なぜ、混迷し苦悩するのだろう。
それは私(思考)だからです。(笑)
繰り返し言いますが、私としているものは思考・自我です。
思考・自我には実体がありません。
身体は身体で、私(思考)ではありません。
本当の自分は無思考です。
純粋意識ですね。
私(思考)を自分としていると問題が出てきます。
ですから私を(思考)と自覚すれば問題はありません。
例えば、私(思考)をまったく知らない者とすれば、
何があっても相手にする必要がありませんね。
実体が無いのですから何の問題もありません。
心配、不安等は私(思考)を自分として一体化しているからです。
いくら心配、不安になっても雨が降るときは降ります。
降らないときは降りません。
「当たり前じゃん!」と言われますが、
その当たり前が「時と場」が変ればわからなくなってしまいます。
「時と場」が問題ではなくて思考があるからです。
私(思考)から観るからです。
その中には余計なものをたくさん付けてあるからです。
例えば「空箱」に空想の嫌な事を詰め込んでいるのです。
幻想をいくら詰め込んでいても「空箱」には入っていないのです。
1億円だろうが100億円でも幻想ですから
まったく無いのです。
同じく「心配、不安等」は思考の創作です。
ですから“無いものは無い!”のです。
これが真なる事実です。
思考から観ないで
“只の観点”から見るとよくわかります。
只の道…淡々と歩く
お釈迦様の教えである『般若心経』の一節ずつを、私(思考)が観てみましょう。
あくまで私(思考)から観たものです。
このことは信じないで、実践で明らかにしていってくださいね。
『三世諸仏』
過去・現在・未来の仏様 (HP参照です)
いかがでしょう。
おわかりになったでしょうか?
過去・現在・未来はありません。
今この瞬間が無思考です。
無思考が永遠です。
無思考が過去であり、現在であり、未来であるのです。
この中で生きるも無い、死ぬも無いのが永遠の仏様であり、
無思考の、永遠の、あなたなのです。
例えば、無の思考は大宇宙であり、
それと融合しているあなたなのです。
つまり大宇宙にはあなたしか存在しないのです。
Aさんの大宇宙にはAさんしか存在しないのです。
個ではない、あなたとAさんはともにひとつです。
これらはわからなくていいのです。
しかし、真実から観ればそれらが観て取れます。
それは私(思考)だからです。(笑)
繰り返し言いますが、私としているものは思考・自我です。
思考・自我には実体がありません。
身体は身体で、私(思考)ではありません。
本当の自分は無思考です。
純粋意識ですね。
私(思考)を自分としていると問題が出てきます。
ですから私を(思考)と自覚すれば問題はありません。
例えば、私(思考)をまったく知らない者とすれば、
何があっても相手にする必要がありませんね。
実体が無いのですから何の問題もありません。
心配、不安等は私(思考)を自分として一体化しているからです。
いくら心配、不安になっても雨が降るときは降ります。
降らないときは降りません。
「当たり前じゃん!」と言われますが、
その当たり前が「時と場」が変ればわからなくなってしまいます。
「時と場」が問題ではなくて思考があるからです。
私(思考)から観るからです。
その中には余計なものをたくさん付けてあるからです。
例えば「空箱」に空想の嫌な事を詰め込んでいるのです。
幻想をいくら詰め込んでいても「空箱」には入っていないのです。
1億円だろうが100億円でも幻想ですから
まったく無いのです。
同じく「心配、不安等」は思考の創作です。
ですから“無いものは無い!”のです。
これが真なる事実です。
思考から観ないで
“只の観点”から見るとよくわかります。
只の道…淡々と歩く
お釈迦様の教えである『般若心経』の一節ずつを、私(思考)が観てみましょう。
あくまで私(思考)から観たものです。
このことは信じないで、実践で明らかにしていってくださいね。
『三世諸仏』
過去・現在・未来の仏様 (HP参照です)
いかがでしょう。
おわかりになったでしょうか?
過去・現在・未来はありません。
今この瞬間が無思考です。
無思考が永遠です。
無思考が過去であり、現在であり、未来であるのです。
この中で生きるも無い、死ぬも無いのが永遠の仏様であり、
無思考の、永遠の、あなたなのです。
例えば、無の思考は大宇宙であり、
それと融合しているあなたなのです。
つまり大宇宙にはあなたしか存在しないのです。
Aさんの大宇宙にはAさんしか存在しないのです。
個ではない、あなたとAさんはともにひとつです。
これらはわからなくていいのです。
しかし、真実から観ればそれらが観て取れます。