都市と楽しみ

都市計画と経済学を京都で考えています。楽しみは食べ歩き、テニス、庭園、絵画作成・鑑賞、オーディオと自転車

銀座を歩く(岡本哲夫):街区と路地には詳しいが、商業の変遷、屋台や天金など飲食など産業・経済の視点も欲しい

2017-10-23 03:16:35 | 都市計画

 ブラタモリ出演の著者。銀座や江戸の町がなぜ京間60間なのか分析がないのがまず不満。銀座は道路が京間8間は良いが、歩道5.5mは田舎間3間ではないかと突っ込みたくなる。明治の煉瓦街なら京間ではないと思うが。全幅27mなら田舎間(普通は単に「間」)15間というのが良いと思うが。なお、御堂筋は幅43.6m24間だ。

 銀座に並木がないのは1968年都電の廃止の折、都電の車線の石を歩道に転用したときに植樹を無くしたのではないだろうか。また、同年の共同溝の設置もあり大きな街路樹の根の深さ確保や根上り防止ができなかったのではないだろうか。( http://www.nilim.go.jp/lab/bcg/siryou/tnn/tnn0433pdf/ks043309.pdf )

 さらに、江戸時代には銀座通の先にはビスタ・ポイントとして増上寺の伽藍があったというのは面白い。現在は新橋手前に高速道路、その先は駅前北側のニュー新橋ビルだ。

 会所地のある街区は京間60間で120mは京都の街区(40丈)とほぼ同じ。但し両側町(四辺町)でないため割り方は違いう。京都では角のビルが入り込んでいたりする。

 路地はやす幸(おでん 高い)の路地など懐かしい、あとは金春の路地で昔うまい天丼があった。

 みゆき通の変遷は唯一興味深い、晴海通の火除地も当時何に使われていた(市場など)か調査が欲しい( https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%81%AB%E9%99%A4%E5%9C%B0 ) 鳥ぎんの通りが昔の新道だった名残はそうかもしれない。

 収穫はP181 1 1902年に銀座4丁目和光の北西に「天婦羅商 天金」があることだ。( https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E9%87%91_(%E5%A4%A9%E3%81%B7%E3%82%89) )池田彌三郎の「銀座十二章」( https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%A0%E7%94%B0%E5%BD%8C%E4%B8%89%E9%83%8E )にもあった。

 不満なのは、銀座、金座の歴史、明治期風俗のカフェ、勧工場、デパート、屋台、闇市、第二次世界大戦敗戦後の復興、ハイ・ブランドの進出、高さ制限の緩和と「銀芽会」や風俗なら考現学の今和次郎への著述がない。

 著者は形態としての銀座をとらえているが、経済活動や社会学、風俗としての観点が欠如しているのは今の建築学科ではしょうがないのか。

 路地歩きには好適な文庫本だが、銀座の生活、経済活動として商業の変遷、マストラや帝劇三越との対峙などもっと面白い切り口がある。

 敬愛する今和次郎先生の考現学をお薦めする( https://www.amazon.co.jp/%E8%80%83%E7%8F%BE%E5%AD%A6%E5%85%A5%E9%96%80-%E3%81%A1%E3%81%8F%E3%81%BE%E6%96%87%E5%BA%AB-%E4%BB%8A-%E5%92%8C%E6%AC%A1%E9%83%8E/dp/4480021159 )

 ああ、煉瓦亭でカキフライと別キャベツ、ハヤシライスの小を食べたい、大人数だと、ポークカツ、ハンバーグも良いなぁ。お土産は鳥ぎんの釜めしと御新香に新幹線で食べる つくねとはさみ など、天龍の餃子のおみやげも外せない


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