北へ南へ、東へ西へ

旅と山歩き・街歩きの記録です 今を語りながら過去も振り返って

陶芸家はお金持ち? 幸兵衛窯:岐阜県多治見市

2009-06-03 17:46:01 | 旅の途中で思うこと

 今年のG.W最終日の6日、神言会多治見修道院を後にしたが、お昼にはまだまだ時間があったので、土岐川沿いに市之倉にある窯元に向かった。途中「古虎渓」の名に惹かれてJRの駅まで行ったが、折からの3日続きの雨で川は増水して濁流に覆われ、渓谷らしい岩も河原も見る影もなかった。隣駅の定光寺の様な渓谷を期待していたが、空振りに終わった。

 古虎渓駅から多治見方向に僅かに戻り、瀬戸方向に折れて向かった辺りが「市之倉」だった。美濃焼の窯元が多く集まっている。その中の「幸兵衛窯」に立ち寄った。



 さすが名のある窯元、風格のある建物群だった。



 幸兵衛窯六代加藤卓男は人間国宝の栄誉を持ち、ペルシア陶器や正倉院三彩の技法を復元し、ラスター彩、青釉、三彩、ペルシア色絵など伝統と独創の融合した作品で知られている・・・HPからの受け売りだが・・・。本館の2階には、その六代加藤卓男の業績と作品が展示されていた。(作品は撮影出来ないので幸兵衛窯のサイトでどうぞ)



 本館展示室や資料館などは有料となっていたが、木戸がある訳でなく、フリーで出入り出来るようだ。(300円なので2人分支払い、サロン壺中堂にあった自動ドリップの珈琲を頂いたが、並のコーヒーショップより美味しく、入場料以上の“儲け!”であった。)本館の向かい側には、ペルシア陶器研究の資料、および中国、朝鮮、美濃古陶の参考品を展示した古陶磁資料館と五代加藤幸兵衛と当代の七代加藤幸兵衛の作品を展示した工芸館(前掲入り口写真右手建物)が並んでいた。突き当たりは陶芸の作業場になっているが、もちろん非公開になっていた。



 地方へ行き名のある窯元を数知れず訪れたが、多くは門構えの立派な伝統的な和風建築で、入るのがためらわれることがしばしばだった。それでも年を経て人生に図々しさが出来てからは、「相手も商売」などとかってに理屈付けをして、端物しか購入しないのに入り込むことが出来るようになった。幸兵衛窯は展示・作業施設のみで居宅はなかったが、道路を隔てて正面に加藤幸兵衛の表札の掛かったお屋敷があった。思わず記録に留めたが、こんな家に住みたい!?!



 G.Wは大渋滞が当たり前になっているが、近年最終日の上りは、意外に早い時間に渋滞は解消するのが常になっている。それでもこのまま東京に向かうと、最大の渋滞時間に混雑地点(笹子トンネル、小仏トンネル)に着いてしまうので、多治見からそれほど遠くない瀬戸赤津焼きまで車を走らせ時間の調整をした。東海環状の高速道が開通したので、瀬戸I..Cからは東海、中央の高速道どちらにも行かれる。中央道回りの方が30km程遠回りになるが、通行量は格段に少ないので中央道回りにした。道路情報の掲示板を頼りに走り出したが諏訪I.Cまではスムースの様で、J.Cを過ぎたところの掲示板には「小仏トンネル渋滞10km」とあった。進行に伴って渋滞距離は縮小していき、解消も早く結局停車する程のこともなくスムースに帰宅出来た。

 5連休、上限1000円の高速道、予測通り場所時間によっては例年以上の渋滞があったようだが、作戦成功で事故渋滞に1度会っただけで、スムースな走行が出来た。走行距離1200km余り、高速代7000円強は十分新制度の恩恵にあずかった様だ。



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