実は他宗(一例を挙げると浄土系)の僧侶でも法華経に成仏の法があることを知っている者がいてる。しかし、言わないんだな、公けには。何故なら自分らの飯の食い上げになるからだ。日蓮教団では、身延日蓮宗に身を置きながらも、その実自分の信仰として興門流を是としている僧侶もいてる。(現証も言わないよ。特に悪いことは。笑)
いてるが言い出せないんだな。身延の場合一品二半を尊重し、そこに文底秘沈も見出して本勝迹劣を一往は認めてはいるんだが、再往では一致としており、これが教学の伝統として保持してきた歴史があるんで可笑しなことが言い出せないわけだ。
まあ、俺も僧籍を持っていたんで分かるんだが、宗門にいて師僧に反逆することは許されない。まして宗門に歯向かうなんて絶対不可能である。(破門です。破門。・・・笑)
師弟関係がそのまま生活に直結してるなんて可笑しな話ですけどね。実際そうです。これは。
例えば富士門流の種勝脱劣なんか誰に聞いても可笑しいと言うよ。日蓮>釈尊という構図は仏法の理論上成り立たない。そんでもって日蓮本仏論でしょ。日蓮=釈尊となる。末法では本未有善の衆生が充満してるから、下種仏法が時期として適当で勝ってるとするのが正解だろう。
ご本尊を読み解けば分かるが、内用において大聖人は久遠元初名字の仏と表し、外用は天台・伝教の弟子菩薩として表している。中心の意味は下種仏をご本尊は表すが、同時に究極の脱仏である久遠実成釈尊を表しており、内用・外用両方の義が存在している。
因果倶時不思議の妙法とはよく云ったもので、末法下種の本尊を形態化するには妙法曼荼羅にしないと困難なのである。話がご本尊に行ってしまったが、何を言いたいかというと日蓮本仏論は間違いで、それを言うなら日蓮本尊論でしょ!ってことを言いたいんだ。
でもこんなこと大石寺の僧侶らもぶっちゃけ分かってると思うよ。わかっちやいるけど、止められない、ってか。(笑)そりゃそうでしょ。宗史・宗学の大きな功績を残した高僧を否定するようなことが出来ないんです。これは身延日蓮宗と同じです。
それぞれの宗派は大きなしがらみがあって中々に改革するのは難しいんですよ。
いてるが言い出せないんだな。身延の場合一品二半を尊重し、そこに文底秘沈も見出して本勝迹劣を一往は認めてはいるんだが、再往では一致としており、これが教学の伝統として保持してきた歴史があるんで可笑しなことが言い出せないわけだ。
まあ、俺も僧籍を持っていたんで分かるんだが、宗門にいて師僧に反逆することは許されない。まして宗門に歯向かうなんて絶対不可能である。(破門です。破門。・・・笑)
師弟関係がそのまま生活に直結してるなんて可笑しな話ですけどね。実際そうです。これは。
例えば富士門流の種勝脱劣なんか誰に聞いても可笑しいと言うよ。日蓮>釈尊という構図は仏法の理論上成り立たない。そんでもって日蓮本仏論でしょ。日蓮=釈尊となる。末法では本未有善の衆生が充満してるから、下種仏法が時期として適当で勝ってるとするのが正解だろう。
ご本尊を読み解けば分かるが、内用において大聖人は久遠元初名字の仏と表し、外用は天台・伝教の弟子菩薩として表している。中心の意味は下種仏をご本尊は表すが、同時に究極の脱仏である久遠実成釈尊を表しており、内用・外用両方の義が存在している。
因果倶時不思議の妙法とはよく云ったもので、末法下種の本尊を形態化するには妙法曼荼羅にしないと困難なのである。話がご本尊に行ってしまったが、何を言いたいかというと日蓮本仏論は間違いで、それを言うなら日蓮本尊論でしょ!ってことを言いたいんだ。
でもこんなこと大石寺の僧侶らもぶっちゃけ分かってると思うよ。わかっちやいるけど、止められない、ってか。(笑)そりゃそうでしょ。宗史・宗学の大きな功績を残した高僧を否定するようなことが出来ないんです。これは身延日蓮宗と同じです。
それぞれの宗派は大きなしがらみがあって中々に改革するのは難しいんですよ。