只の道…淡々と歩く

無いものを在るとする…ゆくゆくは苦悩となる
無いものは無いのです。

久しぶりの雨にはありがたいです

2015-11-02 09:57:39 | 日記
真実”は「今この瞬間」です。
そこには思考がありません。
そう、「今この瞬間」とは無思考のことで、只です。

幻想を見極めないと迷いで生きることになります。
幻想がわからないと“真実”もわかりません。
過去のことのすべては幻想です。

しかし、「あったのだ!」と言っても
瞬間、瞬間に移り行く今にはそんなものはありません。
それは記憶で幻想と“自覚”することです。
胸に抱いている不安、心配、苦悩は
そのことを幻想する「思考」なのです。

ゆくゆくはこの様になるかもしれないと、
考えて幻想するのは「思考」であるのです。
これを“自覚”できないと事実と認識して
苦悩に入っていくのです。

出来事に良い悪いがあるのではないのです。
足を怪我したのは、足を怪我したのです。
これが事実です。
窓の前を車が通過したのは、車が通過しただけです。
これが事実であり、それだけです。

出来事に良い悪いを創っているのが「思考」です。
足を怪我したのは、物をそこに置いているから、
あいつが悪いのだと幻想するのが「思考」です。

あの車は「かっこいいな~」、私も欲しいというのが
「思考」です。
宝クジが1万円当たった、こんな良い縁は何回でもあってよいというのが
「思考」です。

良い縁は悪い縁が原因、
悪い縁は良い縁が原因であるのです。
例えば、あの人と素敵な出会いがあったのに
喧嘩別れになってしまった。
喧嘩したきっかけで仲良しになったということも
たくさんありますね。

このように相対を創るのが私(思考)です。
私(思考)が無ければ出会いは出会いです。
喧嘩は喧嘩です。仲良しは仲良しです。

私(思考)は、これでは張り合いが無いと言って、
どうしても相対を創るのです。(笑)
存在が無いのに、存在を認識させる為
どうしても創作するのです。

そして挙句のはて「苦悩」になっていくのです。(笑)
私(思考)のパターンは、どれひとつ間違いなく
このとおりです。

私(思考)の源は、例えば“”で存在はありません。
浮かんできては消えてゆくものです。

「思考は現実化する」という有名な本もあり、
いろいろと本当のごとく言われています。
お遊びではよいでしょうけど
「思考は現実化する」事などありえないことです。

例えば「お金持ちになりたい」という思考があるとします。
しかし思考は幻想ですから「迷い」なのです。
しかも繰り返しですが、私(思考)の源は“”で存在はありません。
浮かんできては消えてゆくものです。

ですから「思考は現実化する」事などありえないことですね。


只の道…淡々と歩く

お釈迦様の教えである『般若心経』の一節ずつを、私(思考)が観てみましょう。
あくまで私(思考)から観たものです。
このことは信じないで、実践で明らかにしていってくださいね。

  『無眼界乃至無意識界
  目に見える世界も、感覚の世界も、心の中の世界も、
  無いのです。   (HP参照です)

いかがでしょう。
おわかりになったでしょうか?
さすが、思考の成せる技ですね。

目に見える世界も、感覚の世界も、
心の中の世界も無いのに
在るように思考がすり替えているのです。

真実には何もありません。
涅槃寂静の世界だと言われていますね。
静かな大安心に満ちた境地であるということです。

どこにそれが在るかと尋ねられると
それは思考の浮かばない、個では無い
あなたそのもの”ということです。

さぁ、今日も思考癖を淡々と落としていきましょうね。