今朝も涼しい朝です。今日もいつも通りの時間に家を出ていつもの道を走っていました。線路沿いのやや狭い道でトラブル発生です。あっと思った瞬間道に叩きつかりました。左のハンドルが電柱の影から出た車の右前に接触して転倒です。いつもの道いつもの様に走っていても一瞬の油断が事故につながりました。瞬間、鼻血・右ひじ右手の擦り傷・左肩の打撲とヤバイかと思いきや鼻血は直ぐ止まり擦り傷も得意の唾液消毒で直ぐ止血し大したことはありませんでした。相手の方も1秒の瞬間と言っていたのでほぼ出会い頭でしょう。左肩の打撲は普通に動かせるので骨に異常は無いと思います。鎖骨から落ちなかったのが不幸中の幸いでした。以前も同じような転倒をして鎖骨を折った事が遭ったので一瞬焦りました。まあ良く前を見ていなかった為の不注意が原因でしょう。相手にいくら言っても互いに言い分があり折り合いの付かなくなるのが出会い頭の事故です。反省して安全運転を心掛けます。懲りん奴やそれでも走り続けます。チャリ通DATA:32.9㌔・1時間9分・時速20.8㌔
雑学
ペンネームあれこれ
作家のペンネームの由来もさまざま。永井荷風は、初恋の人・お蓮さんにちなみ、蓮の字を荷にかえ、その香りを慕うという意味でつけたというロマンティックなもの。これに対して二葉亭四迷は、「くたばってしまえ」をもじってつけた皮肉っぽい名前。推理作家のなかには、アナグラム(名前を構成する50音やアルファベットの文字を並びかえた暗号のようなもの)を使ってペンネームにした人もいる。
今日(京)ことば
どうなりこうなり・・・・どうにかこうにか。やっとこさ。 「親子三人どうなりこうなり暮してますわ。」
ペンネームあれこれ
作家のペンネームの由来もさまざま。永井荷風は、初恋の人・お蓮さんにちなみ、蓮の字を荷にかえ、その香りを慕うという意味でつけたというロマンティックなもの。これに対して二葉亭四迷は、「くたばってしまえ」をもじってつけた皮肉っぽい名前。推理作家のなかには、アナグラム(名前を構成する50音やアルファベットの文字を並びかえた暗号のようなもの)を使ってペンネームにした人もいる。
今日(京)ことば
どうなりこうなり・・・・どうにかこうにか。やっとこさ。 「親子三人どうなりこうなり暮してますわ。」
『虎穴(こけつ)に入(い)らずんば虎子(こじ)を得ず』
虎が住む穴に入らなければ、虎の子供を奪い取ることはできない。転じて、大変な危険を冒さなければ、望みの物を手に入れることはできない。類:●危ない所に上がらねば熟柿(じゅくし)は食えぬ●枝先に行かねば熟柿(じゅくし)を食えぬ●Nothing venture, nothing have. /Nothing ventured, nothing gained.(思い切ってやらなければ何も得られない)●Great gains are not achieved except by great risks.<「英⇔日」対照・名言ことわざ辞典>故事:「後漢書-班超伝」「官属皆曰、今在危亡之地、死生従司馬、超曰、不入虎穴、不得虎子」 漢の使者・班超(はんちょう)が西国のゼン善(ぜんぜん)へ赴いた。初め手厚く持て成されていたが、ある日を境に王の態度が冷たくなった。調べてみると、匈奴(きょうど)の使者が到着した様子。王は「遠くの漢よりも近くの匈奴」と組みたいと思ったらしい。このままでは使者全員が匈奴に引き渡されて殺されると思った班超は、この言葉を用いて部下を説き伏せ、城に火を放って、匈奴の使者を全滅させゼン善を漢の属国とした。
<松下幸之助一日一話> PHP研究所編
策を弄する
世の中には、事をなすに当たって、いろいろ策を弄する人があるようです。「弱肉強食は世の習い」とかで、ボヤボヤしていたのでは激烈な生存競争に敗北してしまうということから、何としても人より一歩でも先んじたいという気持が嵩じて「策を弄す」ことになるのかもしれません。しかし、こうした小細工は自然の理に背く場合が多く、結局成功することも少ないのではないかと思います。「策を弄する」とは、私は智恵才覚をもてあそぶことだと思います。智恵才覚は人間に与えられた偉大な特質ですが、これはあくまでも正しい目的のためのみに使われるべきもので、よこしまな策謀に使ってはならないと思うのです。
虎が住む穴に入らなければ、虎の子供を奪い取ることはできない。転じて、大変な危険を冒さなければ、望みの物を手に入れることはできない。類:●危ない所に上がらねば熟柿(じゅくし)は食えぬ●枝先に行かねば熟柿(じゅくし)を食えぬ●Nothing venture, nothing have. /Nothing ventured, nothing gained.(思い切ってやらなければ何も得られない)●Great gains are not achieved except by great risks.<「英⇔日」対照・名言ことわざ辞典>故事:「後漢書-班超伝」「官属皆曰、今在危亡之地、死生従司馬、超曰、不入虎穴、不得虎子」 漢の使者・班超(はんちょう)が西国のゼン善(ぜんぜん)へ赴いた。初め手厚く持て成されていたが、ある日を境に王の態度が冷たくなった。調べてみると、匈奴(きょうど)の使者が到着した様子。王は「遠くの漢よりも近くの匈奴」と組みたいと思ったらしい。このままでは使者全員が匈奴に引き渡されて殺されると思った班超は、この言葉を用いて部下を説き伏せ、城に火を放って、匈奴の使者を全滅させゼン善を漢の属国とした。
<松下幸之助一日一話> PHP研究所編
策を弄する
世の中には、事をなすに当たって、いろいろ策を弄する人があるようです。「弱肉強食は世の習い」とかで、ボヤボヤしていたのでは激烈な生存競争に敗北してしまうということから、何としても人より一歩でも先んじたいという気持が嵩じて「策を弄す」ことになるのかもしれません。しかし、こうした小細工は自然の理に背く場合が多く、結局成功することも少ないのではないかと思います。「策を弄する」とは、私は智恵才覚をもてあそぶことだと思います。智恵才覚は人間に与えられた偉大な特質ですが、これはあくまでも正しい目的のためのみに使われるべきもので、よこしまな策謀に使ってはならないと思うのです。
6月27日 日照権の日
1972(昭和47)年、最高裁判所で日照権は法的に保護するのに値するという判決が下されたのがこの日です。これ以来、日照権が確立し、法的な保護が与えられるようになりました。昭和40年代に中高層マンションが増加したことが裁判の原因でした。40年くらい経った今あちらこちらに高層マンションが建ち、私が子供の頃見ていた鉄腕アトムの中の未来の世界に車こそは飛んでいませんが、確実に近づいているような気がします。
奇跡の人の日
アメリカの社会福祉事業家、ヘレン・ケラーの1880年の誕生日。生後19箇月で猩紅熱の為に目・耳・口が不自由になりましたが、家庭教師アン・サリバンの厳格かつ献身的な教育によって読み書きを覚えて大学を卒業し、「奇跡の人」と呼ばれました。以後、世界各地で講演して盲唖者・身体障害者を励ます福祉活動に献身しました。
演説の日
1874(明治7)年、慶応義塾の三田演説館で日本初の演説会が行われました。
「演説」という言葉は慶応義塾を創設した福澤諭吉が仏教語をもとに作ったもので、この日の演説で福澤は「日本が欧米と対等の立場に立つ為には演説の力を附けることが必要」と説きました。
女性雑誌の日
1693年、ロンドンで世界初の女性向けの週刊誌『ザ・レディス・マーキュリー』が創刊されました。
1972(昭和47)年、最高裁判所で日照権は法的に保護するのに値するという判決が下されたのがこの日です。これ以来、日照権が確立し、法的な保護が与えられるようになりました。昭和40年代に中高層マンションが増加したことが裁判の原因でした。40年くらい経った今あちらこちらに高層マンションが建ち、私が子供の頃見ていた鉄腕アトムの中の未来の世界に車こそは飛んでいませんが、確実に近づいているような気がします。
奇跡の人の日
アメリカの社会福祉事業家、ヘレン・ケラーの1880年の誕生日。生後19箇月で猩紅熱の為に目・耳・口が不自由になりましたが、家庭教師アン・サリバンの厳格かつ献身的な教育によって読み書きを覚えて大学を卒業し、「奇跡の人」と呼ばれました。以後、世界各地で講演して盲唖者・身体障害者を励ます福祉活動に献身しました。
演説の日
1874(明治7)年、慶応義塾の三田演説館で日本初の演説会が行われました。
「演説」という言葉は慶応義塾を創設した福澤諭吉が仏教語をもとに作ったもので、この日の演説で福澤は「日本が欧米と対等の立場に立つ為には演説の力を附けることが必要」と説きました。
女性雑誌の日
1693年、ロンドンで世界初の女性向けの週刊誌『ザ・レディス・マーキュリー』が創刊されました。