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都市と楽しみ

都市計画と経済学を京都で考えています。楽しみは食べ歩き、テニス、庭園、絵画作成・鑑賞、オーディオと自転車

京都の庭園 御所から町屋まで(下)(飛田範夫):庭より風俗が参考になった

2017-11-26 03:44:41 | 都市計画

 東京、大坂、京都の3都の庭園を比較している連作の京都の(下)にあたる。東京、大阪と比較している。京大学術出版会で専門的と思ったら、庭より茶店、茶屋、寺院の貸席など風俗が面白い、山水の存在など庭の裏を、なお京都の町家を町屋と書くのは独自だ。

 知見は:

茶屋について

・茶店(掛茶屋:簡易)、茶屋(料理茶屋:飲食可)、芝居茶屋→御茶屋(芸妓、遊女)

・祇園:1670年鴨川新堤で芝居小屋と祇園新地に茶屋町、非官許遊女(芸妓だけでなく娼妓のことか)の出現、1751年茶屋復興、1790年遊女屋営業許可、1851年祇園、祇園新地、二条新地、北野新地、七条新地に遊女商売の再免許

・江戸後期、一力は青楼(妓楼)とあり遊郭、芸妓の置屋でもあった

・京都唯一の幕府公認の島原遊郭には傾城屋(遊女(娼妓)を置く)、揚屋(置屋から遊女を呼ぶ)、茶屋があり、庭園での月見などあり格式が高く値も高い。1867年島原以外の遊女町の公許に伴い安い競合に負けた。祇園は逆に踊りや音曲のできる芸妓で高級化を図った→芸妓と娼妓の違いが区別されていないのが残念

山水について

・者(寺の土地に住着いた流浪難民が地代の代わりに雑役庭掃き)と(河原に住着いた流浪難民、死んだ牛の解体や加工も):川崎、三条、四条、六条、八条

・川崎(一条鴨川西岸):青蓮院の「かわさき入道」、四条(四条から仏光寺、河原町から寺町の範囲):化者の養叟が虎菊、瀧ヶ口(鹿ケ谷):四条、八条のと姻戚関係

・御土居(1591)に一部が強制移転し三条橋東(天部村)、江戸初期には高野川の東にも移転

・えた:皮革、処刑・清掃→一生変わらない身分、:雑芸能、遊行的職業、物貰い→一定条件で町民や農民に と推定 は迫害される えた になり、作庭家として存在が隠蔽されるようになった

・西芳寺の庭園は四条流としての仕事か

寺院の貸席について

・東山の寺院で貸席や料理屋化

・東山は無税の「洛外町続町」として形成、円山公園の周りの斜面地に景観を売り物にする寺の貸席(この場合は、御茶屋や宴会場のような利用)が発達

参考:円山公園周辺の寺( https://www.google.co.jp/search?num=100&q=%E5%86%86%E5%B1%B1%E5%85%AC%E5%9C%92%E3%80%80%E5%91%A8%E8%BE%BA%E3%81%AE%E5%AF%BA&npsic=0&rflfq=1&rlha=0&rllag=35006989,135788611,676&tbm=lcl&ved=0ahUKEwjo76uk_4LXAhVEpZQKHRnQB6sQtgMIKA&tbs=lrf:!2m1!1e2!2m1!1e3!3sIAE,lf:1,lf_ui:1&rldoc=1#rlfi=hd:;si:;mv:!1m3!1d1629.8197693267136!2d135.7826581828101!3d35.002941376616796!3m2!1i533!2i383!4f13.1&spf=1508632855340 )

・円山安養寺(多蔵庵(春阿弥)、花洛庵(重阿弥)、多福庵(也阿弥)、長寿院(左阿弥)、勝興庵(正阿弥)、延寿庵(連阿弥))霊山正法寺、双林寺、長楽寺など。共通点は室町時代に天台宗から時宗に宗旨替えで再建、安養寺が「相阿弥作」の庭園も整備、明治以降は上地され官有地、庭園とともに「席貸(せきがし)であり、貸席(明治以降の宴会場)ではない)料理」で収益を稼ぐ。さらにその後は、洋風旅館・ホテルに霊山正法寺の翠紅館は現在料理店( http://www.kyoyamato.com/history/ )

丸山公園から高台寺にかけての下河原には、明治以降の雇仲居など風俗の歴史がある( http://blog.goo.ne.jp/n7yohshima/e/e90b82c2aeb953b5c05123ec1f9e9325 )東山の隠れた風俗の歴史が面白い。寺社と色街のつながりは各所にある

多面的に庭をとらえ、お薦め

コメント (1)
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