<ルポ:現在の一已兵村(平成23年7月)>
一已兵村を訪問するに際して、雨龍屯田兵(一已、納内、秩父別屯田兵)が分け入った経路でもある上川道路(現国道12号線)から、滝川、音江に抜け、石狩川を渡り深川に入る経路を選んだ。
この経路は、雨龍の屯田兵だけではなく、上川の屯田兵(永山、旭川、当麻屯田兵)も音江から神居古潭の峡谷を通り、忠別太(現在の旭川の中心地)を経由し夫々の兵村に入植している。
音江法華の駅逓があったという音江とはどんなところだったのだろうか。また、当時屯田本部長であった永山武四郎が雨竜原野を眺望し、屯田兵の設置を考えたという国見峠から、一已、納内、秩父別兵村の姿を自分の目で確かめてみたいという願望もあった。
国見峠からの眺めのすばらしさは、当時上川街道随一といわれただけのことはある。眼前には石狩川が蛇行しながらゆったりと流れ、その川岸から右手納内方向には整然と区画されたみどり豊かな田園風景が、前方の山(コップ山)の山裾まで続く。目を転じて一已方向は田んぼと住宅が混在し、されにその奥には秩父別がかすんで見える。
まさに絶景である。
「音江法華駅逓」
「国見峠からの眺め(納内方向)」
「国見峠からの眺め(一已~秩父別方向)」
一已に到着して最初に訪ねたのは『拓魂碑』である。
V字型の巨大なモニュメントが天空を仰ぎ、鍬を斜に担ぎ、今まさに振り下ろさんばかりに構えた逞しい屯田兵の像。台座には入植、日露戦争への出征の情景を刻んだ彫像がある。
今までに道内37個兵村、全ての屯田兵村を訪ね歩いているが、この様に壮大な造形物はここにおいて他にない。ただ大きいと言うだけではなく、屯田兵による開拓物語綴る碑でもある。
拓魂碑は昭和44年5月11日、北海道開道100年を記念し、屯田兵とその家族の偉業をたたえるために建立されたものである。
この碑の前で行う『拓魂祭』は、今年(平成23年)で42回目を迎えるが、深川市長、秩父別町長をはじめ、町の主だった方が出席する盛大な記念祭であり、雨竜屯田兵子孫の団結力の強さを感じる。
「拓魂碑」
「屯田兵の像」
この『拓魂碑』がある場所の南側に大隊本部、3、4中隊本部等主だった施設が配置されていた。通常であれば、この付近に番外地と呼ばれる商業施設が立ち並んだはずであるが、一巳の場合は、屯田兵村のはずれというべき場所(現在のJR深川駅付近)にそれらは配置されていた。ここに、一巳兵村の特色がある。
一巳屯田兵の入植した明治28年には、もう既に、深川村が開村しており、解散した華族農場の後を継いで多くの開拓団体、開拓民が入植し、物流の中心として深川村が存在していた。現在の深川市は昭和38年に行われた深川、一已、納内、音江との合併により出来上がったが、稲作を産業の中心とした4町村の集合体である。
今回、この地を訪ねた時、会長のH氏、前会長のK氏、以下7人の一已屯田会の皆様からお話しを聞く機会を得た。北空知は上川と並び称される米どころであり、一巳地区には北空知農協の主要な施設が設置され、米を中心とする域内の農作物が集荷、保管、出荷する管理機能を担っている。過去から現在に至るまでその役割を担う多くの人材が一巳から排出のも事実であり、一巳は北空知の農業における盟主的な存在であると聞いた。
一巳屯田兵子孫のうち、現在も農業を経営している戸数は24あるという。この数は、一部市街地化した一已にあって、多・少の判断はできないが、未開の地を切り開き、鬼とまで例えられる位い稲作に情熱を傾けた先人の孫、曾孫の皆さんである。彼ら24人の人達が一已屯田兵の伝統を受け継ぎ、全国にその名を誇る北空知米を守り続けている。
昨今の情勢をみると米農家は大変な様であるが、屯田兵魂とでも言うべきチャレンジ精神でこの難関を乗り越えてくれることを期待したい。
「一已屯田会の人達」
面談の後、案内されて深川マイナリー、ライスターミナルなどがあるJAきたそらちで米についての話しを聞き、その後、石狩川頭首工を見学した。
農業に無知な私であるが、少しだけ米づくりのこと、北海道における米の生産の現状が分かった。そして、現場の稲作農家にとって一番大切なものは田であり、その田に必要なものは水である。管理された水がなければ稲は育たない。ここ一已においても、稲作で自立できるまで要した数十年の歳月は、水との戦いであったという史実の裏付けを現地で確認出来た。
「JAきたそらち」
「深川マイナリー」
「ライスターミナル」
「深川のお米」
「北空知頭首工」
「石狩川付近の田園風景」
一已の人達は屯田兵の伝統とともに、屯田兵の入植とともにもたらされた郷土の芸能をしっかりと保存している。その一つにあるのが、深川市の重要無形文化財第一号に指定された「猩々獅子五段くずし」という獅子舞の保存である。
この獅子舞は香川県出身の屯田兵である八代十吉、松本弥吉、正田筆吉らが、屯田兵の兵役を終え故郷に錦を飾った折に、郷里の讃岐地方に古くから伝わる獅子舞を一已へ持ち帰り、大国神社の例大祭で披露したのが始まりである。現在は地域の人達に愛される伝統芸能として発展・受け継がれている。
「猩々獅子五段くずし」
今回集まってお話しを聞かせて呉れた一已屯田会の人たちに「雨竜(一已、納内、秩父別)屯田兵にあって一已はその兄貴分的な存在に感じる」。と話した時、「そんな事はない無い」。と答えられたが、やはり、その様な気がしてならない。
「丸山から眺める一已の田園」
「一已兵村の景観」
「道の駅深川ライスランド」