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旅と山歩き・街歩きの記録です 今を語りながら過去も振り返って

かって憧れていたホテル 続・志賀高原:長野県山ノ内町

2012-08-27 12:03:25 | 旅の途中で思うこと

2012夏休み・その5「志賀高原歴史記念館・旧志賀高原ホテル」



 案内板の背後石垣の上にとんがり屋根が見えていた。「志賀高原歴史記念館」である。



 この建物はかって「志賀高原ホテル」として栄えていた建物の中心部分(本館)であって、左右に宿泊棟があった。志賀高原随一の格式あるホテルで1999年閉鎖後取り壊されている。残された本館部分も取り壊しの予定があったが、歴史ある建物としてかろうじて残され記念館として内部を公開している。玄関を入って正面に暖炉があり、取り外された銘板が添えられていた。

 

 志賀高原はかってスキー行の中心としていたので訪れたのは数知れず、始めてきたのもここ丸池だった。最初は貧乏学生の頃今はなくなったがゲレンデ内にあった「高野ヒュッテ」で安上がりに過ごした。大学卒業後は安月給とはいえ給料も入るようになり、「丸池観光ホテル(マルカン)」や「ホテルニュー志賀」、発哺温泉の「天狗の湯」「薬師の湯」なども利用していた。仲間とバスを仕立ててのスキー行では発哺温泉「東館山荘」や「岩菅ホテル」など、「熊ノ湯」や「硯川」なども思い出にある。

 それでも「志賀高原ホテル」は高嶺の花でもあり子連れにはやや不向きとの思いこみ、そしてスキー場へのアクセスはスキーを担いで車道を少し上る事もあって機会を失して泊まったことはなかった。取り壊されると知っていたなら、一度だけでも・・・もっともこの10年以上スキーシーズンには志賀高原は関係なくなっていたから、情報も捕っていなかった!残念!!

 窓には至る所にステンドグラスが、床に据えられたスチーム暖房器も当時の“モダン”を感じさせる。



 ロビーから見上げると2階に回廊があった。



 回廊から見下ろすロビーには暖炉に薪がくべられ、往時を彷彿とさせていた。管理人の気配りが窺われる。



 2階ラウンジでしょうかビリヤード台が置かれ、壁には日本画の壁画が保存されていた。



 窓からは白樺の白と緑が美しく赤い屋根とマッチしている様が見えていた。客室からも同じ風景が終日眺められるなら、季節を問わず安らぎの宿として留まる価値がある。



 余談だが、客室は公開されていない・・・左右にあった客室棟は取り壊されているから当然だが、本館にもいくつか客室はあったようでそれは今でも3階に保存されている。主なものは実際には使用されてはいないが皇室(天皇陛下の様だったが)を想定して設えられた和室であった・・・と、玄関を入った時妻の問いかけに気をよくして説明に2階まで付き添ってくれていた管理人さんが解説してくれた。

 余談の余談だが、説明後通常業務の風通しをするためと言いながら管理人さんは扉を開け、置いてあった結界のロープを脇に除け見てないふりをしている間に、入り口から少しだけ室内を眺めることが出来た!
 
 前述の志賀高原各地のホテルもすでに閉鎖してしまったこの「志賀高原ホテル」・「マルカン」や一時閉鎖していた「天狗の湯」、ロッジ程度だった小屋が今は立派なホテルとして威容を見せていたり、焼け額など新しいゲレンデやホテルの開設そして休業などスキーブームの全盛から現在の衰退した状態に至るまで、栄枯盛衰の様をさらしている。湿原やトレッキングコースも充実している「志賀高原」だが、閑散とした感は否めない。人混みでごった返している「上高地」や「軽井沢」などとの格差は何故出来るのであろうか?!?



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3 コメント

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Unknown (yohri)
2020-06-01 19:47:28
「志賀高原ホテル」で検索し辿り着きました。
私事ですが今から30年程前、亡き母と志賀高原に旅行に行った際に泊まった宿が
志賀高原ホテルだったと記憶しております。今後、残っている僅かな写真を頼りに
志賀高原を再訪し、30年前の旅の足跡を辿ろうと思っているのですが、私の記憶
に残っているのは、

・実際に泊まった部屋は鉄筋コンクリート造の、比較的近代的な建物
・部屋は1階で、窓からの景色はコンクリートの擁壁に遮られ何も見えず
・道路からは焦げ茶色地に白いペンキで「志賀高原ホテル」と書かれた木製看板が見えた

だけです。
私が泊まったホテルは本当に志賀高原ホテルだったのかも曖昧です。
当時の記憶が何かございましたらご教示頂けますと幸いです。
返信する
コメントありがとうございます (koba3)
2020-06-02 10:18:32
yohriさん コメントありがとうございました
この項は2012年夏休みの時です。
学生時代は発舗温泉のロッジや薬師の湯、天狗の湯、
ツアーでは丸池の丸池観光ホテル、ホテルニュー志賀が主でした。

「志賀高原ホテル」は庶民にはいわば高嶺の花で、
前を通っては“いつかは”と思っていただけで泊まった事はありません。
2枚目の写真本館部分が現在も存在していて、
過去の姿のままなのを鮮明に記憶しています

泊まられたと思われる宿泊棟は左右に翼を広げていましたが
現在は取り払われています。
「蓮池」から曲線のかなり急な坂を上って
「丸池」に着くちょうど中間点にあります。

志賀高原は好きなところなので
何年かに1度は訪れています。
サイト内を「志賀高原」で検索していただくと、
いくつかのレポートがあります・・・参考になるかは判りませんが・・・・。

yohriさんURLがあれば、直接お話しできるのですが。
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ご返信ありがとうございます (yohri)
2020-06-05 16:08:14
kobaさん ご返信ありがとうございます。
宜しければ直接ご連絡賜りたく存じます。
yohri(アットマーク)ripplemonkey.com
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