍流ってことになりますね。唯一無二と豪語していた血脈は嘘だったことになります。・・・いやはや驚きの一言です。
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国運回復と富士門流・日蓮教団の復興

2010-10-06 07:17:03 | 日蓮・富士門流
 国家にも「運」というものがある。何故未曾有の大不況に見舞われているかは、アメリカ・ユダヤ金融エスタブリッシュメントの暗躍が原因なのは、本当の政治・経済通の一致した意見である。しかし、これとは別に国運自体かなり低下しているように思われる。

 宗教から鑑みれば、これは富士門流の分裂が大きいように思う。日蓮さんの悲願は漸く20世紀に入って叶えられて来たっていうのに。僧俗和合が破壊された創価・宗門の争い。富士門流統一が成された感も一時あったが、これ以降分裂・争いは混迷を極めてしまった。三宝は釈尊以来、脈々と伝えられた仏教徒が尊崇すべきものであり、誹謗・中傷しても何の得も無い。魔王は天空から見て吃驚したんだろうな。「いかん!あんな成仏の法を世間に広められたら俺様はあがったりだ。何とか踏み潰さなくては」とね。

 学会や顕正会らが懸命に折伏を行っても功徳がイマイチなのは、宗門を度外視しているためだ。寺ってとこには護法の神や守護している歴代の僧侶・信者の魂魄が住まうところだ。どうしても無視できないものがある。信心で功徳を得るためには法脈という重要要素は不可欠なんで、俗だけの三宝無視は力に欠けるものとしか云い様がない。それを破壊した日顕の人相を見れば歴然としているが、あれを大悪相って言うんだ。

 
 富士門流が纏まっていた時、大石寺の参詣者は身延山久遠寺への参詣まで波及していた。そう、富士門流の門徒は日蓮教団という大枠で見ていた人も多いんだよ。創価学会が登山しなくなって以来、身延山の観光数が激減したんだ。日蓮教団全体で考えても損な話だったのである。
富士門流に身を置きつつも、他門流の見聞を広めることは勉強になるしね。当時の権力者に取り入り「法」を広めるためには一致教学に変遷せざるを得なかったことなんかも理解する機会にもなる。

 富士門流が以前の光彩を取り戻すためには、僧俗和合の信仰形態を取り戻し、各派ごとの連合は不可欠であろう。そのことが結局「国運」を回復することに繋がるんではないかと思考するところである。 
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私見、真義の日蓮義と今後の教団運営

2010-10-04 11:48:49 | 日蓮・富士門流
 私見でしかないんだが、自分が考える真義の日蓮教学を述べてみたい。結論から云うと富士門流を核とし、隆門の教学を枠組みしたものではなかろうか?と。・・・そういう意味で江戸期における勝劣派合同の檀林形態は真義に近いものであったと思う。次に法流を考えた日蓮義復興案を述べる前に主軸となる各派を検証したい。まず富士門流だが、寺院として大石寺・北山本門寺・西山本門寺・要法寺・妙本寺などが有名である。

 特に西山本門寺、妙本寺、大石寺の法脈が気になるところである。その中で教学的には大石寺に伝わる石山教学は削ぎ落としたい。何故なら、愚にもつかん板御本尊論や法主至上主義、カルト主義が蔓延している。

 板御本尊論に関して云えば、石山はよくもまあ、これだけ嘘八百並べ立てていると思うよ。この寺はもう駄目だな。創価学会にも見限られているしね。まともな人材も育成されて無いようだ。法脈で云えば、西山本門寺や妙本寺に期待を寄せるしかないだろう。

 ちなみに創価学会が学会員を三宝のうちの僧宝とするウルトラ説を俺は断固拒絶する。学会員は僧侶ではない!故に僧宝に非ず。仏法の道理に反した曲解、歪曲は日蓮仏法を破壊する。増上慢も大概にせい!どうせ池田大作仏法曲解論の産物なのだろうが、まさに知るべし、この人の後生はほんと良くないであろう。

 妙本寺の保田教学も種勝脱劣日蓮本仏論で石山と五十歩百歩であるが、まだ板御本尊論や法主至上主義がないだけましだろう。望みはまだあると思われる。富士教学はとどのつまり「種勝脱劣」から脱却しなければ、教線の拡大はもはや困難であるように思われる。

 ついでに本尊論でいうと「種脱一双下種日蓮本尊論」とするべきだろう。脱仏の仏宝は久遠の釈尊、下種仏の仏宝は日蓮大聖人で、末法下種を尊重する我ら日蓮門下は下段に日蓮と認められた大聖人ご図顕の大御本尊を本尊としますと規定すればいいと思う。

 日蓮仏法に一つの仏宝、一つの三宝で論を進めることは度台無理な話なのである。御書を読んで非常に難しく二律背反的な説明や論旨が多いのはこのためなのである。脱と種の両方を認めなくてはならない。これは大聖人が図顕された御本尊の描き方や意味においても云えることである。どうして今まで改編しなかったのか不思議なくらいである。話が脱線してしまった。本論に戻ろう。

 つまり昔の細草檀林の如く、勝劣派を中心とした教団運営の連帯を最初に目指し、西山や妙本寺を本山に富士門流信徒が檀家として所属。これを核として、八品派を取り込み、日蓮宗の合同を目指すのが理想的である。・・・・

 なんて、夢物語を語っているんだが、貴重な教えである日蓮さんの教えが個々の名誉心や金銭欲で庶民に普及出来ないなんて、ほんと嘆かわしい時代、事態になったよな。
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種脱相対と日隆聖人の偉大な功績

2010-10-04 08:10:29 | 日蓮・富士門流
 日蓮義において日隆聖人の功績は非常に大きい。日隆聖人が説いているのは、結局「種脱相対」のことである。当時、京都に進出した日蓮教団は天台宗の攻撃をかわすために、一致論に終始せざるを得なかった。

 日蓮義の特色が「種脱相対」にあることは、宗旨を尊ぶ僧侶にとって当たり前だったんですね。しかし、布教において本当のことが中々言えない。そりゃ、そうですよね。「あんたらがやっているお念仏や禅、真言教は成仏の種にならないんですよ」何て言えませんよね。

 昔は宗旨、宗教に命を張ってたんで、殺されかねません。実際、大聖人ご在世当時のご苦難はもとより、宗史に残る数々の弾圧では殺害、流罪、放火、拷問が多数あります。これが同じ仏法を信じている人間に対して行うことか?と目を覆いたくなる有様です。

 弾圧する人も自分が正法を抱いていると頑なに信じているわけですから、自分が信奉している宗教を批判する日蓮教団に対しては蛇蝎の思いを禁じえなかったんでしょうね。そういうことで、布教はどうしても「種脱相対」を全面に出せない。弱いトーン(一致)にせざるを得なかった。

 そういう中で宗旨がはっきりしなくなってきたんですね。京都の日蓮教団にも権門出身の僧侶が数多く入り、教学の混乱や宗義が廃退してきました。そんな中で登場したのが日隆聖人だったんです。宗風回復には現れるべくして、現れた人だと思います。

 日隆聖人の著作は膨大なもので、中心テーマとして「種脱相対」を述べているんですね。明確に。日蓮宗にいながら一致教説の呪縛にはまった同じ同門をこれ以上増やさないため、明確に枠組みをつくらないといけないと考えたんでしょうね。当時の人もこれらの著作群の貴重さを知って、厳重に保管・管理してきました。

 日隆教学は現在でも光彩を放っています。所謂富士門流が持ち出している「種勝脱劣」に既に550年前に「種脱一双」を掲げ、違う論旨でもってこれを抑えています。「種勝脱劣」にすると法体に整合性がなくなるんですね。「実は未来に出てくる日蓮という坊さんが私より偉いんだよ」って釈尊が説けばいい話で。・・・・(そんな、アホな!笑)

 創価学会の勧誘なんかでも、賢いことを述べ立てているのに、何か腑に落ちない抜けた理論だな?って思うのは「種勝脱劣」を言い出したり、ロジックを捻じ曲げて結局、ディベートみたいに押し切るからです。

 日隆聖人の教学は日蓮義を内部から発生する異義から守る役割があると思う。まあ、教学における一種の耐震フレームじゃないかと考えています。大聖人が説く第三の法門は「種脱相対」に違いないが、それは天台が説く師弟遠近不遠近を熟脱と下種の2つに立て分けた教相であって、「種勝脱劣」でもって「種脱相対」を説くべきではないでしょうね。

 日隆教学が打ち出された背景には、当時の富士門流僧侶との交流があるでしょう。前にも書きましたが、八品派は富士門流出身の僧侶が日隆聖人に伝法して成立しています。(興門下、日華上人の流れを汲む)これから考えて、「種勝脱劣」の教義は後世富士門流僧侶の加上により成立したものであると思われます。でなければ、日隆聖人の著作群にそれを検証していないはずはないのです。

 正しい日蓮義を広めるために身命を賭して求法し、布教した日隆聖人にほんと敬意を表します。

 
コメント (1)
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日蓮教団色々話

2010-10-01 08:46:33 | 日蓮・富士門流
 日蓮さんの真義、それは薄皮一枚の暗いベールで覆われているように思えてならない。とどのつまり、ネット上で日蓮門下が旺盛な意見交換を行うのも直感的に真義を知ろうとする求道心の発露ではないかと思われる。

 そこで、日蓮さんの実際の教法、行体とは如何いうものであったか推測して行きたい。まず袈裟・衣であるが、これは富士門流に軍配が上がるものと思う。富士以外の日蓮教団が用いる金ぴかで派手な衣装は、当時とはかけ離れたものである。

 お勤めであるが、これも富士門流に軍配が上がる。日蓮さんご在世当時より、方便・寿量品が中心であった。身延系なんかは凄いなあと関心する読経の量である。

 ご本尊観であるが、これも富士門流に軍配が上がる。日朗とか日向が書いたご本尊が現存しているが、日興のものと比べて格段に見劣りする。決定的に違うのがお題目を書いた下段に、日興は先師の法名をデカデカと書いているが、他の2師は自分の法名を書いている。

 ここは重要な部分ですよ。つまり、日興以外きちんとご本尊の意義を理解していなかったんですね。日朝なんかは遊学を熱心にしてその非を知ってか、お題目の下段には「日蓮大聖人」と書いてます。(偉い!)

 ご本尊である「南無妙法蓮華経如来」を拝むわけですから、上行菩薩の化身であり自受用身如来である「日蓮」が下段にあって始めて意味が成立するんですね。即ち「日蓮」とは「如来」の意味です。そのためか日蓮さんは花押に一字金輪の梵字を混ぜたものとか使用しています。

 「凡」即「仏」が日蓮教学の真骨頂ですが、弟子たちは中々理解出来なかったんでしょうね。「師匠が下段に法名を書いてるんで、その通り真似て・・・」ときちんとした教えを受けてなかったんでしょう。

 伝わっている先師の法門類ですが、これは明らかに常門に軍配が上がります。富木常忍への信頼度の表れでしょうか。日蓮重要文書の宝庫ですからね中山法華経寺は。

 聖人が亡くなって一番人材が豊かだったのは興門です。日興は弟子に非常に厳しい一面、弟子育成に熱心だった。名だたる僧侶が日興門下に名を連ねている。これは日蓮さんの後継者と目されていた何よりの証拠でしょうね。ここは富士門流に軍配が上がります。

 宗義の特色で一番目を引くところは日蓮教団では何処か?種脱論を昔から喧しく云っていたのは富士門流です。少し遅れて隆門も言い始めました。他の日蓮教団はここほど活発ではなかったようです。

 近年、身延系も種脱論に目覚めて「種脱一双」を建前として昔ながらの「一致派」の歴史を覆い隠しています。「種脱論」こそ日蓮仏法の根幹でありますから、それが近年盛んになった原因を探らなくてはなりません。

 実は創価学会の影響が大きいんですね。昔、北海道小樽で日蓮宗僧侶と学会員とで法論での諍いがありました。ここでは理路整然とした議を尽くした法論ではなかったんですが、結果的に日蓮宗は大きな恥辱を蒙りました。これを「小樽問答」といいます。

 ここでの日蓮宗側の反省は「種脱論」をきちんと理解していなかったことだったんです。江戸時代にも同じような問答がありました。「砂村問答」と云われるものです。身延一致派に対する富士門徒の論戦は白熱を極めたそうです。

 所謂、「勝劣派」に対する「一致派」の論戦は日蓮教団の歴史には数多くあります。八品派の派祖、日隆も月明との問答後刺客に襲われました。昔は問答も命がけだったんですね。特に富士門流の種脱論を根底にした法義は錐のような鋭さを持ちます。富士門流から派生したと考えられる八品派の法義も精密で理路整然とした立派なものです。

 「一致」とは寛容なからボヤケタ思想が背景にあるんで、論戦になると一致派は負けるんですね。大体が。・・・何はともあれ日蓮宗の教学が種脱論に目を向け、富士教学に反駁するいい動機に「小樽問答」の存在意義があったと云えるでしょう。

 現在、同じように創価学会と日蓮宗が論戦したら、どちらに軍配が上がるか?貴方はどちらだと思います?
恐らく勝負はつかないと思います。富士門流が金科玉条の如くに挙げていた「本因妙抄」と「血脈抄」の真蹟が出現しない限り無理です。(まあ、絶対ないでしょうけど。笑)多くの学者がこの二抄に科学のメスを入れています。

 昔と違い、論証も随分と整備されてきました。興門信者から日蓮さんの真義とされていた富士教学も実はかなり欠点を抱えていることが判明しています。まず教学で云えば「種勝脱劣」です。先程挙げた二抄は「台当勝劣」で、時代により衆生の機根が変わるんだから、末法の機は日蓮義にあり!としています。

 大方の日蓮教団はこの意見を持つので問題はないんですが、富士門流だけは「種勝脱劣」なんですね。早い話、「この信心をしている俺様の方が、お釈迦様より偉いんだ!」って話です。このロジック可笑しくないですか?

 何だかんだ云っても、富士門流の特色は「種勝脱劣」です。ここを突くんですよ身延日蓮宗は。まあ、尤もですけどね。対して身延日蓮宗は「種脱一双」です。(いつの間にか一致は辞めちゃった見たいですけど。(笑)まあ、正確に身延系の学僧らの文献を読めば「種脱一双には違いないですけどね。(日蓮仏法は下種仏法であるという前提は日蓮各派共通の認識であると考えて。・・・)

 日隆は種脱論を掲げているが、富士教学のように「種勝脱劣」ではなく「種脱一双」なんですね。富士門流と同じ種脱論重視なんですが、法体を別々にする矛盾に気づいていたわけです。(賢い!)流石に天下に名だたる法華の学匠だけあります。

 今は日蓮教団の僧侶、学者も種脱論に関してはよく勉強されています。(ということで、自分の宗旨の特性も熟知しており、かなり深く教学を学んでいる。)富士門流や創価学会の誤った教学、ロジックへの批判論説も的を得たものであります。

 偏った日蓮教学でない、真義の日蓮宗が教団全体から誕生することを希望します。

  
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