気まぐれ20面相

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小説「PSYCHO-PASS 0 名前のない怪物」の感想を書こうと思うのだが…

2013年05月17日 | 小説感想


「感想が出てこない」

この本を読み終わって出てきた心の中の第一声がこれだ。
とは言ってもつまらなかったわけじゃない。
殺人の手口と表現方法は見事なものだったし
主人公の「狡噛慎也」とその部下「佐々山」の心のすれ違いや
溝を埋めるまでの心理描写は、とてもよく描かれていたと思う。
「面白かった?どうだった?」と聞かれたら
「すごく面白かったよ」と即答できそうだが
どう面白かったの?と聞かれたら返答に困るのが率直な感想だ。
感動もしなかったし怒りも湧かなかった、満たされもしなかった
あえてこの作品を一言で表わせと言われたら
「つかみどころがない」が一番近いと思う。

その理由はおそらく
この物語が何を成し遂げたわけでもない不完全燃焼だったからだろう。
そもそもこの小説はTV版に状況を引き継ぐための補完の話なのだから
そこはしょうがない。
なまじ先にTV版を全話見てしまったオレも悪い!
というわけで、感想は出てこないのだが
気になった部分は3箇所ほどあったので
少し書き留めてみようと思う。

1、「刑事の勘」について

まずこの話はどんなものなのか
軽く説明しておこうと思う。

時は西暦2109年。人の心の内を完全に数値化、色相判別化できるようになり
犯罪が起こる前に対処が可能となった
実質「犯罪0」の社会
そんな社会で起こりえないはずの「殺人事件」が起きてしまった。
しかも殺人内容は異常な猟奇的手法であり、すぐさま警察が調査を開始。
刑事課に所属する「狡噛」とその部下「佐々山」、彼らの視点を通して
事件の謎にせまるという内容の小説だ。
説明するまでもないと思うが
TVアニメ「PSYCHO-PASS」1話に至るまでの過去話でもある。
ついでに原作者は、かの有名なバッドエンドの申し子「虚淵玄」である。

刑事モノということもあり
この小説でも「刑事の勘」という言葉が頻繁に登場する。
一言で言い表すなら「事件や犯人に近づく一手を直感的にひらめく能力」
といったところだ。
個人的にはアニメや漫画を見てるときに
次の展開はこうじゃないかとひらめき、ずばり当ってしまう能力に
近い気がする。
要するに理屈や過程をすっ飛ばして事件の真相にせまれてしまう
常人からしてみれば「魔法」や「チート」に近い能力だ。

この能力は実に脚本家「虚淵玄」らしくない設定だなと思う。
彼の今までの脚本にも奇跡や魔法などという言葉はでてきてはいたが
それにすら「リスク」が付いていて
なんでも叶う都合のいいものではなく、使ったらマイナスも背負う
相対的なシステムだった。
というより最終的にマイナスで終わるモノだった…

けど「刑事の勘」という能力は
そこに至るまでの経験はあれどリスクは見受けられない。(*執行者落ちはリスクではない)
そういったものを前面に出して物語を進めていくというのは
この人にとっては珍しいものだと思った。(この人の作品「まどマギ」と「fate/zero」しか知らんが)
だって、こういう能力は使い勝手がいいものだ。
八方塞でも勘で動いて、手がかりをつかむ展開にも持ってきやすい。
オレが知らないだけで、こういうの好きな人だったのか
それとも新たな試みということなのかな?

2、子供と大人の境界線について

執行官「佐々山」とヒロイン(?)の女子高生の会話の中で
「大人は自分達の作り上げた安全地帯に踏み込まれるのがイヤだから
すべて分かってるフリをして話す。子供に
お前達じゃまだ勝てないよ、子供にはまだ早いよと思わせるように」
というようなものがあって、なるほどなと思わされた。
要は「世の中ってのはそういうもんだ」なんてセリフなどがそれに当たるのだろう。
ここでいう「安全地帯」とは大人にとって子供に見せたくない汚い部分、
そんな真実を子供に探り当てられるのが
怖いから大人は境界線を作って子供を遠ざけるらしい。
この発想はオレの中にはなかったものだ。

ちなみにオレは
「大人は自分達の積み上げてきた価値観を壊されたくないから
子供を下に見てやりすごす」
のだと思っていた。
大人が今まで生きてきた中で、正しい、当たり前と信じて固めてきた価値観が
子供達の世代にはまったく別のものになっている事がある。
それを見ないようにしてきたのに
子供たちが入ってくることで無理やり見せられたなら
ダメージはでかいだろう。
だから自分は正しいと思い込みたいために
子供に「ああしろ、こうしたほうがいい」と口やかましく言うのだと思う。

どちらの発想が正しいかなんて事は言わない。
ただ、自分の中に新しい発想を取り入れることができたのは
とてもラッキーだ。
こういうときは宝を掘り当てたみたいで、とても得をした気分になる。
本を読む楽しみのひとつだ。

3、狡噛の殺意について

最終的にこの物語は
部下の佐々山が変死体で発見され
上司である狡噛慎也は怒り、「殺意」を抱くことになる。
しかし殺意を向ける対象が佐々山を殺した犯人でなく
犯人に殺人手段を提供していた「マキシマ」に向けられることが
どうにも府に落ちない。

例えを示すなら
身内が通り魔に「包丁」で殺され
その凶器の包丁はスーパーで買ったものとした時
身内を殺された残りの親族は犯人を恨むのではなく
包丁を売ったスーパーの店員を恨み、復讐を誓うようなものだ。
普通、そうなるものだろうか…
犯人を恨むのは当然のことだが、売った店員を恨むことは稀な気がする。
しかも一度も顔を合わせたことのない人物をだ。

100歩譲って佐々山の置き土産と受け取り、元凶を捕まえる決意を固めたとしても
「殺意」とは少しちがうのではないか?
まあ理解はできなくもないが、納得もできないところだ。

「感想がでてこないよ~」と言いながらも
ダラダラとこれだけの意見が出てくるのだから
有意義だったことは間違いないと思う。
そんなわけで、このような考察の楽しみを与えてくれたこの本に
最後、感謝の一言を述べて、この感想を終わりにしたい。

「ごちそうさまでした」


<おまけ>



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