北へ南へ、東へ西へ

旅と山歩き・街歩きの記録です 今を語りながら過去も振り返って

移転ご挨拶

plalaからgooへ移転してほぼ修正が終わりジャンル・カテゴリーが設定出来ました。タグ付け法が見つからないので、県名・市町村名、東京都は区市町村名で、その他寺社・名所などは固有名詞でサイト内検索して下さい。 サイト内リンク先、アドレスがplalaのpubのままgooに変更していないのでリンク切れしていました。リンク箇所を探して変更するのはかなり時間がかかりそうです。

道路際の崖地に 秋海棠の群生:埼玉県ときがわ町

2019-10-11 16:37:32 | 旅の途中で思うこと

 崖地に群れをなして咲いている花、日の射さない林(杉?)の中なので派手さもなく目立たない。知らなければ何気なく通り過ぎている!

 「秋海棠」アップで見ると、可憐できれいな花だ。

  

 9月2度目の連休22日日曜日、妻が突然「秋海棠」が見たいと言い出した。この花、花屋さんでも滅多に見ないし、公園やその種の施設でも見かけない・・・と。夏の終わりから初秋にかけて咲くらしい。おそらくTVかWEBで見かけたらしい。検索をかけてみると、栃木県、埼玉県に僅かに群生地があるに過ぎない。「群生」?天然でしか見られないとは・・・確かに珍しい。

 比較的近い場所は?「埼玉県ときがわ町椚平」とあった。「椚平」??読めない!(くぬぎ)と判ってカーナビに入力、珍しく一発で出てきた。関越道を東松山ICで下り国道254号線を秩父方向へ向かい「東松山市」と「嵐山町」境界線上を細い脇道に入った。かなり進んで駐在所や郵便局の並ぶときがわ町中心街と思われる辺りを更に細い脇道に入ると山道上り坂になった。この道へ入る角にやっと「←シュウカイドウ」看板が立てられていた。

 曲がりくねった道を進むと「P1」「P2」などの案内があったので、やや広いスペースに車を止めた。

 車道上を坂を少し下ると「秋海棠」はあった。

 遠目では花が確認できない。肉眼?老眼ではハッキリしないので、カメラを上向きに下からあおってみた。

  

 車に戻り案内図を見ると「山野草園」とあった。妻が見逃すはずはない。更に坂を上る。ほぼ峠の頂上辺りに「山野草園」はあった。

 案内に従い坂を上る。「東屋」があった。

 だがそこまで、手入れされている様子はなく、山野草がどれなのかの表示も見当たらない。つまり本来の山野草・・・雑草の原だった。彼岸花だけが目立っていた。

 このレポートを書くのは戸惑って間が空いてしまった。道路脇の崖は“絵”になりにくい。町は力を入れているようだが、現地に行くまで資料も何もない。地方の自治体の「町おこし」には難題が積まれているようだ。


こんな所に外国から? 五智国分寺:新潟県上越市

2019-05-15 17:52:01 | 旅の途中で思うこと

2019・GW その2

 本堂前にカメラを構えて撮影中???外国の方のよう。

 振り返ればこちらにも。「五智国分寺」地図で探り当てただけで規模も由来も未調査、そこへよくも外国からの旅行者がやってくるものだ?

 柏崎の「木村茶道美術館」を出たのは昼近くなっていた。開館直後に入ったはずなのに、担当の方の熱心な解説で時間を忘れてしまった。お茶室を退出して展示室を閲覧して表に出た。予定では柏崎市内に戻り「回転寿司」に立ち寄ることにしていたが、昼時では待ち時間が長くなるのは予測出来る。おまけに市内方向は渋滞が発生しているはず!

 国道8号線を直江津に向けて走り始めた。すぐにフィッシャーマンズワーフ、いわば海のアメ横、満杯状態の駐車場を横目に中は大混雑とパス!しかし、海岸沿いを走る8号線にはレストラン・食堂の類いは殆ど無いのは、何度か走っているので判っている。やっと寂れたラーメン店を見つけ入る。予想通りお腹を満たすだけの味。宿泊は「直江津駅」近く、とりあえずはカーナビをセット??何処へ、地図で見つけた「国分寺」、今回の旅はスポットのみは検索しておいたが、走行経路もスポットで何をするかも“無目的”行き当たりばったりの旅としている!

 国分寺の駐車場には10台以上も止っていたが並んで止め、入り口へ向かう。

 参道には八重桜が咲き残っていた。予想通り人影はまばら。

 山門は仁王門、、鳥避けに網が張ってある所が多いが、それもなく鮮明な画像が得られた。

  

 山門を入って左手に「神輿殿」、右手に「三重塔」はんてんを着た人が数人、屋台もあり、祭りでもあったのであろうか。三重塔の蔭から「鶯」の鳴き声が響いている。今までに聞いたことのない澄んだ“巧妙”と言ってよいほどの妙なる響き、いつまでも啼き続けていた。

 本堂を正面から、何やら「像」が5体、それぞれに解説が書かれていたが、代表してこちら。

 本堂を横から眺める。かなり大きい。

 脇には「親鸞上人像」があった。

 「国分寺」に照準を合わせたのは、寺域が広く立派な建築物が期待出来ることが多いから・・・にすぎない。すなわち訪れて“間違いが無い”のだ!

 もっとも「国分寺」は跡を含めて全国にある。山梨の「国分寺跡」には近年行っている。「国分寺」の由来を(Wikipedia)で調べてみた。『741年(天平13年)に聖武天皇が仏教による国家鎮護のため、当時の日本の各国に建立を命じた寺院であり、国分僧寺(こくぶんそうじ)と国分尼寺(こくぶんにじ)に分かれる。』

 又、「街道を訪ねて」というサイトによれば『大和国分寺は一般に総国分寺の東大寺とされる。奈良・平安時代に諸国に置いた官寺・国分寺は奈良時代に国家によってつくられ(全国68カ国) 、律令制の衰退とともに滅び去ったものとされている。しかしそれは誤りで、今国分寺という名の寺が48ある。もとの国分寺の跡に建っている寺、或は国分寺のお堂、薬師堂ということで現存するものが5ある。両者あわせて53が何らかの形で残っている。』

 ということで、今後も無目的で出かけた時は「国分寺」を探すことにしよう。

 連休明け、予想外に仕事が立て込んで、blog更新がはかどらない。しばらくお出かけの予定もないので、ボチボチ纏めてゆくこととした。


昔の面影とは?? 鳥取砂丘:鳥取県鳥取市

2018-09-10 14:12:01 | 旅の途中で思うこと

2018夏旅 その10 一大観光地

 砂山の谷と山、その先に海が見えている。鳥取砂丘に辿り着いた。

 長女が3歳の頃だから昭和47年頃と記憶している。やはり夏の最中だったが、その頃は自営に踏み切って5年程、やっと順調になり始め多少の余裕も出ていたので、盆休みはやや遅めにずらしていた。高速道はまだ東名・名神神戸までだったが、京都から9号線に入り国道を走っていても信号は少なく車も多くはなかったので、渋滞もなく順調だったと記憶している。前泊は京都鴨川の畔、河床のある宿だった。

 三朝温泉に泊まったので、砂丘を訪れたのは朝か夕方かは記憶にない。今回は宿へ入る前だが、まだ日は高かった。駐車場にはやや多めくらいの車の数。

 ジオパークセンター横から階段を上る。

 丘の上にはよしずを張った観覧席があった。

 見渡すと一段谷がありその先にもう一つ丘があり、更にその先に海が見えている。

  記憶を辿っていると、娘を連れてきた時それほどハッキリしないが、砂丘の周辺には、バラック風のお土産屋が数軒連なり、砂丘会館のような建造物はなかったよう???入り口が違っていたのか??土産屋のオジサンが長靴を差し出し、履き替えるよう勧めてくれたので履き替え進んだのが正解だった。革靴では歩けない。谷を下り丘を上がり水際まで下りている。オジサンの解説では、周辺を植林したり、砂防して開墾が進んでいるとあった。

 見回すと谷底とその先には草木の蔭があった。

 パラセールを楽しんでいるグループがいたが、残念ながら飛翔している姿は撮れなかった。

 砂漠にらくだはつきもの?無断の撮影は禁じているようだが、100m以上離れていたので気がつかなかった。

 見回していろいろな角度で纏めようとしたが、砂ばかりで変化は付けられない。

 妻が“何か違う”という。もっと白くぎらぎらしていて、今見る暗い色ではなかった・・・と。画像ソフトでぎらぎら感を出そうと試して見たが、この程度だった。

 砂丘会館前の石碑辺りの砂の色がそれか???・

 8日土曜日のNHKTV「ブラタモリ」で偶然「鳥取砂丘」を取り上げていた。丘が2段になっている理由やオアシスの存在などの解説があり、実際訪れたすぐ後なのでなるほどとうなずける部分、先に知っていればもっと深く見られたでろう所もあった。その中で前回掲載した道の駅「白兎」の白兎海岸が「因幡の白兎」の舞台であったこと、白兎神社は「はくと神社」であり、境内の池が鳥取砂丘の端である(その理由は番組で)ことを知った。

 何気なく撮っていた二つの島の写真、そのうちの一つに鳥居が確認出来て、ウサギがワニをだまして渡った島と判った。


枯山水の正面画像がない! 足立美術館②:島根県安来市

2018-08-22 10:56:54 | 旅の途中で思うこと

2018夏旅 その2 枯山水と滝

 美術館としては信じられないほどの大きさの広い駐車場に車を止める。開館前だったので入り口近くに止められた。 アプローチの左右には、和菓子屋はじめ松江中の有名店が集められているようだった。その先に玄関はある。

 玄関を入ると「歓迎」の庭を見ながら進み「苔庭」に出て「足立翁」の銅像に出会う。この日は暑かった。

 再び室内に入りロビーから中心となる「枯山水の庭」を眺める。庭へ出ることは出来ず、ガラス越しに眺めることとなる。

 順路は明確に示されていて、それに従うと喫茶室の前を通り中庭の端へ出ると「枯山水の庭」をガラス越しでなく直に見ることが出来る。

 ???結界がありこれより先庭へ出ることは出来ない。遠くに「鶴亀の滝」があるはず、僅かに木々の蔭に見えていた。

 肉眼ではこの程度なので、望遠で撮り更にトリミングして、やっと滝を見ることが出来る。

 さてガイド本や美術館のサイトにある庭の眺めは???庭には入れないのでそのアングルの写真は撮れない。では何処で、通過してきた喫茶室がその位置となる。1000円の飲み物を注文しなければ、その景色を眺めることは出来ない。事前にはそのことを知ることが出来なかった。更に、庭には回遊路があると思い来たので、滝の位置まで行くつもりであった。

 ほかにも茶室の庭、池庭などいくつかの庭があるので、それらを堪能するのには半日では足りないと判断していた。当初1泊と予定した松江泊を直前に連泊と変更した程なのに、建物側から追加の金銭を支払っても、窓越しの眺めしか得られない事が現地へ来て初めて知ることが出来た。

 前回掲載の写真にその意味を込めた。庭の右端からと左端からの画像で、正面がないことが判る!!

 とりあえず、「枯山水の庭」「池庭」「白砂青松庭」の画像を羅列しておく。何しろ全ての庭がアングルを変えての撮影が殆ど出来ない仕組みだったから・・・。


やっと来た! 足立美術館①:島根県安来市

2018-08-20 14:47:25 | 旅の途中で思うこと

2018夏旅 その1 プロローグ

 庭園日本1の碑と創設者足立翁の銅像、入場して歓迎の庭を眺めながら進むと苔庭に出て真っ先に目に入るのがこの風景。

 暑さと夏休み前の緊縮財政で引きこもり、blogアップもご無沙汰。盆休みのレポートもなかなか纏まらない。

 今年の夏旅は山陰のスポットを巡る旅、妻は四十数年ぶりでkoba3も30年以上のご無沙汰となってしまった。8月11日が山の日祝日とあって渋滞予測、そこで午後渋滞が終わった頃出発と予定していたが、JARTICの渋滞予測では深夜までとあった。急遽予定変更し10日夕方東京脱出とした。!!!首都高渋谷ICを入るとすでに渋滞、20km程を80分ほどかかって脱出、富士IC近くのホテルに入った。あいにくの曇り空、富士の見える部屋は無駄になった。

 今回の旅、メインは妻の希望の「足立美術館」寄り道は帰路として真っ直ぐ目指すことにした。新東名、伊勢湾岸、新名神(東名阪)、名神(京滋バイパス)、高槻JCTから新名神、中国道、米子道、そして山陰道を経て松江着。誤算がいくつかあった。新名神が共用となっている東名阪道、新名神の別れとなる亀山JCT手前が渋滞の名所とは!調査不足であった。新名神で京都経由と考え、新名神に入りやすい「四日市」を前泊地としたが渋滞の真っ只中になってしまった。もう一つ、中国道の渋滞のポイント「宝塚IC」は開通したばかりの「新名神道」経由で回避、まずは成功?!?高槻JCTを入ってしばらく順調、やがて事故1報、渋滞表示がみるみる長くなり車は渋滞の列に連なった。90分ほどでやっと抜け出したが・・・。

 足立美術館の目玉は「横山大観」の作品以上に「庭」。これが第一の目当てだが、以下に2枚の画像を並べるが、この写真に“違和感”が!!何が??次回以降にコメントを???


突然ですが 日光東照宮三猿:栃木県日光市

2017-07-12 11:46:33 | 旅の途中で思うこと

 朝の恒例行事、仕事場のPCを立ち上げ準備の合間に「お気に入り」に登録のblogを順次閲覧していたら「ねず美」さんのblog日光探訪記事に「三猿」の画像があった。平成の大修理とあって大幅に塗り替えられてきれいになっていた。

 2011年に同じ場所で撮った「三猿」の画像をアップしていたので、比べてみたが????色を塗り替えただけには見えない???部品を取り出して塗り組み込んだのであろうか、微妙に三猿の方向に変化があるように見える。表情も穏やかになったように感じた。???撮影角度の違いかも???

「ねず美さん」2017.

「koba3」2011

 FC2blogコメントに写真を貼る方法はあるようだがネット上にあったのは「スクリプトを用いればそれが可能となります。 設置も難しくありませんので宜しければお試しを。」云々とあり
「 <script type="text/javascript">// function GinC(id) {
var C = document.getElementById(id);
C.innerHTML=C.innerHTML.replace(/>(http[-\w\/:.?]+(jpg|png|gif))<");} /> // ]]></script> 」
が作業のようだがkoba3にはチンプンカンプン、あきらめて自分のblogに記載してリンクを張ることにした。

「ねず美」さんのblogはこちら


彫刻が沢山 続・桐生天満宮:群馬県桐生市

2017-02-08 09:41:54 | 旅の途中で思うこと

 拝殿の横から裏手に回ると本殿がありました。外面は上から下まで彫刻が施されています。

 拝殿は表の顔ですから、きらびやかに装飾されていることが多いのですが、本殿の中は神様を祀っていますから立派な設えでしょう・・・でしょう??多くは拝殿までで本殿の中までは見えないことが多いのです。裏手に回ると本殿がありますが、「東照宮」などではきれいに彩色され彫刻も施されていますが、単なる板張りや塀に囲まれてのぞき見る程度にしか見えないことも多いのです。

 この本殿は、屋根下から腰まで見事に彫刻されています。彩色もされているようですがやや褪せているようにも見えます。

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 本殿裏手には末社春日社も祀られていました。市の重要文化財とも記されていますが、2社並んでいました。2社共???屋根の形が少々・・・市の観光サイトなどでは右側の屋根の写真が載っていましたから・・・。

 反対方向に廻ると「神楽殿」がありました。能舞台にも似た仕様なので??袖がありません!!梅花を入れて気取って・・・。

 境内におかれていて最後まで“なぜ??”と考えあぐねていたこれ「水車」やっと判りました。“からくり芝居”のための動力源だったのです。

 koba3出身地では祭が盛んで山車にはカラクリがつきものです。動力は浄瑠璃人形のように人の手、テグスなどの糸を人の力で操るのが常です。座敷カラクリにはゼンマイやゴムを使うものもあります。ここ桐生のカラクリは「御開帳の飾り物として上演されたからくり人形による芝居“からくり芝居”。“芝居からくり”では水車などを動力源として使うことが特徴です。このことより別名“水車からくり”とも呼ばれています。」・・・いくつかのサイトから集めました。


本殿も写っていた 厳島神社・おまけ:広島県廿日市市

2016-09-07 16:30:14 | 旅の途中で思うこと

2016夏旅・その1 1

 厳島神社、回廊の姿はどのアングルでも“絵”になる。高舞台手前から大鳥居を見る。

 左右の赤い建物、神社内では珍しく屋根の形が平凡な切り妻風になっている。厳島神社のサイトでもこの建物の記載がない。かろうじて「左右楽房」の記載が見つかった。「右楽房」「左楽房」を指しているのであろう。学の字から管弦祭の折り楽師の演奏場所と推察した。演奏の際、左右の楽士がアイコンタクトを取るため相対する壁が低く設えられているとも。

 撮影スポットとして外せない場所、順番待ちで行列が絶えない。位置を少し外して、行列を避けて大鳥居を撮ってみた。

 デジカメにしてからフィルムの残り枚数を気にしなくなり、旅に限らずやたら写真を撮る枚数が増えている。おかげで撮った場所も被写体も記憶に残らず、アングルもいい加減になっているものが多い。気を入れていないせいか、撮り忘れも増えている。厳島神社のレポート掲載を急いだので、写真の選別が雑になってしまった。

 改めて見返すと撮り忘れたと思った「社殿」の画像があった。高舞台のあたりから大鳥居を狙って撮った写真の前後を見比べていたら、反対の回廊方向に社殿が見えていた。

 大鳥居を背にして一直線上にある。入場前に高舞台を中心にした写真で直線上の配置がよくわかる。

 望遠側に思いっきりアップした画像には祭壇まで写っていた。拝殿に違いない。

 改めて取りこぼした画像をピックアップしてみた。お互いの関連性は薄いが自分の記録のため残すことにした。まずは大鳥居の扁額。

 回廊と大鳥居の間にあった丸太を四方の柱にして、紋所らしい印をつけた幕を張った物体、「玉取祭の台」とあった。旧暦の7月の大潮の日(新暦では8月になる)行われる行事のため設えられている。(詳しくは宮島観光協会のサイトにあった。)

 能舞台の正面全体像もあった。

 回廊の入り口と出口の件だが、ガイドさんが解散間際にチラと言った入り口を表す「唐破風」の屋根も慌てて撮っている。最も出口で言われたのでもう一方は撮れていない。

 今ひとつ、朱塗りの回廊につながる黒い建物、「天神社」の一部であろうか?前後を見ても判断できないでいる。

 弥山方向から降りてきた時には、小降りながら雨が降っていた。友人から1日使うから予定を組まず空けておくようにいわれていたが、意味がわかった。潮に浮いた大鳥居と、砂地に聳えるそれとを見るためには、潮の満ち引きのそれ相応の時間がいる・・・。

 


補修が急がれる 西福寺:福井県敦賀市

2016-08-23 10:13:46 | 旅の途中で思うこと

2016夏旅・その2

 由緒ありそうな佇まいは「西福寺」総門、市の指定文化財。

 夏旅初日、前泊を入れると二日目、北陸道を木之本ICで下り、塩津街道と名付けられている国道8号線を北上、わずかに琵琶湖の端とかすかに余呉湖を望みながら走る。高速道と違い一般道は地域の風情を眺めながら走るので時間に余裕が出来れば下道を走る。

 市街地に入り気比の松原の脇を通るがとりあえずは車窓から眺め最初の目的地に向かう。敦賀といえば気比の松原と気比神社がメインになるが、2007年に一度訪れているので書院庭園があるという情報で、最初に「西福寺」を訪れた。総門の中に真新しい「山門」が聳えていた。

 境内はかなり広く御影堂(本堂?)が遙か先にあった。

 御影堂改修として寄進を求めた掲示が各所にあったが、正面は確かに改修が急がれる様相であった。

 お堂の数も多く、「阿弥陀堂」も本堂と見まがうほどであった。

 脇に庭園への入り口(寺務所?)があり靴を脱いで上がる。(拝観料が必要)スリッパをどうぞといわれたが、床がきしむほどに痛みが激しい。縁側から庭に下りる。

 あいにく猛暑続きで庭の土は乾ききっていて、草木にも勢いがなく池泉書院庭園の趣も今ひとつ、紅葉の時期に眺めたい。

 それでも渡り廊下と先に続くのが御影堂とあったが、正面とは別の建物ような白壁だった。

 38度を超える暑さに長居は出来ない。来た道を戻り松原へ向かった。掲載順序が逆になったが・・・。


赤ッカアイ~リンゴに 原澤一作農園&道の駅「みつまた」:群馬県みなかみ町・新潟県湯沢町

2014-11-12 09:41:39 | 旅の途中で思うこと

 青空にたわわに実った赤いリンゴ、視界いっぱいにりんご園が広がっている。自分でリンゴ狩りしてもよし、園でお客に対応している人に頼んでほどよいところをもいでもらもよし、観光農園なのかリンゴ農家なのかのんびり楽しめる。

 3日祝日、青空を求めて早々と新潟県から群馬県へ逃亡してきた。「原澤一作農園」子供がまだ二人だった頃だから36年以上前になる。関越道が東松山か、前橋まで延長された頃か、いずれにしてもスキーシーズンだけでなく山登り?山歩きに、三国峠(トンネルだが)越えで魚沼へ遊びに行っていた頃の秋、帰路17号線を走っていて立て看に「原澤一作農園・リンゴ狩り」とあって時間に余裕があったので狭い脇道を上っていった所にこのりんご園があった。一帯にはリンゴ農家が多くあり出荷の最中であった。梯子に登りいくつかリンゴをもいでその場で食べたが東京で買ったものとは格段に味が良かった。

 それ以来シーズンには配送を依頼していたが、送るにはまとまった量の注文が必要で、消化している間に鮮度が落ちてしまい味も落ちてしまう。流通の整備も進みスーパーでも採りたてのリンゴが買えるようになり、いつしかこの農園への依頼は途絶えていた。久し振りに17号線三国越えしてきたのでおいしいリンゴをお土産にしようと立ち寄った。片隅に釣り堀が作られていて、家族連れが興じていた。

 奥に母屋が見えていたが、小屋の存在は記憶にない。軽食も提供出来るようになっていた。

 前日の湯沢の雨の散策に比べ、赤いリンゴと青空と!至極の時を過ごした。

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 湯沢の宿を出て山鳥原公園に立ち寄る前だったが、新しい道の駅「みつまた」が出来たと聞いていたので寄ってみた。初期の道の駅のバラック造り程度からみると、新設のそれはモダン(古!)で洗練された設計がされている。

 以前からあった「街道の湯」に隣接していた。この辺りの紅葉も盛りであったが朝9時前、谷間に当たるこの辺り山に日が遮られ鮮やかさは今ひとつであった。

 山に囲まれたこの地域では農地は余り見かけない。果樹造りも盛んではないようだ。農産物直売のスペースは狭く、期待出来そうにない。時間前に着いてしばらく待っていたが、他の道の駅ではこの時間軽トラで農産物を運んできた農家の車が頻繁に出入りして活況なのだが、ここではその姿はなかった。もっとも、山菜やキノコの季節にはそれなりの品が並ぶ!・・・定かではない。唯一苗場山、谷川連峰はじめ登山には有数の土地、登山やアウトドア用の品が豊富に整えられていた。つい忘れてしまったり予定外に山へ・・・となった時ここで殆どの品間に合いそうだった。