OpenOffice.orgの開発プロセスは必ずしも透明ではなかった。特に2003年頃は、child work spaceもなく、OpenOffice.org conference 2003で、Martin Hollmichelが、苦労してプレゼンしていたのを思い出す(流石にアレは無茶だろという開発プロセスだった)。我々がそれを透明にし続ける努力、闘争をした。初期のころのその一つ見るためにちょうど良い資料として、私のFreeBSD portingのパッチをupstream、というのがあるだろう。私は日本人では初めてChild work spaceというのを作って、直接コミットした(Note: cwsのコミットはHamburgにある旧StarDiv, 旧SUNのRelease engineering teamのみができる)。2005/3/24のことである。2005/03/29にパッチはソースコードに統合された。
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specも書かないのであったがこれは大変な作業であったので少しずつダレてきて最近ではFreeBSDのcvs repo.にコミットするのが精一杯。
その後にはtono(小野)さん、SUNの石村さん、Yoshida Koheiさんが続いている。特にKoheiさんはものすごい活躍で、私とは比較にならない。どれだけ賞賛しても足りないくらいだ。
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specも書かないのであったがこれは大変な作業であったので少しずつダレてきて最近ではFreeBSDのcvs repo.にコミットするのが精一杯。
その後にはtono(小野)さん、SUNの石村さん、Yoshida Koheiさんが続いている。特にKoheiさんはものすごい活躍で、私とは比較にならない。どれだけ賞賛しても足りないくらいだ。
あとは”なかたまほ”とは読みにくいので、ブログのどこかに書いておかれてはどうでしょうか?