北へ南へ、東へ西へ

旅と山歩き・街歩きの記録です 今を語りながら過去も振り返って

移転ご挨拶

plalaからgooへ移転してほぼ修正が終わりジャンル・カテゴリーが設定出来ました。タグ付け法が見つからないので、県名・市町村名、東京都は区市町村名で、その他寺社・名所などは固有名詞でサイト内検索して下さい。 サイト内リンク先、アドレスがplalaのpubのままgooに変更していないのでリンク切れしていました。リンク箇所を探して変更するのはかなり時間がかかりそうです。

新しいカメラが来た 渋谷スクランブルスクエア:渋谷区

2020-01-29 16:13:29 | カメラと写真

 新しく建てられた渋谷スクランブルスクエア、毎日通勤には渋谷駅で乗り換えているが、しみじみ眺めたのは初めてだ。見上げてみたが高い!フレームに収まらない。初めての撮影70mmレンズ35mカメラ換算では100mmを超えていそうだ。

 誕生祝いに家族から希望を聞かれた。この年になるともう“もの”にはこだわりがなくなってきた。それでも使わない物を貰っても意味はないので考えた。使用中のコンデジカメラの外装が加水分解を起こしべたついている。ネットで調べて色々な洗浄を試みたが効果はない。代替え機をと調べたが、一眼の形をしたコンデジで50倍のズームレンズを持つカメラは各社から出ている。が、すべてズームは電動で現在使用しているような手動ズームは見当たらない。フジFinPixHS50EXRが唯一だった。手動ズームを選ぶなら一眼レフカメラしかなさそうだ。

 コンパクトなミラーレス一眼を量販店に見に行った。しかし使い慣れた一眼レフタイプに比べて手にしっとりとこない。脇を見るとコンパクトながら従来タイプのNIKON一眼レフがあった。ボディーはかなりコンパクトで軽い。ダブルズームレンズがセットになっていたが、やはりかなり高価だった。帰宅してネットで探るとamazonに三割以上安価な出品があったので、即決めた。

 早速試写をしに渋谷へ出た。久しぶりに中央改札からスクランブルスクエアに直接入った。

 通路を抜け歩道橋・・・というより青山通りと明治通りの交差点上にデッキができていた。見上げると画面に収まらないので、レンズをショートズームに取り替え撮ってみた。遠くのセルリアンタワー、反対方向のヒカリエ、目前にたつスクランブルスクエア、そして???すべてのビルの名前が覚え切れていない。「東急文化会館」「東横東館」「東急本社」「東急プラザ」などなど・・・なつかしい!!

 明治通りの上に移動した銀座線の渋谷駅ホーム、供用が始まったがまだまだ工事は進行中のようだ。井の頭線からの乗り換えはさらに遠くなったようだ。


 


2回目のスキー行も青空が・・・! みつまた・かぐら:新潟県湯沢町

2019-02-10 10:39:14 | カメラと写真

 すでに1週間たってしまった先週の日曜日、みつまたゲレンデには青空が広がっていた。

 土曜の夕方湯沢に着いたときは小雨模様だった。日曜日朝目をさますと日の出とともに雲一つない青空が広がった。正月元旦も1日だけではあったが青空だった。高齢者にとっては1日だけでも天気で滑ることができればそれでよい。いずれにしても3時間ほどで満足??それ以上は体が持たない、もとい、足がついてこない!!

 みつまた第2高速リフト脇、第1高速リフトと高低差は同じはずなのに、なぜか斜度がきつく感じる。(第1高速側ゲレンデは正月のblog写真に掲載)

 足慣らしを終え“かぐら”へ向かう。神楽ゴンドラへはこの斜面を下る。初心者にはややきつい!

 谷底にゴンドラ乗り場があり、緩やかな斜面コースに沿って上ってゆく。

 かぐらメインゲレンデにはコブが幾筋も作られ、モーグルの練習が盛んだ。

 冬の間はスキー行がメイン、それも越後湯沢中心なのでスキー場も数カ所、毎年同じ画像が載ってしまうが、止むを得ない。雪の反射を受けコンデジカメラの液晶画面はほとんど見えないので、おおよその見当で方向も写角も決めて撮る。邪魔者が写り込むことも多いが、トリミングで逃げ切れない画像も多く、掲載できない無駄も多くなる。そこで、「消しゴムソフト」なるもので処理を試みてみた。

 画面4分の1ほどの人影を消したが、見た目は????


今年もお付き合いありがとうございました :新潟県湯沢町 

2014-12-31 23:47:08 | カメラと写真

 まもなく平成26年が終わります。おつきあいありがとうございました。

NASPAスキーガーデン最難関のこぶこぶコースです。1kmほど離れたところからの撮影です。1000mm換算のレンズの威力です。


東京タワーと思ったのですが・・・ カメラテスト・在宅にて:渋谷区

2014-02-28 18:44:12 | カメラと写真

 ライトアップされた東京タワー、やっと捉えました。ズームを1000mm望遠(35mmレンズ換算ですが)にしてかっきりとまではいきませんが“見られる”程度にはなりました。でもよく見るとスカイツリーの形?

 自宅窓から望遠レンズ手持ちで東京タワーを撮ると、ブレブレになります。800mm相当の望遠で、何度試してもこの程度でした。手すりに当てて置いても・・・。

 

 いずれも一眼レフに遠く及ばないコンデジの域を出ないクラスのカメラですが、最初の写真を撮ったカメラを娘二人が誕生祝いに贈ってくれました。ブレブレの写真も同じクラスのカメラですが、5年経って次世代に変化していました。ブレ防止の設定にすると何枚かを連写して瞬時に判断合成してブレていない画像を創り出す・・・どんな理論か???現実に可能でした。しかし、スカイツリーとなると更に遠くにあるはず、家から見える?見えない?1000mmレンズなら可能かも???

 君の名は・・・FinePixです。24~1000mm手動ズームレンズ付き、コンデジではオートが当たり前ですがマニュアルでのピント合わせのためのリングも付いています。そのほかにあれもこれも・・・機能が多すぎなにがなにやら・・・???とりあえず“auto”で撮っています。

 

 40階建てのプライムスクエアーの最上階も鮮明ですが、アップが過ぎて何がなにやら。



 マクロも最短1cmとありましたが取り敢えず20cm、40cmで試写.。



 東京タワーと思って掲載準備したのに、確認したらスカイツリーのような?そうで無いような?もう一度撮影し直し!!!さてこのNewカメラ、しばらくお出かけの予定が無いので無理矢理連れ出さねば!!!


逆光でも何とかなった! 西吾妻山:山形県米沢市

2012-07-25 17:42:13 | カメラと写真

 山の写真だが、3年前の海の日に行った西吾妻山である。

 先週の月曜日は祝日であった?カレンダーが赤字になっていたので無造作に休日としたが7月には最近まで旗日はなかったので、何となく実感が湧かず何ら計画も立てていなかった。「子供の日」や「春分の日」など元来端午の節句やお彼岸として由来のある“お決まり”があれば自然祝う気持ちで休日となるが「海の日」など由来がはっきりせず“こじつけ”により無理矢理祝日にした“日”は心の中に定着していない。おまけに7月第3月曜日などとさらに根拠のない“浮き草”ともなると尚更のこと!!!

 という訳で過去の「海の日」の行動を振り返ってみると、イチャモン付けている割にはちゃっかりと旅に出ているようだ。2009年は郡山・裏磐梯経由で米沢に行き西吾妻山に登頂している・・・すでにレポート済みだが・・・。話題は登山記録でなく新しく導入した「画像処理ソフト」について・・・といってもAdobe Photoshopの初心者版Erementsだが、まだ殆どの機能を理解出来ていないが重宝し始めたのは画質調整の内の“ハイライト・シャドウ”の調整だ。

 山歩きでは一定の時間内に目的地迄踏破しなければならないので、写真撮影は多くの制約を受ける。対象に近寄れない・近すぎる、これはズームレンズである程度カバー出来るが写角の効果を選ぶことが出来ない。今ひとつの問題点は光線の強さと角度である。登山道の決められたコースを所定の時間で歩くのであるから、薄暗がりや逆光の影響は当然受けることになる。光線の具合を待つ時間もなく撮影位置も変えられない。撮影に専念できるときは手動で露出を調整出来るが、歩きながらではそれもおぼつかない。フルオートのままでは当然対象が黒くつぶれた状態に仕上がってしまう。

 そこで画像処理ソフトの出番となる。冒頭の画像は吾妻山の項ですでに掲載しているが、暗部の湿原が暗くつぶれてはっきりしなかった。調整により木道が判別出来る。帰り道、西大顛は逆光西方向となるので笹原と山は黒くつぶれてしまったが見事蘇った。



 梵天岩も地図上で特定したが、処理後には木柱の文字が読むことが出来た。



 ケーブル・リフトと乗り継いできた下界の白布高湯の温泉街も僅かに判別出来るようになった。



 この作業のおかげで今まで判然としないまま没としてきた画像の中にも、再生可能でレポートの補足・彩りとして使えるものを探し出す楽しみが出来た。      (この項、以前使用した写真の画質調整後の再掲もある)


再び石・石・石! 大谷景観公園:栃木県宇都宮市

2012-05-22 14:19:53 | カメラと写真

2012GWの記録・その8 光によって岩肌の色が・・・?

 大谷石の壁と緑の空間、次にやってきたのは「大谷景観公園」広場全体を撮ってみたが露出が合っていなくて全体が暗かった。画像ソフトを使ってシャドウを和らげてみた。



 明暗の調整で暗部シャドウを消す作業のみで彩度などの色に関しては手を加えていない。が、他の画像と比べ何か色調が違う。日の当たった岩肌と水の流れを“絵”にしてみた写真と比べて???



 名勝「奇岩群」様々な岩肌の壁が連なっていたが、目移りがしてあちこち撮った出来上がった画像を並べてみて気が付いた!日の当たり方によって岩肌の色がグレーがかったり明るい黄土色だったり、それにつられて周りの木々の緑もくすんだ緑になったり、萌葱色になったり変化していた。

 



 ほぼ同じ条件で撮っても変化がある。???同じ岩を雲のかかり具合で摂り比べてみたら如何様になるであろうか??試してみる価値がありそうだ。



 平和観音を後にして先ず石切場跡の地下空間を利用した「大谷資料館」を訪れたのだが閉鎖していた。張り紙に「当館におきましては、地震による被害はほとんどございませんでした。しかしながら、気象庁の発表による今後の大きな余震の可能性や、東京電力の計画停電等を考慮し、当分の間、休館することに致しました。何とぞ、ご理解のほどお願い致します。」とあった。来た道を引き返し、資料館への取り付け道路の入り口辺りに「大谷景観公園」はあった。さすがにトイレまで大谷石造りであった。



 平和観音像の大谷公園も資料館も石切場跡だが、資料館への道周りにも平和公園のアプローチにも石採掘跡があり石屋の看板があり、大谷地区は石の町そのもののようだ。景観公園の道路反対側にも岩山があり、くり抜かれた中には広い空間があって家が建っていた。これも石切場跡であろう・・・くり抜いた中の写真はないが・・・。



花火撮影は“難ツカシ~~”&黄昏色の田園風景:新潟県湯沢町

2011-08-24 15:48:31 | カメラと写真

 今年の夏休みの目玉はこれ!!!



 毎年8月15日・16日は「湯沢温泉夏祭り」、御輿や民謡手踊りのとろりこ流し、ミス駒子コンテストや屋台など盛り沢山のイベントが組まれているが、人混み苦手なkoba3一家は宿から見上げる花火が目的、15日早めに夕食を済ませ時間を待った。午後8時の打ち上げ予定の一時間を切り、昼頃から1時間毎に打ち上げられていた開催予告の音花火が7時にも炸裂していた。が、突然の夕立、前夜も降ったがそれ以上に激しく降り続いた。8時を過ぎて諦めかけた頃雨音が止んだ。すると突然スピーカーから聞き取れないが挨拶らしき声、続いて1番・・・と読み上げがあって花火の打ち上げが始まった。



 始まった頃は雲が低くたれ込めていたので、尺玉などの高く上がる花火は雲に隠れて半円や霞んだ状態であった。



 子供たちが皆家にいた頃の夏休みは、中央公園でテニス、鯨波の海水浴、越後・只見・尾瀬の山歩き、そして花火見物が四点セットであった。当夜はビルの屋上が開放されていたが大勢上がって混み合っているであろうと避けて、見物に居座っていた場所は4階ほど下ではあった。それでもかなりの高さがあるので、打ち上げ場所の旧城平スキー場の上部と対面していて、筒からの打ち上げの火の粉までがよく見えていた。



 この季節あちこちのサイトで花火の画像が花開いているが、いずれも見事に花火を捉えている。花火だけでなく近景遠景を添えたり、水面に映えて逆さ花火を加えたり、その手法に感服する。考えてみると?考えなくとも数カットを試し撮りはしても、今までまともには花火は撮ったことがなかった。このblogでも花火の画像は初めての筈!花火撮影の気はなかったので車にメインのカメラと三脚は置いてきてしまい、ポケットに入っていたコンデジを手持ちでいたずらに写しておいただけ!!ま、koba3の腕ではこの程度でしょうか・・・最近のカメラの高性能に助けられ何とか・・・!!。



 湯沢の花火は旅館組合や飲食組合、地元企業の他に、クラス会・同窓会・青年会・還暦の同士などの小さなグループ、時に個人的な祝いのための打ち上げなどで、大手のスポンサーの付く大規模な花火大会と異なり地元密着型で、派手さはないが温もりのある大会・・・などとコメントすれば“うける”のであろうか!?!

 前日夕方湯沢についてすぐ食事に出かけたが、食事中は夕立が激しく降っていた。宿への帰り道ではすでに雨は上がって、ガーラ湯沢辺りの夕闇の空が薄いアカネ色に染まっていた。



 夕焼け程派手ではないが、古びた油彩画を見るような不可思議な感覚を覚えた。夕闇に色を失いざわめいている稲穂も、数週間後には黄金色に波打つのであろう。



 北国の秋は早いのであろうか、黄昏の中のコスモスに額縁を・・・と思ったが図柄のイメージが見つからなかったので、縁取りだけになってしまった。



 やっと出来た写真追加!!額縁の図柄をCDに見つけたが、取り込めない。そこで、茶色の縁取りをしてみた。額縁に見える?見えない??



ニコンさん!ご苦労様でした ニコンカメラと大雪山:北海道

2011-01-22 09:55:23 | カメラと写真

 このところ開けることがほとんど無かったカメラ始め写真用品類の保管に使っている細身の食器戸棚を久しぶりに開いてみると、カラーネガの生フィルムが数本転がり落ちてきた。使用期限か製造年月を確かめると記載はない。確か以前は記載があったが、何時の頃からか見られなくなっている。どこかに記載があるはずと思い再度確かめたが、見つけられなかった。10本徳用パックだったから、取り出して廃棄した外装に記載があったのかもしれない。何時買ったかも記憶にないが、最後にフィルムを持って行った2007年ヨーロッパ旅行以来デジカメに移行しているので、その頃の残りであろう。

 棚にはカメラが数台(大衆機ばかりだが少ない数ではない)、交換レンズ、ストロボやレフランプがそれぞれ数台収まっているが、積み重なり取り出すのが容易ではない。レンズにカビが生えたり電池もほとんど切れているであろうから、これ以後保存する必要はなさそうに思える。カメラはキレの良さも性能もそれ程重要視して買ってはいないから、中古として処分する程価値のある機種もない。廉価大衆機種ばかりである。それでも廃棄物として「ゴミ」とするには忍びないので、買い取り専門に特化しているなじみの写真屋さんに相談してみるのが良い??大半はその写真屋さんから買っているのだが・・・。

 学生時代に大枚はたいてやっとの思いで買った「キャノンR」シリーズは、数年で大幅なモデルチェンジをしてレンズマウントが引き継がれず、交換レンズが供給も次機種に使用も出来なくなってしまって、キャノンには深い恨みがあるので就職後最初のボーナスでは「ニコン」を選んだ。と言っても給料はそんなに多くはないので目玉の「F」(その頃はフォトミックが最新だったと思うが)には手が出ない。その頃一眼レフ・フォーカルプレーン・シャッターは布幕の横スライドであったが、高速で精度の高いマミヤ光機製(コパル製だった???)の縦金属膜シャッター使用と言われていたので、「ニコマートEL」を購入した。もちろん、ニコン製一眼レフの中では最安値であったことが一番だったのだが・・・。



 カメラは単なる暗箱に過ぎず、一眼レフで最重要点のミラー跳ね上げ機構は機種を問わず一定、ならばレンズの多さが勝負と考えた。写真のELには21mmの広角が付けてある。標準レンズは省いたがその頃からピントのずれや周辺ボケで敬遠されていた「ズーム・レンズ」の性能が飛躍的に改善され実用的に問題が無くなってきて、アマチュアが趣味で使うのにはまずまずのレベルとなっていた。旅行や登山撮影が多いので、レンズ交換は煩雑でチャンスを逃がして仕舞う事が多くズームレンズは有り難かった。レンズ交換の手間を省くもう一つの手段としてはサブカメラに異なるレンズを付けておけばよい。同じマウントで比較的小型で軽い「ニコンEM」を追加購入した。



 付けてあるのは43~86mmのズームレンズであるが、別に75~200mmのズームレンズも購入している。



 21mmの広角レンズ購入の前に35mm広角も買っているが、2本の広角レンズはかなり後であったと記憶している。この4本のレンズでほとんどカバー出来ていた。

 

 この2台のカメラにそれぞれのズームレンズを装着、その頃夢中になっていた10倍ズームの着いた8ミリムービーと三脚を携え出かけたのが昭和42年(1967)秋の北海道旅行であった。8ミリムービー主体であったのでスチール写真は多くはない。おまけにモノクロに拘っていた時期だった。旭岳温泉(白金温泉と記憶していたが、天人峡の隣なので)の奥ではロープウエーの工事をしていて、途中登山道旭岳方向へは入れなかった。旭岳、遠くからでも焦点距離の違いから写角の違いで、大地の広がりと山のアップと異なった画像が得られている。

 



 広角レンズも持参していたようで、紅葉の終わった山肌が寒々しい。



 旭岳温泉近くの駒止の滝まで行ったようだが記憶がない。web上で確認したが確かに滝の形は一致している。全体像がないので、3種類のレンズでも収まらなかったのであろうか!

 



 9月末の北海道の朝は既に冬の気候になっていて、然別湖の日の出を狙って夜明け前に湖畔に三脚を据えて待ちかまえていた時は、凍えそうだったことを思い出す。



 この時の旅、北海道内を20日程歩き回っていたのだが、主の目的は開通したばかりの日勝峠の探訪だったのだが、何故か未だに画像が見つからない。色のないモノクロの写真は雑念をぬぐってくれるので好きなのだが、北海道旅行終盤雷電温泉から最後の宿泊地函館に向かう列車を待って駅のホームから周りを見渡し、遠くのニセコであろうか惜寂の雰囲気が漂っている。



 60歳近くになってからはピンぼけの写真が多くなっていた。露出はオートだがピントは手動で合わせなければならない。年齢から来る“目”の衰えと思われる。デジカメと違ってフィルムは現像するまで作品は見られない。旅先の写真は帰ってから結果が分かるので、取り直すこともままならない、というより失敗は取り返せない。と言う訳で、オートフォーカス機構を持つ「ニコンU」を追加した。



 これもF系列の廉価版、今まで保有しているレンズはオートフォーカスに対応出来ないのでこちらも買わざるを得ない。ニコン純正品は高価であり、ショートとロングの2本のズームレンズが必要になる。そこでレンズ専業メーカーの製品を検討した結果、タムロン28~200mmズームレンズとした。マニアに見せれば、ピントが甘く、歪みや周辺ボケもあり、ホワイトバランスも最良とは言えないであろうが、老眼の目には既に感じなくなってる。旧ニコンはカメラもレンズもダイキャストで重く、最新の物はプラスチックやグラスファイバーが多用されているので軽く持ち運びが楽になっている。フィルムを使う機会はおそらく無いであろうが、精神上の安心感を維持するために、この1台は残すことになりそうである。(買った時の試写の新宿副都心の画像はこちら!200mmレンズの威力が発揮されている)


今も昔も噴煙が 那須・茶臼岳:栃木県那須町

2010-06-25 13:46:37 | カメラと写真

 ある試みをしてみました。画像は昭和35年(1960)5月、裏磐梯・桧原湖を行く遊覧船です。画面がかなり荒れていますが、理由があります。



 この時、大学のクラス旅行で桧原湖畔に泊まっていました。北海道出身でスキー狂いの級友がスキー板持参で参加していました。帰路群れを離れて吾妻山で春スキーをする計画だったようでした。冬の間スキー行を共にしていた級友数名が同調して同行することにしたのですが、道具を持っていません。レンタルすればよいのではと宿は出たのですが、(この頃レンタルとは言わず、単に貸しスキーと言っていたはずですが・・・)山スキーですからゲレンデと違って借りるヒュッテもないことに気が付いたのです。スキーは断念して山登りに切り替えて途中下車したのが黒磯駅、バスに乗り換え目指したのは那須・茶臼岳でした。ロープウエーは1962年開通でしたから、バス停から先はスキーブーツや革靴で本格登山なみに歩いています。正面が茶臼岳でしょう。



 この時カメラはまだ35mm版は普及初めで一眼レフも発売されたばかり、ブローニー版の二眼レフ6×6版かレンズシャッターの蛇腹式セミ版がまだまだ生き残っていました。この写真も「コニカシックス」に内部アダプターで一部を覆ったセミ版のネガが残っていました。残念ながら手持ちのフィルムスキャナーは35mm版専用ですから、スキャン出来ません。本格的なフィルムスキャナーは万も二桁近い価格ですし、今後の利用度も高くはありませんので購入出来ません。町のミニラボも既にブローニー版は外注で、ましてモノクロは手焼き作業でかなり割高です。

 そこで試しました。ネガをシャーカステン(仕事に必要で手元にあります)に載せデジカメで接写し、PC上でネガポジを反転して階調を整えたのがこの項の画像です。茶臼岳の噴煙も思いの外迫力を持って見られます。

 



 那須岳はこの後も数回単独や家族同行で登っていますが、登りはロープウエー利用になってしまい、下から登り詰めたのはこの時だけでした。朝日岳との鞍部にあった「峯の茶屋」の位置だと思いますがベンチが写っていて湯本方面を遠望していますが、最近の地図では・・・跡となっているので、既に存在しないのでしょう。

 



 この手法ではこの程度が限界かと思われますが、もう一工夫して更に良質な画像が得られれば、死蔵している「思い出の写真館」の中から日の目を見る画像を拾い出すことが出来そうです。

ネビルさんから写真が裏返しとの指摘があり、確認したらやはりそうでした。鏡像の写真と差し替えました。何となく記憶が蘇る??

 


お堂が沢山!緑も一杯! 続々・中尊寺:岩手県平泉町

2010-05-27 18:05:52 | カメラと写真

2010年GW・北東北の旅・その14:天然記念物・モミの木

 今年のGWの旅、初日から盛沢山になってしまった。何しろ中尊寺には17か院の子院があるという。(文献によると:大徳院、地蔵院、瑠璃光院、願成就院、金剛院、積善院、薬樹王院、真珠院、法泉院、大長寿院、金色院、釈尊院、観音院、常住院、利生院、円教院、円乗院)。全てを廻りきれないが、参道入り口からとりあえずは月見坂を登った。



 最初に巡り会ったのが「弁慶堂」だった。



 弁慶の仁王立ち像があるというが確認していない。お堂の彫刻は、雨風に晒されながらも見事に刻まれていた。17院のどれに属するのかは分からなかった。やっと「愛宕宮」が本来の名と分かったが、確かに鳥居がありお神籤もありで、それでは寺院ではなく神社なのか?その為17院の子院は該当しないのか??

 

 少し脇道へ逸れ東物見から平泉の町方向を展望した後、参道へ戻り「薬師堂」へ。



 本堂の前をうっかり通り過ぎ向かいの「中之坊」へ???この広さ佇まいから・・・の筈だが、この画像の正体がはっきりしない。



 中之坊の向かいへ大勢の人波が吸い込まれていくので其所が本堂と気付き、お参りを済ませ脇門から出て見上げたのは、木立に見え隠れする「峯薬師堂」??に違いない。何しろ次から次へ現れるお堂に圧倒され、確認を怠っていた。



 通りを隔てた「不動堂」、門碑を撮し込めば後の整理が楽なのだ。が、撮影枚数を節約し勝ちなのは高価だった銀塩フィルムの名残なのか!単なる“物忘れ”なのか!!



 讃衡蔵の金色堂拝観券売り場で券を購入し、流れでそのまま讃衡蔵内部へ、陳列された仏像の数々、いずれも由来由緒のあるものであろうが、折角のチャンスであっても何しろ余り興味がない、おまけに薄暗い狭い通路では“閉所恐怖症”気味ともあってチラチラ眺めの素通り状態。急ぎ金色堂へ、覆堂内は僅か十数分でトコロテン押し出し、杉木立の中の「経蔵」が清々しかった。



 金色堂の先は人波が半減した。ここまで来るのにかなりの時間と労力を費やしている。団体客は時間に制限があり、足の弱い人ではここまででかなり消耗しているはず、金色堂を参観すれば引き返すことにもなる。能舞台まで行き着かずに・・・。おかげで「大長寿院」の境内には静けさが漂っていた。余談だが、今週仲間内の会合であった友人は、ほぼ同じコースを五日後に旅しているが、金色堂までがやっとだったと弱音を吐いていた。



 取り囲むように周りには青々とした竹林があり、一角には「天然記念物・モミ」があった。見上げると首が痛くなる程聳え立っており、当然全容は捉えられていない。

 

 郡山を早立ちして東北道を走ってきて、毛越寺、中尊寺と巡った2日もまだ日は高い、高速道ICは目と鼻の先、再び乗ると2度目の1000円を払わなければならないが、通常ならば数千円かかったはず、時間稼いで旅を満喫したいものだ!