只の道…淡々と歩く

無いものを在るとする…ゆくゆくは苦悩となる
無いものは無いのです。

寒ければ寒さの中を只歩く

2015-11-27 09:47:53 | 日記

《HP参照です、内容を私(思考)が変えているところがあります》

お釈迦様の教えによれば、一人一人の生まれた結果が異なるのは 
69億の各人各様に生まれる前の、各人各様、
異なった原因があったからに違いありません。
「善因善果、悪因悪果、自因自果」の厳粛な因果の道理に従って、
私たちの過去世の行為が現在世の私たちの境界を生み出したのです。
当然、「過去世」があるように、私たちには「未来世」があります。
もし「未来世」がないとすれば、因果の道理に例外を認めねばならなくなるでしょう。

たとえば、ある人が二人殺して死刑になったとします。二人殺した罪(因)が
一回の死刑(果)で償われるとするならば、
10人殺した者は5回死刑にならなければなりません。
そんなことはできませんから、もし未来世がなければ、二人殺したら、
あとは何人殺そうが死刑という結果は同じということになります。
 
原因が変われば結果が変わるのが、因果の道理です。
日給1万円の仕事をすれば、100日働けば100万円もらわなければ誰も承知しないでしょう。それが、1日働いても1万円、100日働いても1万円だと言われては
働く人がないのと同じです。
 
原因が変わっても結果は同じだという主張は、三世十方を貫く
「因果の道理」を知らない妄言です。現在世の行為の結果が、
たとえ現在世で現れなくても、必ず「未来世」に現れますから、
「三世因果」は三世十方を貫く真理であると教えられているのです。
「三世因果」の道理が正しく理解されますと、いかに「現在」が大切かが知らされます。
…… HP参照はここまでです。

「三世因果」の道理(法則)
過去世、現在世、未来世の因果がすべてですね。
現在を観れば過去がわかるし、未来がわかるのです。

現在は“今”です。
この“今”は、永遠に“今”ですね、
昨日、1時間前、1秒前は“今”にはありません。
同じく明日、1時間先、1秒先はどうやっても行くことはできません。
ですから“今”以外には何も無いということになります。

「在る」というのは記憶であり思考です。
幻想であるということです。
“今”以上に幸せになると言ってもそれは到底無理なことです。
“今”より将来が悪くなるのでは・・・とは言っても
事実は、将来がありませんので比較はできません。

過去も現在も未来も無く、“今一瞬”があるだけです。
ですから幻想にまみれている現在から
真実の“今一瞬”に目覚める事が大切ですね。

只の道…淡々と歩く
あくまで私(思考)から観たものです。
このことは信じないで、常に“実践”で明らかにしていってくださいね。

外界に巻き込まれてはならない
空という概念にも、とらわれてはならない … 前回

  『一なる境地に帰して、ただ静かにしていなさい
      そうすれば誤った見解はひとりでに消え去る


いかがでしょう。
おわかりになったでしょうか?
一なる境地”とは涅槃寂静の地ともいえます。
無であり、空であり、真実です。
これは例えです。何も無いので例えで述べるしかありませんね。

『誤った見解』は思考です。
ですから“一なる境地”に入ると、思考(見解)も記憶も…何もありません。

この幻想世界はすべて在りで相対世界です。
好きも嫌いもあり、強い弱いもあり、
上下あり、寒暑あり、苦しみもあり喜びもあり、
生も死もありでキリがありませんね。
このことが苦悩を生む要素です。

例えば、好きも嫌いも無ければ苦悩は生れませんね。
在るから生まれるのです。(笑)
正義を強調するから戦いが生まれるのです。
事実、正義などどこを探してもありません。
もちろん間違いなどもありません。

さぁ~幻想世界から脱出しましょうね