10月31日(日)正午過ぎ、安東からソウルへ移動し北村のゲストハウスにチェックイン
部屋に荷物をおくと、すぐに食事に出かけました。
ソウルは行きたいとこ、したいことが多くて落ち着いていられない
ちょうどランチ時で、お目当ての店が大行列だったため
近くの「北村平壌冷麺」に入ってサムギョプサルを食べる。
これで9000w(700円ほど)は安すぎでしょ。
大好きなヤンニョムケジャン(ワタリガニのキムチ)もついてたし
14:00からの昌慶宮(チャンギョングン) の日本語ガイドツアーに行きたいので、
明洞に買い物に行くと言うAちゃんとは安国で別れ、目の前のバス停からバスに乗った。
昌慶宮へはバス停二つ。
歩いても近いのだが、その20分がもったいない。
激安の入場料1000w(80円)を支払い、中へ入ると・・・
え~~~~~~~~~
王朝絵巻の中、普通にアジュンマが通る。
わたしもここを通りました。
あ!王様だ。
インフォメーションで確認すると、14:00から祭礼が行われるらしい。
宮内のガイドツアーも14時だが、ここは祭礼見ないでどうする。
会場の明政殿前はすでに大勢の人が座っていて、わたしは入り口の近くに腰を下ろした。
黙って座るのも感じ悪いのでそこにいたアジュンマにexcuse meと声をかけ、
ここに座ってもいいですか?と聞いた。
すると期待もしてなかった英語で答えがかえってきたのだ。
「ここは行列の通り道だから、大丈夫かしら?」
まさかのアジュンマの英語に、わ~話が通じるぞと喜び
「わたし一人だし、構いませんよね~」とおどけて言うとフフフと笑って
スペースを作るように体をずらしてくれた。
祭礼が始まるまで少し喋った。
彼女は旦那さんと並んで見ていて、ご主人は写真撮影に夢中だった。
そのカメラの前にスタッフの人が気付かず立ったので、アジュンマが
「アジョッシ・・」と声をかけどいてもらった。
それを見てわたしが「彼はとても若く見えるけど、アジョッシなんですか?」
と驚いて尋ねた。
すると彼女は、おもしろそうに笑って「男の人はアジョッシよ、日本語では・・・」
「オジサン!」わたしが答えるのと彼女が言うのが重なった。
「でもたしかに彼は若いしチョンガー(独身)かしら、フフフ」
そう聞いて何となく分かった気がした。
アジョッシは男性に対する呼びかけの言葉で、日本で言うオジサンとは少し意味が違う。
たぶん英語で言うミスターなんだろう。
どど~んと太鼓が打ち鳴らされ、楽団が入場。
大臣たちが続々と入場し席につくと、ついに輿に乗った王様が登場。
最後に皇太子。
どこからかサドセジャ・・と言うヒソヒソ声が聞こえてくる。
え?今サドセジャと言いましたか?
あの子がそうなんですか?
あれが思悼世子 (サドセジャ)なら、王座にいるのは英祖(ヨンジョ)ですか?
うそ~~ぉ!嬉しすぎる
わたしが昌慶宮に来た理由は、まさしくこのイサン関係の痕跡を求めてのこと。
その登場人物が、二人も目の前にいるなんて・・
あとで調べたところ、9月~11月の日曜14時に「五旬御宴礼(オスンオヨンレ)」が行われ、
英祖50歳の誕生日を祝う祭礼を再現していたのでした。
英祖はイサンのおじいちゃんで、思悼世子はお父さんです。
英祖66歳のとき15歳の貞純王后を後妻に迎えます。
この王妃さまけっこうワルで、家臣たちとはかりイサンのお父さんを陥れます。
ついには英祖が思悼世子を米びつに閉じ込め餓死させてしまうという事件になるのです。
なんで米びつなんでしょうか。
とにかくその事件があったのが昌慶宮なのです。
大臣たちの前にお膳が運ばれると、歌や踊りが次々に披露されます。
たっぷり1時間の祭礼で、じゃっかん飽きてきたので、
明政殿の内側にまわってみました。
王座側からのショットです。
祭礼が終わり撤収中の玉座
さて、いよいよ昌慶宮の中を見学します。
「景春殿(キョンチュンジョン)」はイサンが生まれたところですって。
探しても見つからなかった「歓慶殿(ファンギョンジョン)」は工事中でした。
ここはチャングムが仕えた中宗(チュンジョン)が亡くなったところ。
チャングムが通ってたんですね。
ここもなかなか見つけられなかった「月観門(ウォルクンムン)」
管理事務所前にあり、見学用ではなさそう・・
思悼世子のお墓である「景慕宮」にイサンが毎月参拝する時に通った門です。
そして最後に、迷いに迷って見つけた「宣仁門(ソニンムン)」
マップにも無いしインフォでも分からないって言うし、ソウルナビの解説見ながら右往左往して
最後は消去法で、やっとたどりついたこの門は、皇太子が住む「東宮」の正門です。
東宮はサドセジャが米びつに閉じ込められた場所。
幼いイサンが父に食べ物を運んで夜中に忍びこんできたところ。
今は、リスが遊んでます。
おもしろすぎるぜ、昌慶宮。
イサン巡りで時間のたつのも忘れそう・・
昌慶宮の北半分は地形を利用した庭(つーか森)で、東屋や池もある。
なだらかな丘は紅葉真っ盛り
日本が植民地時代に建てた洋風温室
この昌慶宮は(も)日本が破壊してしまったものを近年復興したものなの。
韓国には日本が侵略した跡が点在してるんだよね・・
韓国人に交じって見学してると、びみょ~です。
ともあれ、昌慶宮はとっても楽しめました。
気がつけばもう5時すぎてます。
じゃあ、ボチボチ歩いて帰ろうかな?と思ったら、昌慶宮の前にバス停が見えた(当たり前だって)
安国へ行くバスがひっきりなしにやってくるので乗らなきゃ損損って乗っちゃた。
今度はヒュンダイビル前だから一駅なのに・・
おかげで約束の6時まで時間ができたので、
宿を通り越して中央高校まで行ってみました。
ここは学校じゃなくて博物館なんですね。
勝手に入ってもいいみたいでした。
前には韓流ショップが2軒、ドラマの聖地になってるみたいです。
宿に帰ると、Aちゃんの荷物が2倍になってました。
私のトランクが入りそうな大きなビニールバックが増えてたの。
何買ったの?と持ち上げてみたら、けっこう重いですよ。
買い物したいとは言ってたけど、まさかこんなに買うとは思わなかった・・・
さてさて、今夜のご飯はAちゃんリクエストのタッカンマリ。
東大門の近くにタッカンマリ横丁なるものがあるので、行ってみた。
横丁まではけっこう薄暗い路地でこわかったが、
すぐにお店が並んでるところがあり最初のお店に入った。
タッカンマリって鳥一羽って意味だって。
丸ごと鍋でゆでて持ってきます。
で、ころ合いをみてお店の人がハサミでジョキジョキ切ってくれるの。
ハサミってのが韓国ッぽい。
鳥一羽ですよ、女二人で到底食べられませんわよね~
あ・・・
食べちゃった。
まいう~
その後はdoota!やコスメショップに立ち寄り、ディスコジャンプ見て大笑いし・・
真ん中で立ってる人がすごいの、時々ものすごく高くジャンプします。
光熙市場で革を買い、ケーキショップで一休み。
粛々とスケジュールをこなし、宿へ帰りました。
部屋に荷物をおくと、すぐに食事に出かけました。
ソウルは行きたいとこ、したいことが多くて落ち着いていられない
ちょうどランチ時で、お目当ての店が大行列だったため
近くの「北村平壌冷麺」に入ってサムギョプサルを食べる。
これで9000w(700円ほど)は安すぎでしょ。
大好きなヤンニョムケジャン(ワタリガニのキムチ)もついてたし
14:00からの昌慶宮(チャンギョングン) の日本語ガイドツアーに行きたいので、
明洞に買い物に行くと言うAちゃんとは安国で別れ、目の前のバス停からバスに乗った。
昌慶宮へはバス停二つ。
歩いても近いのだが、その20分がもったいない。
激安の入場料1000w(80円)を支払い、中へ入ると・・・
え~~~~~~~~~
王朝絵巻の中、普通にアジュンマが通る。
わたしもここを通りました。
あ!王様だ。
インフォメーションで確認すると、14:00から祭礼が行われるらしい。
宮内のガイドツアーも14時だが、ここは祭礼見ないでどうする。
会場の明政殿前はすでに大勢の人が座っていて、わたしは入り口の近くに腰を下ろした。
黙って座るのも感じ悪いのでそこにいたアジュンマにexcuse meと声をかけ、
ここに座ってもいいですか?と聞いた。
すると期待もしてなかった英語で答えがかえってきたのだ。
「ここは行列の通り道だから、大丈夫かしら?」
まさかのアジュンマの英語に、わ~話が通じるぞと喜び
「わたし一人だし、構いませんよね~」とおどけて言うとフフフと笑って
スペースを作るように体をずらしてくれた。
祭礼が始まるまで少し喋った。
彼女は旦那さんと並んで見ていて、ご主人は写真撮影に夢中だった。
そのカメラの前にスタッフの人が気付かず立ったので、アジュンマが
「アジョッシ・・」と声をかけどいてもらった。
それを見てわたしが「彼はとても若く見えるけど、アジョッシなんですか?」
と驚いて尋ねた。
すると彼女は、おもしろそうに笑って「男の人はアジョッシよ、日本語では・・・」
「オジサン!」わたしが答えるのと彼女が言うのが重なった。
「でもたしかに彼は若いしチョンガー(独身)かしら、フフフ」
そう聞いて何となく分かった気がした。
アジョッシは男性に対する呼びかけの言葉で、日本で言うオジサンとは少し意味が違う。
たぶん英語で言うミスターなんだろう。
どど~んと太鼓が打ち鳴らされ、楽団が入場。
大臣たちが続々と入場し席につくと、ついに輿に乗った王様が登場。
最後に皇太子。
どこからかサドセジャ・・と言うヒソヒソ声が聞こえてくる。
え?今サドセジャと言いましたか?
あの子がそうなんですか?
あれが思悼世子 (サドセジャ)なら、王座にいるのは英祖(ヨンジョ)ですか?
うそ~~ぉ!嬉しすぎる
わたしが昌慶宮に来た理由は、まさしくこのイサン関係の痕跡を求めてのこと。
その登場人物が、二人も目の前にいるなんて・・
あとで調べたところ、9月~11月の日曜14時に「五旬御宴礼(オスンオヨンレ)」が行われ、
英祖50歳の誕生日を祝う祭礼を再現していたのでした。
英祖はイサンのおじいちゃんで、思悼世子はお父さんです。
英祖66歳のとき15歳の貞純王后を後妻に迎えます。
この王妃さまけっこうワルで、家臣たちとはかりイサンのお父さんを陥れます。
ついには英祖が思悼世子を米びつに閉じ込め餓死させてしまうという事件になるのです。
なんで米びつなんでしょうか。
とにかくその事件があったのが昌慶宮なのです。
大臣たちの前にお膳が運ばれると、歌や踊りが次々に披露されます。
たっぷり1時間の祭礼で、じゃっかん飽きてきたので、
明政殿の内側にまわってみました。
王座側からのショットです。
祭礼が終わり撤収中の玉座
さて、いよいよ昌慶宮の中を見学します。
「景春殿(キョンチュンジョン)」はイサンが生まれたところですって。
探しても見つからなかった「歓慶殿(ファンギョンジョン)」は工事中でした。
ここはチャングムが仕えた中宗(チュンジョン)が亡くなったところ。
チャングムが通ってたんですね。
ここもなかなか見つけられなかった「月観門(ウォルクンムン)」
管理事務所前にあり、見学用ではなさそう・・
思悼世子のお墓である「景慕宮」にイサンが毎月参拝する時に通った門です。
そして最後に、迷いに迷って見つけた「宣仁門(ソニンムン)」
マップにも無いしインフォでも分からないって言うし、ソウルナビの解説見ながら右往左往して
最後は消去法で、やっとたどりついたこの門は、皇太子が住む「東宮」の正門です。
東宮はサドセジャが米びつに閉じ込められた場所。
幼いイサンが父に食べ物を運んで夜中に忍びこんできたところ。
今は、リスが遊んでます。
おもしろすぎるぜ、昌慶宮。
イサン巡りで時間のたつのも忘れそう・・
昌慶宮の北半分は地形を利用した庭(つーか森)で、東屋や池もある。
なだらかな丘は紅葉真っ盛り
日本が植民地時代に建てた洋風温室
この昌慶宮は(も)日本が破壊してしまったものを近年復興したものなの。
韓国には日本が侵略した跡が点在してるんだよね・・
韓国人に交じって見学してると、びみょ~です。
ともあれ、昌慶宮はとっても楽しめました。
気がつけばもう5時すぎてます。
じゃあ、ボチボチ歩いて帰ろうかな?と思ったら、昌慶宮の前にバス停が見えた(当たり前だって)
安国へ行くバスがひっきりなしにやってくるので乗らなきゃ損損って乗っちゃた。
今度はヒュンダイビル前だから一駅なのに・・
おかげで約束の6時まで時間ができたので、
宿を通り越して中央高校まで行ってみました。
ここは学校じゃなくて博物館なんですね。
勝手に入ってもいいみたいでした。
前には韓流ショップが2軒、ドラマの聖地になってるみたいです。
宿に帰ると、Aちゃんの荷物が2倍になってました。
私のトランクが入りそうな大きなビニールバックが増えてたの。
何買ったの?と持ち上げてみたら、けっこう重いですよ。
買い物したいとは言ってたけど、まさかこんなに買うとは思わなかった・・・
さてさて、今夜のご飯はAちゃんリクエストのタッカンマリ。
東大門の近くにタッカンマリ横丁なるものがあるので、行ってみた。
横丁まではけっこう薄暗い路地でこわかったが、
すぐにお店が並んでるところがあり最初のお店に入った。
タッカンマリって鳥一羽って意味だって。
丸ごと鍋でゆでて持ってきます。
で、ころ合いをみてお店の人がハサミでジョキジョキ切ってくれるの。
ハサミってのが韓国ッぽい。
鳥一羽ですよ、女二人で到底食べられませんわよね~
あ・・・
食べちゃった。
まいう~
その後はdoota!やコスメショップに立ち寄り、ディスコジャンプ見て大笑いし・・
真ん中で立ってる人がすごいの、時々ものすごく高くジャンプします。
光熙市場で革を買い、ケーキショップで一休み。
粛々とスケジュールをこなし、宿へ帰りました。