中田真秀(なかたまほ)のブログ

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研究と芸術における技巧と美しさ

2012-02-26 06:44:03 | 日記
Micheal Jacksonを調べていて、声が男性にしてはあまりにも高いことが気になった。調べると以前からカストラート(去勢歌手)ではないかということは指摘されて続けてきているようである。では、カストラートとは何か。簡単にいうと、男性のソプラノは声変わりとともに消失するが、声変わり前に去勢することでそれを抑制することができる。それを施した歌手のことである。最も有名なカストラートはファリネッリ(カルロ・ブロスキ)であった。兄はリカルド・ブロスキ。兄がファリネッリを幼いときに去勢したといわれている。兄は二流の作曲家であり、ファリネッリは兄の曲をずっと歌わされていた。一方でヘンデルはファリネッリを拒絶しつつも彼の美声に参ってしまい、オペラを作った。

ファリネッリは才能に恵まれていた為、兄の作るオペラが技巧ばかりで音楽的な美しさにかけることに不満を抱く。そして葛藤を抱えながらも、ヘンデルのオペラ「私を泣かせてください」(Lascia ch'io pianga) を歌う。

二つを聞いてみよう。
* Son qual nave ch'agitata - Artaserse (1734) de Riccardo Broschi. Farinelli.
* Handel - Farinelli - Lascia ch'io pianga (Derek Lee Ragin +Ewa Mallas Godlewska voice)

前者は兄、後者はヘンデルのものである。技巧をこらした兄のオペラは凄みが伝わる。一息で長く声を出したり音程を1オクターブも上下させたり、スタッカートが多くあったり。ただ「詰め込み過ぎ」なのは明らかで、よく聞くと美しいのか、というとわからない。ヘンデルのは美しい。短くとも心を打つ音楽である。寂しげな中にのびのびとして一瞬明るくもある。

研究においても、あらゆる技巧を尽くすというのはすごみを感じるが面白くない。美しいというのは科学があるというべきだろうか、そういう研究をしたい。

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