只の道…淡々と歩く

無いものを在るとする…ゆくゆくは苦悩となる
無いものは無いのです。

今日もいい天気で淡々といきましょう

2015-11-10 11:33:32 | 日記
思考が苦悩を創りだすから「苦」になるのです。

『今日は、良い縁に恵まれて晴れて結婚と相成りました』と
述べられる事があります。
しかし、良い縁というものは無く、事実は只の縁です。

これをわかって言われるのはそれでいいのですか、
わからず言うと、良い縁は悪い縁が同居しているのです。
もちろん悪い縁も良い縁と一体です。

結婚式を挙げた半年後に離婚されることがあります。
ですから良縁ではなく悪縁だったのですね。(笑)
しかし1年後に復縁して、一緒になられたのは良縁だったのでしょうね?(笑)

ですから事実には良縁も悪縁もなく只の縁なのです。
事実には良いも悪いもないのです。
良いとか悪い相対を創る思考の想念ですね。

例えば、テレビに映っている犯罪者を「悪い」と見るのは思考です。
そのまま観れば、事実は画面です。
後になって誤認逮捕だったのです。
実は被害者を助けようとしての誤認だったのです。
ですから思考は直ぐに犯罪者ではなく
「良い人」に変ります。(笑)

このように思考は逆さまにクルクル変るのです。
そして正解がないからどこまでいっても解決できません。
次第に思考は苦悩に繋がっていくのです。

お釈迦様の教えでそれらが解明できるのですから
淡々と実践していきましょうね。


只の道…淡々と歩く
お釈迦様の教えである『般若心経』の一節ずつを、私(思考)が観てみましょう。
あくまで私(思考)から観たものです。
このことは信じないで、実践で明らかにしていってくださいね。

    『遠離一切顚倒夢想
  物事を逆さまにとらえることがありませんから、
  妄想をいだくこともありません。 (HP参照です)

いかがでしょう。
おわかりになったでしょうか?
思考が無い状態は無思考ですね。
思考しているときは
物事を逆にとらえるのです。
ですから妄想になるのです。

例えば、電気自動車は「在る」と思考しているのです。
「在るではないか、お前は知識が無いな!」と
言われそうな気がします。(笑)

しかし、今には事実無いのです。
「在る」としているのは妄想しているからです。
これは在る、あれは無いと思考しているからです。

では「思考が無かったら生活出来ないではないか?」
と言われると思います。
この様なブログを書くにも思考は必要ですね。
もちろん生活にも必要です。

それは『今この瞬間』だけ必要ということです。
歩いている時、右の山道に行くか、左の田んぼ道を行くか、
その時その場で決めるだけです。
後は、一切必要はありませんね。

右の山道に行くと通れるかしら?
昨日は大雨だったから道が壊れているかも?
左の田んぼ道を行くと遠回りになるな~。
遠回りになるけど歩きやすいからな~
こららは、すべて思考による妄想です。

これらの思考による妄想が一切無いのが
遠離一切顚倒夢想』ということです。