北へ南へ、東へ西へ

旅と山歩き・街歩きの記録です 今を語りながら過去も振り返って

お寺とお社を巡って楽しい? 金閣寺&神社仏閣etc.:京都府京都市

2012-07-21 16:04:53 | 思いでの写真館

 池(鏡湖池(きょうこち))に姿を写しているのは金閣寺である。もちろん通称だが正式名称を鹿苑寺といい、相国寺の塔頭寺院の一つであり画像の舎利殿「金閣」により金閣寺と呼ばれることが多い。池の名に見るように金色に光る姿を水に映して眺める池泉回遊式庭園の設えはニクイ演出だが、昭和30年の中学校の修学旅行3日間殆ど雨が降り続き歩いていた最中の記憶はほとんど無い。昭和25年放火により消失したため当初「銀閣寺」が予定に入っていたが、残されていた写真は「金閣寺」であった。昭和30年再建竣工し同年10月10日に落慶法要が行われたとあったので 、ぎりぎり間に合ったようだ。ということは、竣工直後で金箔は真っさら、さぞ金色に輝きまぶしい程であったろう・・・雨の中急ぎ足での移動で、それどころでなかったことは想像に・・・!

 当時の我が中学校、1クラス50余名で9クラス、1学年400名の生徒が同時に移動参詣・見学していたのであるから、如何様な状態であったのであろうか。中に入ってしまっていたから想像出来ないが、大勢での移動ながら京都の標準的“名所”は網羅しているようだ。先ずは清水寺、舞台ではなく山門が写っていた。



 平安神宮は最近訪れているので写真を見比べてみた。(2008年の画像



 東別院と二条城、金閣寺程には記憶していない!!



 神社仏閣や自然の山川は何時の時代に写したものかは画像を見ても判断出来ることが少ない。伝統を受け継ぎ保護されているものは変化させないことがベストなのだ。自然も大災害でもない限り姿を変えない。修学旅行の最後は人工物「国鉄京都駅」に出会った。さすがに大都市京都の顔、60年前でもコンクリート造りの立派なもので、我がふる里のいまだに鉄道最古を誇る木造跨線橋と付属する木造駅舎と比較にならない。



 が、時代の流れは古都京都の顔も超!現代的な古都のノスタルジーなど全く感じさせないない造形に成り下がっているようだ。最近2度の来訪の時にも写真は撮っていないので、京都の現在の顔をちょっと拝借した。

 中学時代のアルバムを纏めてみたが、入学後の運動会から修学旅行まで掲載した以外には学校祭の演劇が2回分と展覧会、クラブ活動の記念写真くらいしか無かった。それ程写真は高価な貴重品だったのであろうか?中学の修学旅行ではカメラを持参していたのはごく少数だったように記憶している・・・おぼろげだが・・・。その2年半後の高校の修学旅行では如何様だったかは記憶がないが、アルバムに貼られている写真の枚数は少ない。さらに3年後の大学に入っての北海道旅行の時は同行者全員カメラは持参していて、(カラーフィルムを持参していたのは地方出身のボンボン3代目だけだったが)白老のアイヌで会った高校生の集団も多くはカメラを持参していたのが写真に残されている。高度成長期とはこんな所にも現れているのであろう!

 現在では、小型のデジカメからケータイに至るまで写真を撮る機材は常に身近にある。そしてプリントしない限りはコストは0に近いので、思う存分シャッターを切ることが出来、おかげで傑作も生まれやすい環境にある。写真好きには良い時代だが、構図を決めてチャンスを狙うには、やはり動きとアングルを求めて位置決めをし光の最良の具合を待つ時間が必要なことに変わりはない。せっかちに動き回っている最近では、落ち着いて三脚を構えている余裕がない。シャッターを切る回数も極端に減っているように思われる。依って傑作が生まれる訳もなく、blogネタにも窮することとなっている!!!



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