只の道…淡々と歩く

無いものを在るとする…ゆくゆくは苦悩となる
無いものは無いのです。

お休みの時は心の実践が一番ですね

2015-11-23 10:05:24 | 日記
私(思考)達は、人間社会のため善悪ルールを創ったのです。
本来は無いのですが、創ったために幻想世界になりましたね。

そして幻想世界を体験するため、脳というものを入れ込んだのです。
頭脳というものがあるから幻想、真実がわかるのです。

でも残念ながら頭脳は幻想、真実の区別がつかないのです。
区別がつかないから不安、心配、悩み、苦しみ、恐れが訪れるのです。
ですから、これから区別をつけていって、
本来の不安、心配、悩み、苦しみ、恐れが無い境地に還っていくのです。

区別がつくようになると今、今となりあらゆる事が
瞬間、瞬間で切れていくようになります。
また相対が無くなれば、それがそれで只である事が
わかりますから問題になりません。

心の問題の解決にはやはりなんと言っても
実践”が必要です。
何とか苦しみから抜け出されないかと思案しているより、
実践”するほうが遥かに早い解決に繋がります。
そうすれば迷っている事実というのが、
どういう事か、がはっきり解ってきます。

そこまでいく人は真実をつかんだ人です。
そして真実をつかんだ人は、そこで“実践”を止めなければ、
さらにその上の真実を自然につかむようになります。

只の道は“絶対安心への道”ですね。


只の道…淡々と歩く

2回目となる僧璨鑑智禅師の「信心銘」の一節ずつを、
私(思考)が観てみましょう。

あくまで私(思考)から観たものです。
このことは信じないで、常に“実践”で明らかにしていってくださいね。

   『物事の本質を理解しないとき
         心の平和は徒に乱される


いかがでしょう。
おわかりになったでしょうか?
本来は“”であるのに「在る」にする癖があるから
理解できないのです。

理解できないから探し回るのです。
しかし“”をいくら探し回っても
どこにもありません。

それがわからないから尚、探し回るのです。
ですから心が掻き乱されるのです。
心が動き回らない、一点集中のところが
絶対安心”の境地です。

思考の安心ではなく、思考の付いてない“絶対安心”です。