只の道…淡々と歩く

無いものを在るとする…ゆくゆくは苦悩となる
無いものは無いのです。

山の木の根っこ、堀上げ作業をやっています

2015-11-25 11:32:37 | 日記
《HP参照です》
《内容を私(思考)が変えているところがあります》

地球上、69億の人はあっても、生まれた時も所も、
容姿も才能も、同じ人は一人もいません。
生涯を左右するこれらのことが、一体、何によって決まったのでしょうか。

それについてお釈迦様は、過去にどんな種まきしてきたかを知りたければ、
現在の結果を見なさい。
未来の、どんな結果が現れるかを知りたければ、現在の種まきを見なさい、
分かるであろうと言われています。

これは、現在を見れば過去も未来も、みな分かる、
悠久の過去と永遠の未来を包含しているのが現在であるからだと、
教えられたものです。
…… HP参照はここまでです。

これらの文章の内容は、すべて私(思考)の創作です。
地球上に約69億人居ると私(思考)が言っているのです。
事実はわかりませんが、真実には誰もいません。

>生まれた時も所も、容姿も才能も、同じ人は一人もいません。
事実そのとおりですが、真実には何も無いのです。

ですから、お釈迦様は真実の心眼から観られた事を仰っていますね。
因縁果の法則のことです。
真実には何も無いのですから自然のとおりです。

自然は因果で成り立っているのですからその通りですね。
人間もしかり、すべてのものは因果の中で動いているのです。
因果を断ち切ることなどありえませんね。

原因と結果は同じです。
例えば火事になれば水で消します。
雨が降れば傘をさします。
水は上から下へ流れます。
風は吹いて止みます。
生まれれば死にます。
芽が成長すれば枯れます。
始まりがあれば終わりがあります。
表があれば裏があります。
結果があれば原因があってひとつです。

ですから過去(原因)を知りたければ
現在(結果)を観ればいいのです。
そして、未来(結果)を知りたければ
現在(原因)を観ればいいのです。

このことに思考はわかりませんので
只、観ることが肝心ですね。


只の道…淡々と歩く

2回目となる僧璨鑑智禅師の「信心銘」の一節ずつを、
私(思考)が観てみましょう。
あくまで私(思考)から観たものです。
このことは信じないで、常に“実践”で明らかにしていってくださいね。

道は大いなる虚空のように完全で 欠けたところも、余分なところもない…前回

    『ただ取捨選択するために
        物事の本質を見極められないだけだ


いかがでしょう。
おわかりになったでしょうか?
思考があれやこれやと動き回ると
本当の事がわからないと言う事です。

物事の本質はそれはそれです。
同じくこれはこれですね。
思考を完全に止めてみると
すべてわかります。

例えば、動いている車の中で瞬間、小さなある花を見たとします。
それはおぼろげな記憶しかありません。

車を止め、花の前に行き、しっかりと見れば
それはそれとはっきりとわかります。

真実は動き回る思考や記憶に隠されるのですね。


自然薯栽培の夢を観ました…笑

2015-11-24 09:50:28 | 日記
《HP参照です》
《内容を私(思考)が変えているところがあります》

不安、心配、苦悩、恐れ等は、どこから起きるのでしょうか。
それは、信じていたものに裏切られるから起きるのです。

夫婦の悲劇は、夫や妻が信じていた相手に裏切られたからです。
子供に裏切られた親、親に裏切られた子供もいます。
家の子にかぎってと深く信じていればいるほど、
裏切られた親の苦悩や怒りは大きいのです。
子供もしかりです。

病気の人の苦悩は、健康に裏切られたからであります。
これらでお分かりのように、
私(思考)たちは何かを信じなければ生きてはゆけませんが、
やがて裏切るものを信じて生きるということは、ばかげたことです。

では、この世で生命かけて信じても、後悔しない、
絶対、裏切ることのないものがあるでしょうか。
結論を言いましょう。何にも“無い”のです。

たとえ、しばらく続いても死ぬ時には、なんのあて力にもなりません。
すべてに裏切られ肉体さえも焼いてゆかなければなりません。
…… HP参照はここまでです。

この文章は、私(思考)の世界のことを述べられています。
それでは私(思考)をすっかり忘れて生きることです。
徹底的に忘れるのです。
そんなことしたら「人生を送られないよ~」と、嘆く方がいますが、
心配しなくてもそんなことまったくありません。

反対に幸福に包まれた人生を送れます。
例えば不安がまったくありません。
なぜなら不安という思考がないからです。
「金が無い」という心配もありません。
「こらからどうしょう…」という悩みもありません。

ですから“無いものは無い”という世界へ
入っていけるのです。
人生、喜怒哀楽のまま過ごすことができますね。


只の道…淡々と歩く

2回目となる僧璨鑑智禅師の「信心銘」の一節ずつを、
私(思考)が観てみましょう。

あくまで私(思考)から観たものです。
このことは信じないで、常に“実践”で明らかにしていってくださいね。

  『道は大いなる虚空のように完全で
      欠けたところも、余分なところもない


いかがでしょう。
おわかりになったでしょうか?
真実は一寸の隙もないということも言えます。

完全完璧なのです。
ここには言葉がありません。
この大自然を言葉で表わすとこのようになるのですね。

それと同じく“真のあなた”とも言えます。


お休みの時は心の実践が一番ですね

2015-11-23 10:05:24 | 日記
私(思考)達は、人間社会のため善悪ルールを創ったのです。
本来は無いのですが、創ったために幻想世界になりましたね。

そして幻想世界を体験するため、脳というものを入れ込んだのです。
頭脳というものがあるから幻想、真実がわかるのです。

でも残念ながら頭脳は幻想、真実の区別がつかないのです。
区別がつかないから不安、心配、悩み、苦しみ、恐れが訪れるのです。
ですから、これから区別をつけていって、
本来の不安、心配、悩み、苦しみ、恐れが無い境地に還っていくのです。

区別がつくようになると今、今となりあらゆる事が
瞬間、瞬間で切れていくようになります。
また相対が無くなれば、それがそれで只である事が
わかりますから問題になりません。

心の問題の解決にはやはりなんと言っても
実践”が必要です。
何とか苦しみから抜け出されないかと思案しているより、
実践”するほうが遥かに早い解決に繋がります。
そうすれば迷っている事実というのが、
どういう事か、がはっきり解ってきます。

そこまでいく人は真実をつかんだ人です。
そして真実をつかんだ人は、そこで“実践”を止めなければ、
さらにその上の真実を自然につかむようになります。

只の道は“絶対安心への道”ですね。


只の道…淡々と歩く

2回目となる僧璨鑑智禅師の「信心銘」の一節ずつを、
私(思考)が観てみましょう。

あくまで私(思考)から観たものです。
このことは信じないで、常に“実践”で明らかにしていってくださいね。

   『物事の本質を理解しないとき
         心の平和は徒に乱される


いかがでしょう。
おわかりになったでしょうか?
本来は“”であるのに「在る」にする癖があるから
理解できないのです。

理解できないから探し回るのです。
しかし“”をいくら探し回っても
どこにもありません。

それがわからないから尚、探し回るのです。
ですから心が掻き乱されるのです。
心が動き回らない、一点集中のところが
絶対安心”の境地です。

思考の安心ではなく、思考の付いてない“絶対安心”です。


雨模様ですが、整地します

2015-11-22 09:17:41 | 日記
たいがいの方が「お金持ちになりたい」と言います。
その真意は何かと突き詰めていきますと
安楽でいたい”に落ち着きます。

しかし残念ながら多くの方は「お金持ちになりたい」で
止まるのです。
ですからお金をたくさん得ても落ち着きが無いのです。

ある事例があります。
金に貧窮していた50歳の男のことです。
付き合っていた女の方が宝クジで3億円当選されました。
それで女の方は、その男に5千万上げたのです。
なんと心優しい女の方ですね。

しかし男は1年後、金に目が眩んで更によこせと言って
数千万取り上げ、終いには殺人までになりました。
なんと哀れな事件です。

この様な事は無いと思いますが
この近くは誰しもあるのです。
ですから「お金持ちになりたい」で止まらないで
その奥深くまでいくことです。

そこまで行けばお金では無くて
無常の“大安楽の世界”だったのです。
「お金持ちになりたい」から脱出しましょうね。


只の道…淡々と歩く

2回目となる僧璨鑑智禅師の「信心銘」の一節ずつを、
私(思考)が観てみましょう。

あくまで私(思考)から観たものです。
このことは信じないで、常に“実践”で明らかにしていってくださいね。

  『一つを嫌い一つを好むことは 、 心の病だ

いかがでしょう。
おわかりになったでしょうか?
好き嫌いが在る以上
心が動き回る病気です。
心が動き回らなければ
涅槃寂静の境地です。

好き嫌いは思考ですね。
また好きがあれば嫌いがある
嫌いがあれば好きがあるのです。
相対世界ですからどうしょうもありませんね。

そこから抜け出すには
好きでもありません、嫌いでもありません。
そのようなもの何にもありませんという心境に行き着くということです。

今、今淡々とやっていきましょう

山の雑枝木をコツコツ片付けていきます

2015-11-20 08:25:35 | 日記
人間は思考が動かないと何もわからないのです。

動けば私は「山田太郎」『山田花子』となります。
そして思考・自我はだんだんと執着が増してきます。
私はハンサムがいい、私は可愛い顔がいい…では終わりません。
お金が欲しいとくるのです。

例えば「お金が欲しい」と思考すると、
潜在意識に『お金があるとよい』
相対として『お金がないと困る』があります。

「お金が欲しい」と思えば、「お金があるとよい」と 
「お金がないと困る」を思考が創りだします。
この様なパターンになっています。(笑)

事実は「お金が欲しい」と思っても
お金がないからどうすることもできません。
「お金が欲しい」は どこまでいっても
「お金が欲しい」ですから、
事実どうすることもできませんので
素直にあきらめるしかありません。

諦めるとは思考しないということです。
今を否定しないことです。
そうすると困った事もなく
今、今を淡々と過ごすことになります。

繰り返しになりますが
良いがあれば悪いも一緒にあります。
例えば500円玉の裏表ということであって
表裏一体であるのです。

分離出来ないものを分けようとするから
終いには苦悩になるのです。
潜在意識に善悪観念があって、それが願望を創るのです。

善悪観念は幻想であって何にも出来ないのです。
しかし残念ながら、その思い込みに
支配されているのが実情です。

そこからの脱出が“実践”となります。


只の道…淡々と歩く

2回目となる僧璨鑑智禅師の「信心銘」の一節ずつを、
私(思考)が観てみましょう。

あくまで私(思考)から観たものです。
このことは信じないで、常に“実践”で明らかにしていってくださいね。
     
     『真理を実現したければ
       賛成や反対の見解を抱いてはならない


いかがでしょう。
おわかりになったでしょうか?
真実には見解はありません。
また善いとか悪いとかの善悪もありません。
言葉もありません。

善悪の見解は思考世界にあります。
つまりそれらは幻想ということになります。
「あれは?」と言った途端、幻想であり思考世界です。
「あれは?」と頭に浮かんだ途端、幻想であり思考世界です。
厳密に言えば「あ・」と言った途端です。

ですから賛成や反対は
思考が動くということです。
『道具の思考』以外が動かなければ
お気楽に過ごされますね。

そのためには思考を動かさない
実践”が必要となります。