只の道…淡々と歩く

無いものを在るとする…ゆくゆくは苦悩となる
無いものは無いのです。

今日もお客様を回って山へ行きます

2015-11-28 09:39:54 | 日記
《HP参照です、内容を若干私(思考)が
         変えているところがあります》

「過去世」とは、とりつめれば去年であり、昨日であり、前の1時間であり、
吐いた息が過去になります。
「現在世」も、とりつめれば今年であり、今日であり、今の1時間であり、
今の一息が現在の当体となります。
「未来世」も、これも叩けば来年となり、明日となり、1時間先となり、
吸う息が未来となります。
このように仏教の三世とは、吸う息、吐く息の中にあると教えられているのです。
今、今、今に、三世がおさまっているのです。
ゆえに、ただ今の一念を徹見すれば、曠劫の間、流転してきた
自己も明らかになるし、未来の一大事も知らされることになります。
ですから、現在の救いがなくして未来の救いはないのです。
…… HP参照はここまでです。

“今”に過去、現在、未来が収まっているのです。
例えば、小学生の時の過去は記憶にあります。
今朝の食事も記憶にあります。
来年は平成28年です。早いもので、もうすぐですね~となります。(笑)

このようにすべてが“今”にあります。
喋り終わったら消えてありません。
吸っている息は“今”にあります。
吸った息は過去でもうありません。
同じく吐いている息も“今”にあります。
吐いた息は過去でもうありません。

このように今、今と起こっているのです。
ですからすべては“今”に集約されているのです。
今一瞬”以外は何も無いのです。

繰り返し言っているとおり、「在るじゃないか」と言っているのは思考であり記憶です。
幻想ですね。
>ですから、現在の救いがなくして未来の救いはないのです。

その『現在の救い』は幻想から“目覚める”ということです。


只の道…淡々と歩く
あくまで私(思考)から観たものです。
このことは信じないで、常に“実践”で明らかにしていってくださいね。

一なる境地に帰して、ただ静かにしていなさい
そうすれば誤った見解はひとりでに消え去る … 前回

    『心の活動を止めようと努力しても
        その努力がさらなる活動をもたらす


いかがでしょう。
おわかりになったでしょうか?
止めようと努力しているのが私(思考)です。
私(思考)の努力が、他の活動をまた生み出すのです。

これは無限のループに陥るということです。
この「エンドレス」状態のことは長くなりますので
次回でお話しますね。

努力とは言葉ですから、事実にはありません。
事実は、そのことを只やる!それだけです。
しないときはしない、只それだけです。
私(言葉)に操られているのが幻想状態です。

繰り返しですが“努力しない努力”が大切ですね。