北へ南へ、東へ西へ

旅と山歩き・街歩きの記録です 今を語りながら過去も振り返って

移転ご挨拶

plalaからgooへ移転してほぼ修正が終わりジャンル・カテゴリーが設定出来ました。タグ付け法が見つからないので、県名・市町村名、東京都は区市町村名で、その他寺社・名所などは固有名詞でサイト内検索して下さい。 サイト内リンク先、アドレスがplalaのpubのままgooに変更していないのでリンク切れしていました。リンク箇所を探して変更するのはかなり時間がかかりそうです。

やはりゲタ・ゲタ・下駄 大雄山最乗寺:神奈川県南足柄市

2019-11-20 12:42:59 | ぶらり旅

 大人の身長ほどの朱塗りの下手が鎮座しています。この下駄は先代で、当代は後ほど・・・。

 11月はじめの連休、最終月曜日は遅れて着いた2人を含め総勢12人、帰路の渋滞も考慮して東名高速に近づく方向、そして鉄道利用もいるので目的地を選ぶと、箱根登山鉄道の別線「大雄山」から杉並木の続く「最乗寺」となった。車で駐車場まで直接入ったので、杉並木は省略した。

 それでも杉木立に覆われた参道の階段を上る。

 門をくぐると正面にお堂が・・・これが本堂?本堂より立派な「書院」だった。

 境内案内図を確認し見渡すと、書院の彼方に「本堂」はあった。

 これが「本堂」!

 本堂の前に今ひとつの門があり、その先階段を下りた所に冒頭の「下駄」は据えられていたので、こちらが本来の参道なのか?駐車場から入ると、位置関係が曖昧になってしまう・・・いつものこと。

 ちなみに、前回訪れたのは1997年4月のこと、20年以上前になる。そのレポートは2007年12月19日に掲載していた。フィルム写真をスキャナーで読み込んでいる。それはここ

 本堂先の開山堂脇から更に高見に上がることになる。斜面にお堂が並ぶ。

 鐘楼、多宝塔、御真殿等々。

 

 奥の院へ向かう道脇に冒頭の「下駄」より更に大きな「下駄」が奉納されていた。前回にはなかったので後に、周りにも沢山・・・。

 奥の院の入り口、この階段を上るヤレヤレ!!

 途中天狗像が・・・カラス天狗、天狗は最乗寺所縁と聞く。天狗も修行僧の山伏も高下駄を履く、そこでくだんの下駄も奉納されるという。

 奥の院は質素な社、何処でもそんなものだが。

 帰りは階段を避け、杉木立の中坂道を迂回して、直接駐車場に着いた。


コンクリート造りと純和風 清風亭・旧渋沢邸:埼玉県深谷市

2019-02-14 17:02:44 | ぶらり旅

 鉄筋コンクリート造りとあったが、白壁にレンガがあしらわれて和風洋館造りの感があった。この「清風亭」は天皇皇后行幸啓の記念の植樹を挟んで「誠之堂」に並んでいた。

 「清風亭」は渋沢栄一を継いで第一銀行第2代頭取を務めていた「佐々木勇之助」の古希を記念して誠之堂と並べて、同じく第一銀行行員達の出資で建てられた。移築も同じ。

 テラスのアーチにもレンガの縁取りがあったが、均一でなく細工があると案内人の解説があったが、それが何であったか???

 縦樋の上部にも何かの細工があったが、こちらも???

 室内からもアーチの窓が異国情緒を・・・スペイン風の様式とか・・・。窓ガラスを縁取ってステンドグラスが施されて???カーテンでよく解らない。

 公民館を出て少し先には尾高惇忠生家、渋沢栄一記念館と続くが素通りして「旧渋沢邸」へ向かう。駐車場の先に正門があった。

 門に並んで「副屋」が扉を開けていたが、立ち寄らなかった。

 旧渋沢邸は「中の家(なかんち)」と副記されていた。このあたり渋沢一族が分家して多数在していたので、区分けして呼ぶため位置を示して呼んだとされている。

 門を入って右手にはお蔵が2棟並んでいた。

 こちらにもガイドのおじさんが待ち構えていて、椅子に座して膝つき合わせ渋沢家の由来やら出世物語を解説された。余りに細かく語るので先に進むのには数時間要するかもしれないので、先を急ぐとやっと逃れた。

 従って内部は覗けず、外観のみを撮っておいた。もっとも数度の火災のため、現存主屋は明治28年再建されたものという。「煙出し」と呼ばれる天窓や、家屋の配置などは養蚕農家の典型的な形を残していると書かれていた。

 庭の池の畔の銅像は若き日の渋沢栄一像と記されていた。

 まだ日暮れまでは時間があったので、周辺風景に浸るため下道を行くことにして田園の中を走った。深谷バイパス、熊谷バイパスは関越道が開通するまではスキーへの往復にしばしば走っていたが、バイパスを過ぎた辺りかは定かでないがいつの間にか中央に緑地を残したまま道路の拡幅はされておらず、やや走りにくくなったので直近の圏央道のICへ向けハンドルを切って、東北道経由で帰宅した。


ステンドグラスが目を惹いた 誠之堂:埼玉県深谷市

2019-02-13 16:26:29 | ぶらり旅

 ステンドグラスといえば花や文様を見ることが多い。此所では中国風の物語が描かれている風だ。深谷市大寄公民館敷地内に建てられている「誠之堂」内から見ている。

 2月4日月曜日、スキー行きのため年に数回取る臨時休暇だったが、越後湯沢は朝から雨模様で激しくはないが止む気配はなかった。若い頃と違い雪ならせっかくだからと滑ることはあっても、雨ではその気は起きない。かぐらなど高所へ上がればおそらく雪であろうが、視界は閉ざされているであろう。朝食を済ませ片付けも済んだが様相は変わらなかったので帰宅することにしたが、TVの天気概況では群馬は晴れているようだ。いつもの手順、関越トンネルの先晴れ間が出ている辺りで寄り道をすることにした。

 関越道が開通してからは、群馬県・埼玉県は通り道で寄る機会が少なくなっている。先ずは妻のこだわり「道の駅」を地図上に探す。普段寄ることのないメイン道路から外れた花園IC最寄りの「道の駅・かわもと」に定めた。到着してみるとJA深谷直営の「農産物直売所」と食堂棟のみで、道の駅におきまりの物産館はないようだった。が、妻にとっては安くて豊富な農産物に加え、並んで設けられている花のコーナーの切り花・鉢物の豊富さに魅了されていた。もちろん安価な価格も。

 道の駅でガイドを手に入れると、「渋沢栄一」ゆかりの地であり、所縁の施設が点在していた。一筆書きで各施設を回れそうであったので、とりあえず「誠之堂」を目指した。レンガ造りのどっしりとした建物であった。

 「誠之堂」は「清風亭」と並んで深谷市大寄公民館の敷地内に並んで建てられていた。とりあえずは外観から

 コーナーから煙突、そしてテラス側へ回り込む。

 簡単そうで実は手間取っている。公民館の受付で観覧を申し込むと程なく案内の男性が現れた。(オジサン?初老の?おそらくボランティア)順に案内してくれるのだが、渋沢栄一の出世話から、この建物の移築の話、天皇皇后の行幸啓を蕩々と述べてなかなか先へは進めない。せかすようにしてやっと玄関の中へ。

 そして玄関からの眺め、漆喰の天井と網代天井。

 見事だったのは、やはりステンドガラスの数々、ガイドにも載っていたが、受け売りはしないので興味のある方はweb上で・・・。此所では写真写りの良かった部分を掲載。

 昨年秋訪れた「飛鳥山公園・旧渋沢亭」にもステンドグラスが多々あった。こんな案配だったか??

 この建物「誠之堂」は現在国の重要文化財に指定されている。由来は渋沢栄一喜寿の祝を記念して第一銀行行員達の出資で世田谷区瀬田にあった第一銀行の施設内に建てられた。ちなみに渋沢は第一銀行の初代の頭取であった。

 いくつかの曲折を経て取り壊しが予定されたが、渋沢栄一生誕の所縁の深谷市が譲り受け、この地に移築した。レンガ構造物の移築は想定外であったため、かなり技術の検討が必要であった・・・と、その作業などを案内人から時間をかけて説明されたのだが・・・・?

 「清風亭」「生家」の項へつづく。


人も少なく落ち着けた 仙波東照宮・中院:埼玉県川越市

2018-11-29 17:18:19 | ぶらり旅

 道路から少し入った所にあった東照宮「随身門」、落ち着いた雰囲気が良い。

 「随身門」その名の由来を調べてみた。「神域に邪悪なものが入り来るのを防ぐ御門の神をまつる門」とあった。川越大師喜多院、菊まつり会場から案内に従って慈眼堂の建つ丘の裾を回り込むと「仙波東照宮」があった。

 階段の下参道途中だったので、一度正面道路まで戻り随身門を通り鳥居をくぐった。

 その先には石段「男坂」がある。

 男坂があるなら女坂もあるはずだが気がつかなかった。坂の上には拝殿がある。

 『日光・久能山と並ぶ日本三大東照宮の1つ』とあったが、前二社に比べるとかなり質素な佇まい。奥に見えていた本殿はさすがに聳えるほどであったが・・・。

 坂を下りて随身門を抜け、道路を先へ進み次の区画に入ると門があった。

 「中院」??こちらは赤門、山門はその先にあった。中院と呼ぶのは由来があるようだが、正式には「天台宗星野山無量寿寺仏地院」らしい。

 境内に入ると先ず目に入ったのは「島崎藤村記念碑」であったが、後に調べると所縁の茶室「不染亭」がありとあったが、奧に少しだけ姿が写っているのがそれであろうか?

 先に目に入ってきたのが「釈迦堂」であった。

 その脇??ではなく山門正面には「本堂」があった。藤村碑に気をとられ正面を外して歩いていたようだ。それにしてもここまで来る観光客は皆無のようだった。

 しだれ桜を代表として花の寺としても名があるようだが、そちらには気が回らなかった。境内を一周すると鐘楼門があった。

 万歩計は持たないので正確にはわからないが、かなりの距離歩いたので奥へは行かず鐘楼門を振り返りながら西武本川越駅を目指した。

 此所には道案内の標識はないので地図を頼りに進んだが、由緒ありげな建物は見当たらない。およそ1km程で駅まで来たはずだが、朝着いた時は先を急ぎ辺りを構わずだったが、駅舎はプリンスホテルも入る大きなビルで、ショッピングモールになっていた。とりあえずは特急券の次発への列車変更をして、川越と言えば「芋」、おなじみの龜屋の売店でお土産を買い列車の発車を待った。

 来る時高田馬場に入ってくる「特急レッドアロー・小江戸号」を撮ったもの、facebookにアップした画像を再掲した。


紅葉はまだだったが今頃は 川越・喜多院:埼玉県川越市

2018-11-27 15:31:15 | ぶらり旅

 多宝塔が青空に映えている。「川越大師・喜多院」山門を入ってすぐ目に付いた。

 11月3日の川越散策、本丸御殿から脇の道を道標に従って喜多院に向かう。角々には観光ポイントを記した道標が立てられていて、見落とさなければ地図がなくても行き着けそうだったが、広い通りだけでなく路地もあり、方向を誤りそうにもなった。後OOmとの記載もあったが確かめながら進むので30分ほどはかかったであろうか。

 長い参道の先に山門がある。(脇門から入ったので、参道先の食堂での昼食後、山門側から再び入り直した時のもの)僅かながら紅葉も見られるがまだまだの時期だった。

 右手に多宝塔があり、広い境内の先に大きな本堂があった。

 「喜多院」に関しては2008年4月に掲載しているが、実際訪れたのは1995年とあった。前回は23年も前だったということになる。が、今回も五百羅漢像には入らなかったので境内での画像は残り「慈眼堂」のみしか無い。

 それでは画面が寂しいからと境内の多くを使って「小江戸川越菊まつり」が開かれていたので、このblogではたまにしか掲載しない花のアップを取り上げてみた。先ずはおじいさんのあごひげのような菊。

 多くに大臣賞始め各種の賞が付けられていた。門外漢にはどの点が優秀なのか特徴は判らないが、“見事”といえる作品が多い。

 解説など付けられないからとりあえず見事と思われた花を羅列するにとどめる。

 この作品、撮影した時は何気なくであったが画像にして良く眺めると「ミッキーマウス」と見えなくもない。

 境内随所に「東照宮」と書かれた旗がハタメイていた(洒落?)ので、その方向を目指した。


長い廊下と沢山の庭 川越城本丸御殿:埼玉県川越市

2018-11-26 10:27:42 | ぶらり旅

 たのも~~と声をかけたくなるような威厳ある玄関、川越城本丸御殿にやって来た。

 川越レポート2週間以上の間が空いてしまった。急に複雑な仕事や、ちょっとしたアクシデントが入りレポートが纏められなくなっていたが、再開出来た。

 重要建造物群保存地区・菓子や横町を後に市役所を過ぎるすぐ先に「川越城中ノ門堀跡」があった。門がありきれいに刈り込まれた草に覆われ、堀の一部が展示解放されていた。中ノ門というからには、内堀であろうか?

 堀の先角を曲がった先に「川越城本丸御殿」はあった。

 とりあえず中に入る。靴を持って先に進むと外回りに巡らされた塀の雰囲気が良い。

 長い廊下が続きいくつかの座敷を覗く。

 数多く並ぶ座敷は「○○の間」と説明が付けられていたが素通りしてしまった。それより棟毎に異なる庭の造りに興味がいってしまった。

 どの庭がどの部屋・棟にあったかは記録していないので判らない。

 御殿を出て周遊バスの時間を見るとごくまばらにしか運行されていないようなので、町並みウオッチングしながら次に向かった。


見る方向で姿が違う大山 大山寺:鳥取県大山町

2018-09-04 16:34:10 | ぶらり旅

2018夏旅 その7 頂上は雲に隠れて

 雲を被った山は「大山」の筈、この画像をどの辺りで撮ったか検証しようとweb上で「大山の写真」を検索したらまさに伯耆富士の姿が???磐梯山のような連なりも???フタコブラクダの姿も???いくつかの峰の連なりがあり見る方向により姿を変えるようだ・・・定かではないが・・・。

 夏旅、松江で2泊して次へ急いだ。大山半周を試みたが、いくつか誤算があった。急な間に合わせのポータブルナビの癖・・・地図の設定者により選択するコースに癖があることは判っているので、あらかじめ地図で調べておき、時には指示を無視してコースを替えたりするのだが、まだハッキリ癖が判らず、交差点を曲がり損なうと迂回でなくUターンを指示してくる。純正ナビではなかったこと!とりあえずは大山スカイライン、大山環状道路を使って倉吉を目指すことにした。

 大山寺を目指し、大山ナショナルパークセンターの駐車場に車を止める。大山寺の参道、両脇に土産店や旅館、ロッジが並ぶ。

 屋根の脇から覗いているが、山頂は雲がかかって見えない。

 「mont-bell」のショップがあった。中国地方随一の山、登山のメッカ、宜なるかな!

 急な山道を登ると山門があった。

 その中に入ると、更に急な階段がある。

 やっと階段を上がっても寺務所の前!本堂の屋根は僅かしか見えない、崖の上に値する!

 やっと本堂前の境内に上がる。正面に「鐘楼」、脇には「畜魂碑」牛の像があるから動物のため?

 本堂の前は広々としていた。

 本堂に参り急な階段を下り車に戻る。駐車場の向こうに山が見えている。蒜山かと思ったが、高さも低いし方角も海に向かっているので他の山のようだ。こちらの方向は青空が見えているのに、残念!!

 カーナビの目的地を倉吉市に定めたが、指示してきた経路は予定していた道路と違っていた。経由地の設定方法が判らないので、道路標識を頼りに大山環状道路となる地方道[45号]から国道313号を目指すこととした。

 途中展望台らしきパーキングスペースがあり、少し高見から「山」が見えた。山腹崩落から大山と思われるが、一瞬雲が切れたのでカメラを構えたが、やはり間に合わなかった。

 記事をまとめていて45号線を辿っていったが、大山が富士の形で見えるのは、「東大山展望駐車場」ではないかと思われる。冒頭の画像もこの場所で撮っている。


夕暮れと朝焼けそして昼 松江城:島根県松江市

2018-08-24 17:12:58 | ぶらり旅

2018夏旅 その4 国宝天守閣

 夏旅三日目、夕方日のある内に松江に到着、宿に入って一息入れる。島根県県民会館脇、松江城が正面に見えている。夕日に映えていた。

 新東名の思わぬ事故渋滞だったが中国道に入ってからは順調に流れ、落合JCTから米子道へ入った。蒜山・大山は雲がかかり定かではなかったが、江府ICで国道181号線へ下りる。すぐの所に道の駅「奧大山」があり立ち寄る。山陰方面は初めてに近い、普段通い慣れた道の駅と異なり陳列されている地産品が珍しいと妻は興味が尽きない。が、まだ旅の始まり、生ものは保存が難しい。それでも宿泊は主にビジネスホテル、空の冷蔵庫が備えられているのでアイスボックスとの連携で多少は運ぶことが出来る・・・と妻はいう。

 江府からは下道で向かう。一本道の地方道、国道181号線流れはスムースで快適、トンネル切り通しだらけの高速道と違って、その地方独特の家並みや生活感を味わいながらのドライブは楽しい。JR伯備線に沿っているはずだが線路には気づかなかった。道の駅の若者に尋ねた時注意を受けていたが、やはり米子近くの市街地に入るとやや混雑、完成途中の自動車専用道?「山陰道」で松江へ向かった。

 翌朝、夜明けと共に目が覚めた。朝日の差し込む良い天気、松江城も輝いていた。メインの「足立美術館」訪問の日、ラッキー!!

 足立美術館は予定より早めて松江に戻ってきたので、宿に車を置き、このために宿を決めたのでほど近い徒歩圏、先ず城から攻めることにした。大手門前には「国宝」の碑が真新しい。2015年7月の指定なので、全てが新しい。

 先ずは石垣の間からご挨拶。

 城に階段はつきもの。

 二の門跡には松江神社もあった。

 やっと天守に辿り着いた。

 城は表から眺めるものの心情があり、山城など登楼によって眺めが抜群な場合を除いて登ることは少ない。

 退城は道を変えて念願の「塩見縄手」へと向かった。


銀行の窓口? 敦賀市立博物館:福井県敦賀市

2018-07-10 14:50:39 | ぶらり旅

 鉄柵で仕切られたカウンター、今の銀行はもっとオープンです。懐かしい光景ですが旧大和田銀行本店、現在は銀行でなく内装もそのままに国の重要文化財に指定され保存し、博物館として利用されています。

 夏休み前の自重時期、blog更新が止まってしまっています。2年前天橋立経由で安芸の宮島への盆旅行、最初に立ち寄った敦賀のレポートの余り物、中継ぎに利用しました。

 行員がいないだけで業務が続いているような雰囲気が漂っています。

 天井の漆喰、灯りも大正の香りがしていました。

 2階にも展示や集会のスペースがありましたが、写真は保存されていませんでした。建物の画像も???敦賀市のサイトから拝借しました。

 あと1月程で今年も夏休み、年々車での遠出も億劫になりつつあり、遠距離は後数年・・・息の続いている内に数十年ご無沙汰の山陰方面と予定を組み始めた所で今回の西日本の大雨災害、今のところ直接の影響はなさそうですが、道路や鉄道の遮断もあり、少なからず影響を受けるでしょう。


ここには人が殆どいない 笠間稲荷神社:茨城県笠間市

2018-05-23 18:24:49 | ぶらり旅

2018GW その5

 通りに面して大きな鳥居が聳える。笠間稲荷神社門前町もまだ静かだった。

 当初新潟の海岸沿いや頸城地方の散策を2日間予定し、帰路国道50号線沿いを前橋又は大間々から埼玉・栃木と辿る予定だったので50号線沿いの小山に宿を取った。が、直前に日本海側新潟を中心に天候の崩れ(荒れ)が天気予報で示されていたので、急遽只見会津経由で太平洋側に移動したので、郡山で1泊して奥久慈を経て小山へと来た。宿は50号線沿いにあった。

 GWも最終日6日となった。最近の旅では8時頃には宿を出るようになったが、この時間では物産館、美術館、道の駅などは殆ど開いていない。寺や神社はフリーが多いが、門を閉じている場合もある。小山からは引き続き50号線を水戸迄行くことにしていた。小山を出るとすぐに茨城県に入り、結城を経るが、結城といえば紬、関連施設はまだ閉じているのでそのまま笠間まで走った。そして必ず開いているであろう「笠間稲荷」へ立ち寄った。

 参道の店はすでに開いていたが???この広い参道は初めてであった。2008年と2016年と2度ほど訪れているが、いずれも秋「菊花展や菊まつり」の最中で参道も境内もテントや屋台で賑わい、人で溢れ境内の佇まいは初めて眺めることになった。

 門の扁額は「萬世泰平門」とあった。

 境内は広く社殿も初めてじっくりと拝んだ気分だった。2016年11月の様子はこちら

 社殿の近くには「さざれ石」も座っていた。

 門の内側からも撮ってみた。どちらサイドからかの区別は?

 前回も前々回も菊まつりの最中で混み合い車を止めるので苦労したので、呼び込みしていた門前の駐車場に有料で止めたが、門の脇には整備員のいる神社の駐車場があるのに気がついた。