『豊臣秀吉が朝鮮出兵をした文禄の役の時、
秀吉軍を裏切った形で朝鮮側に付いた一人の武将がいた。
その名は沙也可。
加藤清正の右先鋒として朝鮮に渡ったが、侵略に意味を見出せず朝鮮側に寝返る。
慶長の役の時も、朝鮮側について戦い、金忠善という名をもらい朝鮮人として暮らした。』
その沙也可から数えて14代目の子孫、金才徳(김재덕:キムジェドク)さんを囲む会に参加して来ました。
そもそも、沙也可と言う人、日本の記録には一切登場しない謎人物。
裏切られた秀吉が激怒して沙也可がいたと言う事実を抹消してしまったとの事。
沙也可が本名なのかどうかすら分からず、
自分の息子にさえ日本での事は話さなかったそうです。
その沙也可を広く知らしめて、これからの日韓関係をより良くして行こうと言う金才徳さんの活動は始まったばかり。
御年82歳の金才徳さんは、そんなお年とは思えない程お元気で、
沙也可についての色んな事を2時間ぶっ続けで話して下さいました。
それにしても、日本の歴史からは抹殺された人物がいたと言うだけでも
なんだかワクワクしませんか?
歴史はまだまだ面白い謎をたくさん抱えているようで、
それが少しずつ明らかになっていくと楽しいですよね。
歴史の謎に思いを馳せる、有意義な夜になりました。
関連HP1
関連HP2
関連HP3
秀吉軍を裏切った形で朝鮮側に付いた一人の武将がいた。
その名は沙也可。
加藤清正の右先鋒として朝鮮に渡ったが、侵略に意味を見出せず朝鮮側に寝返る。
慶長の役の時も、朝鮮側について戦い、金忠善という名をもらい朝鮮人として暮らした。』
その沙也可から数えて14代目の子孫、金才徳(김재덕:キムジェドク)さんを囲む会に参加して来ました。
そもそも、沙也可と言う人、日本の記録には一切登場しない謎人物。
裏切られた秀吉が激怒して沙也可がいたと言う事実を抹消してしまったとの事。
沙也可が本名なのかどうかすら分からず、
自分の息子にさえ日本での事は話さなかったそうです。
その沙也可を広く知らしめて、これからの日韓関係をより良くして行こうと言う金才徳さんの活動は始まったばかり。
御年82歳の金才徳さんは、そんなお年とは思えない程お元気で、
沙也可についての色んな事を2時間ぶっ続けで話して下さいました。
それにしても、日本の歴史からは抹殺された人物がいたと言うだけでも
なんだかワクワクしませんか?
歴史はまだまだ面白い謎をたくさん抱えているようで、
それが少しずつ明らかになっていくと楽しいですよね。
歴史の謎に思いを馳せる、有意義な夜になりました。
関連HP1
関連HP2
関連HP3
>日本の歴史からは抹殺された人物がいたと言うだけでも
ワクワクする!まだまだ明かされていない歴史や人がいた、って好奇心がそそられます。
朝鮮半島と日本列島は古代から深い関わりがあったのですね~
そう実感させられるお話しでした。
それにしても、きたむーさん、いろんなことに関心持っておられるんですね?歴史もかなり好きそう。私も歴史大好きです。
それとも何かつながっているのか?
びっくりしました。
ひとまずTBしましたが・・。
同じ15日ですよね。
一体何なんでしょう?
僕のブログに訪れてコメントする方って、せいぜい20名もいれば良いところです。
その中に、茶陶遊人さんと、きたむーさんが・・・・。
あまりにも偶然が重なりすぎています。
僕自体が、13日に紅葉を見に行って、帰り何気なく引き込まれるように聖天院と高麗神社に行って・・。そしてその後、朝鮮通信使のお祭りを知ったこと自体が不思議なのに。
私もあずみ大好き。
面白くてちょっと切なくて・・・。
でも沙也可は一応武将なんで、男性なんですよね・・・。
>朝鮮半島と日本列島は古代から深い関わりがあったのですね
そうなんです。
実は九州人のほとんどに朝鮮の血が混じっているそうなんです。
近い国ですもんね。昔から行ったり来たりしていたんでしょうね。
fujimino様
不思議な事もあるものですね。
きっと沙也可の力が働いたのでしょう。
面白いですね。
15日。昔々、この日に何かあったのかもしれませんね。
古い記事にコメントいたしまして申し訳ございません。実は昨年の十月に沙也可をお芝居にしたのです。その舞台でこの脚本では「沙也可」になる雑賀小源太という人物を演じました。
沙也可が誰であったのか諸説あるようですね。雑賀衆だ、いや九州の原田氏だとはっきり致しません。しかし石田三成ですら否定できなかったこの秀吉の朝鮮出兵に異を唱えた人間がいたというのが痛快でした。
作品の出来には満足していないので、もう少し練り直してぜひとも再演したいと思っています。
沙也可に関しての記事でいらっしゃって、うれしく思います。
実は今、韓国に来ていまして、楽しんでいる所です。
かき様のホームにも行ってみますね。
ところでかき様は芝居をされていらっしゃるんですね。
うちのダンナさんも、芝居をやってるんですよ。
飛ぶ劇場という劇団で、活動してます。
私のブックマークにもいれてますので、興味がおありでしたら、覗いてみてください。
鳥取市には「夢ORES」という劇団を主宰していらっしゃる森本さんという方がいらっしゃって、その方が親しくお付き合いをされている劇団だったと思います。
では、きたむーさんは北九州の方なのですね。私は大学を出てから4年間小倉に住んでおりました(^^;)。
HP、ぜひ拝見させていただきます。
飛ぶ劇、ご存知でしたか?うれしいですねぇ。
有名・・・かどうかはともかく、頑張って活動している劇団です。
昔は私も所属していたのですが、私は辞めてしまって、うちのダンナさんが所属しています。
夢ORESの森本さんも、何度かお話させて頂く機会があり知っています。
かきさんも小倉に住んでいらっしゃったんですね。
私も小倉なんですよ。小倉に越して来て15年ほどになります。
偶然ですね。どっかですれ違っていたりして・・・。
県内では最も中央を意識して芝居を作られている
偉大な方です。なんどかアドバイスをいただきました。沙也可の稽古ときも「鈴木メソッド」という基
礎練習のワークショップを開いていただきました。
私は1993年4月から4年間おりましたので時期はか
ぶってますね(笑)そごうや魚町・堺町界隈ですれ違っているかもしれません。北九州大の裏手のマンションに住んでおりました。
稽古から何からゼロからのスタートで、どうメニューを組んでよいやら試行錯誤しながらやっております。