“うたのすけさんのブログ”を読んでいると、おぼろげに昔が思い出されます。思い出に浸るには、昔のアルバムを辿るのが一番です。大学の卒業アルバムに、水道橋を俯瞰した写真が掲載されています。当時の国電の中央緩行線の電車が見えます。すでに中野までは複々線になっていました。その向側には、昭和4年に建てられた東京歯科大学のレンガタイルの校舎が、そびえています。遙か右奥には、東京オリンピックのために建てられた武道館も見えます。今では武道館というより、コンサート会場として、若い人には認識されているのではないでしょうか。1965年頃です。都電は、白山通りにも、外堀通りにも交差して線路が敷かれています。このころの神田川は、ずいぶん汚れていたと記憶しています。「平凡パンチ」の広告が、青春そのものです。
初めて上京した頃は、渋谷のハチ公前には、トロリーバスが走っていました。確か、新宿経由で、池袋までが路線だったと思いますが、機会が無く一度も乗らないうちに、廃止になってしまったので、確かではありません。周りに聞いても、トロリーバスの記憶は薄いようです。路面電車もトロリーバスも、無公害の大量輸送機関ですから、国内でも外国でも見直され、復活の兆しがあります。東京も復活させ、都心の排気ガスの抑制と交通渋滞の緩和を考える時期に来ているのでは、ないでしょうか。
今の白山通りは都電もなく、レンガタイルのビルも、ふつうのコンクリートに変わってしまいました。
後4日でお正月です。門松も整いました。自然保護で、門松廃止が論議されましたが、いつの間にか、松飾りが町にあふれています。クリスマスのイルミネーションに飾られた町を歩いて、石油ショックの時のネオンの消えた東京を思い出します。忘れやすいのは、この国の特徴でしょうか。
懐かしい文字が次から次へと出てきます。それと同時に私の脳裏にも想い出が蘇ります。水道橋・・日曜日塾に通いました。浅草生まれです。家の前の道路トロリーバス通ってました。小学生の頃です。神田川・・日本橋の上には空しかありませんでした。社会人になり時々通りましたが、どぶ川になってました。日本橋の上も高速道路がありました。