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iPhone5sが故障してしまった。機内で電源を落とし、しばらくして入れた瞬間立ち上げ画面がでてきて、少ししたらそのまま暗転。その後何もできなくなった。で、クイックガレージに持っていったら、取り替えてもらった。こんなのことは珍しいとのこと。
前に使っていたiPhone5sが、iOS7.1にアップグレードした時から突然電池の消耗が激しくなり困っていた。ものすごく熱くなるし、電池を取り替えてもあまり効果がなかった。何度もアップル関連の店に行っておかしい旨いってたのだが、結局「これすると少し良くなるよ」程度のこといわれいつもお茶を濁されていた。教えてもらっていた対策もそれほど効果なく、イライラしていた。
で、新しいのになると電池のもちも全く違う。冷たいくらいである。
やっぱりあれはそもそも初期不良で電源を多量に消費するようになってたのか。結局取り替えてもらえてホクホク。助かりました。
前に使っていたiPhone5sが、iOS7.1にアップグレードした時から突然電池の消耗が激しくなり困っていた。ものすごく熱くなるし、電池を取り替えてもあまり効果がなかった。何度もアップル関連の店に行っておかしい旨いってたのだが、結局「これすると少し良くなるよ」程度のこといわれいつもお茶を濁されていた。教えてもらっていた対策もそれほど効果なく、イライラしていた。
で、新しいのになると電池のもちも全く違う。冷たいくらいである。
やっぱりあれはそもそも初期不良で電源を多量に消費するようになってたのか。結局取り替えてもらえてホクホク。助かりました。
青色発光ダイオードの赤崎勇教授、天野浩教授、中村修二教授がノーベル賞をとった、ということで日本人にとっては嬉しいニュースだったが、中学生の頃三洋電機の新商品として父(Nakata Toshitake)が自らが開発したもの持ってきたのを見たことがあった。青と白の光は子供心に綺麗に見えた。その後、日亜から青色LED実用化といわれた。すでにやっていたはずでは、と思っていたし、三洋が開発続けていると思っていた(が実際は辞めていた)。いずれにせよ世界初めてのフルカラーLEDランプの開発をしたのは三洋電機だった。そしてその開発の中心にあったのは父だった。そのことはほとんど知られていない。もちろん三洋のLEDは発光輝度についてはSiCを用いているため、GaNに比較して二桁くらい小さい。従ってレーザー発信などには使えないため、GaNに及ぶべくもない。ここで言いたいのは名前くらい触れられててもいいんじゃない、程度のことである。
三洋が青色LEDとフルカラーLEDランプを開発し、アナウンスしたのは1989年のことで、中村修二氏が開発を始めたときと合致する。つまりその頃にはおそらく知っていたはずである。ただ、彼らはSiCではなくGaNを用いたところにあるし、SiCは間接遷移、GaNは直接遷移によって発光することで、輝度が二桁違うことはある。
文献は
がある。特にI/Oの1989年6月号には綺麗な写真載っており 興奮と驚きをもってSiC青色LED、フルカラーLEDが見られていたことはよくわかる。
残念ながら父はこの報道の直後イオン工学研究所に出向し(組合活動について、と太陽電池との派閥争いなどがあったらしい)、青色発光ダイオードの開発はやめさせられ、事実上開発はストップした。父が開発の中心にいたというは、客観的に見ても三洋からはその後まともに論文が出ていないことからもわかる。ただ、LEDには興味を持っていたようで、青色LEDはどこまで可能か?--SiCで実用化,他材料でも挑戦つづく (マルチメディア・情報通信時代のキーデバイス--94年のディスプレイ革命<特集>) 新名 達彦, 松下 保彦 エレクトロニクス 39(3), p60-63, 1994-03 が出版されている。
だが、「青色LEDはどこまで可能か」がでた1993年は新名さん、松下さん、三洋にとっては悪夢だっただろう。
日経産業新聞が徳島支局発のニュースとして,日亜化学工業が青色LEDの開発に成功したことを報道したのは1993年末だからだ。
三洋もイマイチ何をしたいのかわからなかった。青色LEDの開発のキーパーソンを出向させ、開発をストップさせた。もしかしたら父がいればGaNにはかなわなかっただろうが、SiCであと十倍くらいの輝度はできたのではなかろうか。それにGaNについても輝度が高いはずというのは解っていたから、もし三洋に残って研究を続けていれば、実用化という意味では中村さんに先駆けて開発できてたかもしれない...その後、サンヨーはパナソニックに吸収され、その歴史を閉じた。
父のCREEへの転職話もあった。単身赴任または家族での移住の決断は難しかったようだ。母は英語が苦手であるし、アメリカにはいい思いを持っていない(祖父は朝鮮総督府で働いていたそうで、戦後命からがら鹿児島に引き上げてきた)。そして、その後の身の振り方もあまり上手ではなかったように思える(何年もやさぐれてた)。博士号もとってない(阪大で公聴会まで決まってたのに横やりが入ったらしい)。地方国立大くらいに公募にだしたら研究は続けられたんじゃなかろうか。あの頃はバブルでポストも今より潤沢だったので、何かしらあっただろう。
重要なテーマは競争が激しい。社会や会社で生きてゆくのも難しい。栄光をつかむには能力だけでなく様々なものが必要なのだろうなと思わされた。ただ、科学者、工学者、彼らの名誉、そういった意味では、青色LEDの歴史の中で一言、名前くらいは触れられても良いだろう! 僕も研究において、歴史修正主義者にずいぶん悩まされた。いずれにせよ、父の話は成功したわけでもなく、ちょっとうまくいきかけたが、色々あってうまくいかなかった、みたいなしょっぱい話である...
三洋が青色LEDとフルカラーLEDランプを開発し、アナウンスしたのは1989年のことで、中村修二氏が開発を始めたときと合致する。つまりその頃にはおそらく知っていたはずである。ただ、彼らはSiCではなくGaNを用いたところにあるし、SiCは間接遷移、GaNは直接遷移によって発光することで、輝度が二桁違うことはある。
文献は
- SiC青紫色発光ダイオ-ドの製法と特性(1989)
- Single Crystal Growth of 6H-SiC by a Vacuum Sublimation Method, and Blue LEDs(1989)
- 高光度SiC青色LEDの開発とフルカラーLEDランプへの応用(1989)
- Fabrication of SiC Blue LEDs Using Off-Oriented Substrates (1990)
- フルカラー発光ダイオード&青紫色LED I/O 1989年6月号
- RGBマルチカラーLEDディスプレイの開発 : 発光型ディスプレイ関連 : 情報ディスプレイ (1993)
- 青色発光ダイオードと世界初のフルカラーLED ランプを開発(パナソニック社からサンヨーの社史より、1981とあるが1989の間違いだろう)
がある。特にI/Oの1989年6月号には綺麗な写真載っており 興奮と驚きをもってSiC青色LED、フルカラーLEDが見られていたことはよくわかる。
残念ながら父はこの報道の直後イオン工学研究所に出向し(組合活動について、と太陽電池との派閥争いなどがあったらしい)、青色発光ダイオードの開発はやめさせられ、事実上開発はストップした。父が開発の中心にいたというは、客観的に見ても三洋からはその後まともに論文が出ていないことからもわかる。ただ、LEDには興味を持っていたようで、青色LEDはどこまで可能か?--SiCで実用化,他材料でも挑戦つづく (マルチメディア・情報通信時代のキーデバイス--94年のディスプレイ革命<特集>) 新名 達彦, 松下 保彦 エレクトロニクス 39(3), p60-63, 1994-03 が出版されている。
だが、「青色LEDはどこまで可能か」がでた1993年は新名さん、松下さん、三洋にとっては悪夢だっただろう。
日経産業新聞が徳島支局発のニュースとして,日亜化学工業が青色LEDの開発に成功したことを報道したのは1993年末だからだ。
三洋もイマイチ何をしたいのかわからなかった。青色LEDの開発のキーパーソンを出向させ、開発をストップさせた。もしかしたら父がいればGaNにはかなわなかっただろうが、SiCであと十倍くらいの輝度はできたのではなかろうか。それにGaNについても輝度が高いはずというのは解っていたから、もし三洋に残って研究を続けていれば、実用化という意味では中村さんに先駆けて開発できてたかもしれない...その後、サンヨーはパナソニックに吸収され、その歴史を閉じた。
父のCREEへの転職話もあった。単身赴任または家族での移住の決断は難しかったようだ。母は英語が苦手であるし、アメリカにはいい思いを持っていない(祖父は朝鮮総督府で働いていたそうで、戦後命からがら鹿児島に引き上げてきた)。そして、その後の身の振り方もあまり上手ではなかったように思える(何年もやさぐれてた)。博士号もとってない(阪大で公聴会まで決まってたのに横やりが入ったらしい)。地方国立大くらいに公募にだしたら研究は続けられたんじゃなかろうか。あの頃はバブルでポストも今より潤沢だったので、何かしらあっただろう。
重要なテーマは競争が激しい。社会や会社で生きてゆくのも難しい。栄光をつかむには能力だけでなく様々なものが必要なのだろうなと思わされた。ただ、科学者、工学者、彼らの名誉、そういった意味では、青色LEDの歴史の中で一言、名前くらいは触れられても良いだろう! 僕も研究において、歴史修正主義者にずいぶん悩まされた。いずれにせよ、父の話は成功したわけでもなく、ちょっとうまくいきかけたが、色々あってうまくいかなかった、みたいなしょっぱい話である...
PubchemQC Project 100万分子突破!
PubchemQCプロジェクトについては、このまえCBI学会で話したスライドをslideshareにアップしたので参考にしていただきたい。
前回の10万分子突破はPubchemQC Project 10万分子突破! 116869分子2014/5/20だったので半年で10倍程度に増えたことになる。
ただしトリックはあって、今回は5000万程度の登録された分子及び混合物を一旦分子量の小さい順に並べなおして小さいものから説いてゆくということをしている。
* 一旦全てのpubchemのデータをダウンロード
* 全てマージして、分子量でソートを掛ける
ということである。分子量が小さい分子は計算が早く終るので(もちろん必ずしもそうではないが、普通に考えるとだいたい成立する)数を稼ぐにはよい。いずれにせよ、時間が経つに連れ計算機のリソースは増えるため(≒ムーアの法則)、非力なコンピュータで大きな分子を計算させて時間をロスするのはもったいない。
確かに、pubchemには低分子が多い。例えば、分子量100万分子目は、
たったの176である。これが200万に増えると
それでも200超えるくらいである。
では、1000万分子めは?
それでも278分子量である。
2000万分子でも分子量が340程度ということが解る。
300を超えるのは、1350万分子目程度である。
400を超えるのは、3000万分子くらいである。
だいたい、100万分子で、500GバイトくらいHDDが必要である。df -hおよびdfの結果@pubchemqc.riken.jpは、
となっていた。
今のリソースでは5000-10000分子/日程度であるが、RICCの運用が終了しHOKUSAIの運用が開始されたらどうなるかかなり不透明である。たとえばfireflyは動かないし(smashにしようと思っている)、GAMESSはpost FX10マシンでは無駄が多い。そして富士通に聞くと、HOKUSAIに入るジョブスケジューラーは1コアに2mpiプロセスを貼り付けることが出来ないみたいである。東大と同じらしい。なんでやねん。
HOKUSAIのベンチではpost fx10はsandybridge程度と結構善戦していてビックリだったのだが...
1001704 molecules (excited states are available for 1001133 molecules) last updated : Tue Nov 11 01:16:45 JST 2014
PubchemQCプロジェクトについては、このまえCBI学会で話したスライドをslideshareにアップしたので参考にしていただきたい。
前回の10万分子突破はPubchemQC Project 10万分子突破! 116869分子2014/5/20だったので半年で10倍程度に増えたことになる。
ただしトリックはあって、今回は5000万程度の登録された分子及び混合物を一旦分子量の小さい順に並べなおして小さいものから説いてゆくということをしている。
* 一旦全てのpubchemのデータをダウンロード
* 全てマージして、分子量でソートを掛ける
ということである。分子量が小さい分子は計算が早く終るので(もちろん必ずしもそうではないが、普通に考えるとだいたい成立する)数を稼ぐにはよい。いずれにせよ、時間が経つに連れ計算機のリソースは増えるため(≒ムーアの法則)、非力なコンピュータで大きな分子を計算させて時間をロスするのはもったいない。
確かに、pubchemには低分子が多い。例えば、分子量100万分子目は、
$ head -1000000 Compound_sorted_list | tail -1
176.120846 69667152 InChI=1S/C6H6F2N2O2/c1-6(7,8)4-2-3(5(11)12)9-10-4/h2H,1H3,(H,9,10)(H,11,12)
たったの176である。これが200万に増えると
$ head -2000000 Compound_sorted_list | tail -1
201.18478 71385979 InChI=1S/C9H7N5O/c1-5-2-3-7-6(4-5)8(15)10-9-11-12-13-14(7)9/h2-4H,1H3,(H,10,11,13,15)
それでも200超えるくらいである。
では、1000万分子めは?
$ head -10000000 Compound_sorted_list | tail -1
278.38976 10826476 InChI=1S/C14H14O2S2/c1-17-12-7-10(8-13(18-2)14(12)16)9-3-5-11(15)6-4-9/h3-8,15-16H,1-2H3
それでも278分子量である。
2000万分子でも分子量が340程度ということが解る。
$ head -20000000 Compound_sorted_list | tail -1
343.8273 6935454 InChI=1S/C19H19ClN2O2/c1-13-5-7-16(8-6-13)22-18(23)12-17(19(22)24)21-10-9-14-3-2-4-15(20)11-14/h2-8,11,17,21H,9-10,12H2,1H3/p+1/t17-/m0/s1
300を超えるのは、1350万分子目程度である。
$ head -13491000 Compound_sorted_list | tail -1
300.083883 20565748 InChI=1S/C10H7BrFN3O2/c11-4-9-14-13-5-15(9)8-2-1-6(12)3-7(8)10(16)17/h1-3,5H,4H2,(H,16,17)
400を超えるのは、3000万分子くらいである。
$ head -30000000 Compound_sorted_list | tail -1
400.468023 40641246 InChI=1S/C25H22FN3O/c1-24(2,3)23(30)21-20(18-10-6-7-11-19(18)26)25(14-27,15-28)22-17-9-5-4-8-16(17)12-13-29(21)22/h4-13,20-22H,1-3H3/p+1/t20-,21-,22-/m1/s1
だいたい、100万分子で、500GバイトくらいHDDが必要である。df -hおよびdfの結果@pubchemqc.riken.jpは、
/dev/sdb1 2.7T 516G 2.1T 20% /data
/dev/sdb1 2884152536 540182108 2197440792 20% /data
となっていた。
今のリソースでは5000-10000分子/日程度であるが、RICCの運用が終了しHOKUSAIの運用が開始されたらどうなるかかなり不透明である。たとえばfireflyは動かないし(smashにしようと思っている)、GAMESSはpost FX10マシンでは無駄が多い。そして富士通に聞くと、HOKUSAIに入るジョブスケジューラーは1コアに2mpiプロセスを貼り付けることが出来ないみたいである。東大と同じらしい。なんでやねん。
HOKUSAIのベンチではpost fx10はsandybridge程度と結構善戦していてビックリだったのだが...
三回目波動関数とシュレーディンガー方程式。話をゆっくりしすぎて終わらせることが出来なかった。
学生がちゃんと聞いていてしかも課題ができてる。以前違う大学で色々やったがナカナカ理解してもらえなかったのを
思うと非常に嬉しい。しかもちょっとした間違い(ルートがかかってるところが違うとか)まで指摘してくれる。
さて、一つ気になるのが携帯で写真取ること。これ自体は音を除けば構わないのだけど、今後の授業というのが
どうなるのかと考えこんでしまった。
* 板書を写させて手を動かしたほうが勉強時間の短縮になる?
* パワポでスライド見せた方が勉強の効率がいい?
どっちなんだろね。
東大の教養はいろんな大学から非常勤よんでいる。まぁそりゃそうで首都圏ならみんな東大の学生教えたいわな。
「孟子曰く...天下の英才を得て、之を教育するは、三楽なり」だし。ここらへんもう少し自由化して
予備校みたいになったらもっと競争が起こって授業の質が上がるやろね。まぁその時は僕は淘汰されるだろう。
学生がちゃんと聞いていてしかも課題ができてる。以前違う大学で色々やったがナカナカ理解してもらえなかったのを
思うと非常に嬉しい。しかもちょっとした間違い(ルートがかかってるところが違うとか)まで指摘してくれる。
さて、一つ気になるのが携帯で写真取ること。これ自体は音を除けば構わないのだけど、今後の授業というのが
どうなるのかと考えこんでしまった。
* 板書を写させて手を動かしたほうが勉強時間の短縮になる?
* パワポでスライド見せた方が勉強の効率がいい?
どっちなんだろね。
東大の教養はいろんな大学から非常勤よんでいる。まぁそりゃそうで首都圏ならみんな東大の学生教えたいわな。
「孟子曰く...天下の英才を得て、之を教育するは、三楽なり」だし。ここらへんもう少し自由化して
予備校みたいになったらもっと競争が起こって授業の質が上がるやろね。まぁその時は僕は淘汰されるだろう。