北へ南へ、東へ西へ

旅と山歩き・街歩きの記録です 今を語りながら過去も振り返って

移転ご挨拶

plalaからgooへ移転してほぼ修正が終わりジャンル・カテゴリーが設定出来ました。タグ付け法が見つからないので、県名・市町村名、東京都は区市町村名で、その他寺社・名所などは固有名詞でサイト内検索して下さい。 サイト内リンク先、アドレスがplalaのpubのままgooに変更していないのでリンク切れしていました。リンク箇所を探して変更するのはかなり時間がかかりそうです。

猫・ねこ・ネコ 豪徳寺:世田谷区

2021-01-26 12:42:09 | 東京ぶらり旅

 ずらりと招き猫が並んでいる。まずはその様子を並べてみたが、後で掲載するが実態はこの程度ではない。

 昨年7月に病にとりつかれ、8・9月と手術入院と3ヶ月近く休養を余儀なくされた。体重減少が激しく、おかげで体力もなくなり階段の上り下りもやっとの有様!体力回復にと散歩に出ても、家の周りを一周するのがやっとの有様だった。それでも暮れに入って仕事も再開し、自力で通勤できるようになった。とりあえずは今のところ命は取り留めている。

 年が明け、子供孫たち集まり正月の祝いをした。TVでも報道されているが、ソーシャルディスタンスのためもあり、行列の長さ・混雑が報じられていたので、初詣は密を避けて恒例の神社を止めて近所の散歩だけにした。それでも家に籠もってばかりいてはただでさえ運動不足の身には体力回復にはマイナスになる。正月3日ともなれば落ち着き、さらに神社よりお寺の方が初詣は少ないはずと、よく訪問するblogのいくつかに掲載されていた「豪徳寺」に行ってみた。

 駐車場は臨時に拡大されておりスムースに入庫し、山門より入る。

 正面に「仏殿」、左手に「三重塔」がある。参詣者はボツボツ・・・まばら位でコロナ対策は自然に出来ている。

 三重塔を回り込んで先へ行くと、「招福殿」」の門があった。迎えてくれたのはやはり「招き猫(招福猫児・まねぎねこ)」であった。

 参考にしたblogにあった通りまさに「招き猫」オンパレードだった。

 東京にいても地方を旅行していても、「神社・仏閣」に立ち寄る事が多い。特に信心深いわけではない、むしろ神仏の加護は信じない・・・否定する?方であるし、神仏の由来や由緒に興味があるわけでもない・・・建築様式には疎いが、建築美は見るだけで心に沁みる・・・それくらいであろうか。ただ、境内が広く木や植栽が見事で、名をなす「名庭園」も数多いので、物見遊山的に訪れる事になるだけ・・・。「豪徳寺」を訪れていなかったのは、この「庭」の記述が見られなかったからに過ぎない。

 仏殿の奥に広い白砂の前庭を持った「本堂」があった。脇には出来たてと思われる「納骨堂」も。

 車に戻る傍らには「鐘楼」も・・・焼け残ってかなり古い物のようだ。

 手水脇の赤い葉は「紅葉」???


静か・・・ヒッソリ TV朝日・六本木ヒルズ:港区

2020-05-27 15:30:25 | 東京ぶらり旅

 目の前に巨大なガラスに覆われた建物が覆い被さってくる。ここで番組の多くが作られているのであろうか。

 GWは近場の散歩のみで暮れてしまった。年に幾度もないチャンスを逃して残念!もっとも日本国民??全世界が同じ思いをしているであろうからここは我慢!一部のオエラガタが麻雀に興じていたのを除けばだが・・・。

 それでもテレワークが出来ない仕事に3日ほど戻り、すぐに日曜日がやってきた。GW開け、通勤の電車にやや人が多くなっていた。ある種のお人たちとは違って庶民はいつまでも在宅とはいかないのであろう。日毎に混雑が増す気配、通常が戻る前に人混みが出来て今まで行きそびれていたところ・・・近場で・・・に行く事にした。朝はTV朝日「グッドモーニングショー」から始まる。お天気情報がメインとなるが、普段は各地の季節の便りをロケで伝えているが、外出規制に沿ってTV朝日前の「毛利庭園」からの中継が続いている。「六本木ヒルズ」常に人並みに押しつぶされている・・・印象だけだが・・・。いまのうちなら、と出かけてきた。

 オフィス階や居住区は判らないがショップもレストランのたぐいはすべて閉まっている。アプローチにも人影はない。

 東京メトロ日比谷線の六本木駅、かっては交差点側の出入り口がメインだったが、ヒルズが出来てからは、渋谷側の出口も混雑している。出口を出るとかなり高い位置にいる、3階くらいか?植栽とモニュメントがある。

 デッキがあり、レトロ風の建物が端に並ぶ。下に降りるエレベーターもあるようだった。道路はかなり下にある。

テラスの端から覗くと、池を囲んで庭が望まれる。お目当ての「毛利庭園」がそこにあった。


威風堂々 目黒不動・瀧泉寺②:目黒区

2020-04-22 18:00:15 | 東京ぶらり旅

 急な階段を上りきると鳥居の向こうに本堂が据わっていた。

 角度を変えてみるとかなり大きい。

 3月15日ではあったがすでに桜は満開に近かった。ここまで歩いてきた目黒川沿いは駒沢通り際は八重桜だからかなり遅い開花となるが、目黒通り方向へ来るとソメイヨシノに変わるが、蕾は堅かった。お不動さんの桜は種類は判らないが少しピンクが濃く見頃を迎えていた。

 本堂前回廊まで急な石段を上がり境内を眺める。桜の先には観音様が、その先は菩薩様か不動様かは定かではない。

 本堂の回廊から降りると地蔵菩薩らしい像が・・・奥にも・・・とにかく石像が多い!

 本堂に対峙して鐘楼も据わっていた。

 上ってきた階段の上にはお百度石が座っていた。

 下りは正面の男坂でなく、脇の傾斜の緩やかな女坂を下りた。何しろ自分の“歳”を考えずに行動してしまうので、そろそろ自覚しなくては!途中祠があったが奉られていた像は不明・・・。

 本堂下の境内は広く「地蔵堂」と「薬師堂」以外にもお堂や石像、石碑が数々あった。山門の近くには「大黒天」像が、真新しい。

 そして本堂は丘になっているが、その斜面にいくつかお堂が並ぶ。水掛不動に並んで甘藷先生記念碑があり、奥の朱色のお堂は「前不動堂」とあった。

 さらに「勢至堂」「本居長世の碑」と続く。「本居長世の碑・十五夜お月さん」の音譜碑が添えられていた。

 道路といっても境内内であろうかバス停でしばらく待つとバスがやってきた。15~20分間隔でやって来るので便利だ。おまけに恵比寿駅経由渋谷行きなので、帰るのにはもってこいなのだ。


 ヒッソリとしていた 目黒不動・瀧泉寺①:目黒区

2020-04-16 17:25:50 | 東京ぶらり旅

 朱塗りの山門が鮮やか。日曜日とあっても参詣者もまばらだった。

 新型コロナウイルスにより緊急事態宣言が出されてしまったので、うかうか外出も出来ない。といっても日常生活に必要な最小限の外出までは禁止出来ないでいる。直接関係ないとはいえ一応医療機関としての仕事なので毎日出勤している。行き帰りの電車は閑散としていてゆったりと座っているが、これだけ“密”でない状態なら、感染の度合いも少なくてすむ。

 とはいえ都会のど真ん中、不用意な外出は避けざるを得ない。「旅のblog」としては新ネタが拾えない。過去記事もほどほどに掲載しているが、残りは僅か・・・。1ヶ月前3月15日、外出自粛の呼びかけは始まっていたが、人混みとなる中目黒より大橋方面と違い目黒方面はそぞろ歩き程度の人出の目黒川沿い、蕾の堅い桜だったが桜並木の下を大鳥神社近くまで歩き(すでに掲載済み)、さらに不動前方向へ向かった。

 山手通りを渡ると「目黒不動」の参道となる。といっても門前町の面影は全くない。かってあった団子屋なども見過ごしている。

 10年20年前にも訪れているが、あちこち普請で天幕がかけられていて、全体の姿を見るのは初めてに違いない。山門の“朱色”が鮮やかだった。

 境内からも眺める。

 脇の手水の竜も勢いがある。

 境内にはいくつもお堂があり、広々としている。薦被りの「鈴懸の木」は冬支度のまま??「地蔵堂」と「観音堂」は別格に・・・。

 本堂の階段脇には「水かけ不動王」が守りを固めている。

 急な石段「男坂」を上る。本堂が顔を出す。

 この項つづく


哲学とは縁はないのだが 哲学堂公園:中野区

2020-02-06 21:51:17 | 東京ぶらり旅

 この公園の名前の由来を探ると「四聖堂」が一番だが、あえて特徴的なフォルムの「六賢臺」をメインに据えてみた。

 1月最終日曜日26日、妻の社中の恒例の茶会が「目白庭園」で催された。いつものようにアッシー君として荷物を運び終え、夕方まで時間が空いた。とりあえず渋谷へ出て「スクランブルスクエア」周辺で新しいカメラの試写を試みた。レンズ交換式の一眼レフカメラは久しぶりなので、取り扱いにもたついた。なにより使用中のコンデジは50倍ズームレンズが固着されているので、レンズ交換もなくすべてが1台ですむ。予備のバッテリー以外付属品はないので、バックも一台分のスペースしかない。

 予備レンズの収納と取り出しやすさを考え、宮益坂下交差点に面した「ビックカメラ」でカメラバックを物色したが、今までのバックの多くはカメラメーカーのノベルティー製品であった。フィルムカメラメーカーは随分サービスがよかった?それなりに高額商品を買ったわけでもないが・・・。

 雨は止んだがどんよりとした曇り空、写真の“あがり”は期待できないが今少し試したいが 迎えの時間もあり遠出は出来ないので近場の「哲学堂公園」にやってきた。此の公園、二度目となるので外周道路に路上駐車区画(コイン)があり一時間なら車を止めることが出来て便利なことがわかっている。川沿いの小道から入る。

 メインの建物などは丘の上にあり、階段を上る。「四聖堂」がありその先には「三学亭」「無尽蔵」「宇宙館」などが並ぶ。

 6年ほど前紹介しているので、試写の画像のみをアップしておく。原画は解像度はかなり良く鮮明だが、blogには長辺640ピクセル程度にアレンジするので、差を読み取ることは出来ない。ちなみに初期設定は買ったままで長辺6000ピクセルとなっていた。

 建物群を過ぎて反対側の斜面に行き着くと、植栽がされ公園の雰囲気となる。

 坂下には「蓮池」があるが、蓮の花が咲く時期には来ていない。

 蓮田の先川沿いに駐車場所へ戻る途中、石組みされた日本庭園があった。

 確か「哲学の庭」に沢山の彫像があったはずだが、時間が迫ったのでそのまま車に乗った。この項をまとめるので建物名など確かめるため中野区のサイトを見ると「哲学の庭」は撮影禁止となっていた。前回来た時は撮影禁止などの掲示はなく、このblogでも写真を紹介しているのだが・・・。

 数日前、いきなりネットが繋がらなくなった。業者に電話しようと思って契約書にあった番号に電話したが「現在使われていません」のメッセージが・・・。

ほかの手段で検索してみると、この業者、数年前に個人向けのネット事業は撤収しているとあった。道理で、料金の引き落としはしばらく前から中断していた!それにしても、何ら連絡が無いとは!


緑の日影が気持ちよい 九品仏浄真寺:世田谷区

2019-08-06 11:36:48 | 東京ぶらり旅

 本堂脇に石庭があった。本堂に上がり正面から眺めるのが“絵”になるのであろうが、靴を脱ぐのをためらった。

 6月は祝日もなく、7月は夏休みを控えていずれも出かける機会が少ない。blogの更新も滞る。7月に入ってすぐには暑さがおそってきたが、以後は涼しいくらいの日々が続いていた。が、ここへ来ていきなり真夏日、猛暑日が襲ってきて熱中症で死者が出るほどの日が続いている。夏でも数日か十数日しか冷房は使っていないのが常であったが、さすがに今年は毎日機械を動かしている。

 年を取ると言うことは“悲しい”思いをする・・・冷気で、膝に“だるさ”を感じ、歩く・動くのに不便ほどではないが違和感が起こる。日曜日、妻は恒例の「茶事」で多忙、大勢の生徒さんが着物で集まるので冷房は必須となる。それではと外気に当たることにした。といっても猛暑日、東京近郊では高尾山や箱根まで行かねば冷気はない。もっともweb上では彼の地でも暑さはしのげないようだった。

 ということで、緑茂る広い空間のある所、東横線から大井町線に乗り換えても30分ほどで行かれる九品仏、浄真寺に来た。桜の時期、紅葉の時期に来た時には人でごった返していたが今なら落ち着ける。先ずは参道から入る。

 総門を表から入るのは初めて?

 境内に入ると、考えることは同じ?木陰で画架を置き写生に余念の無い人がそこかしこにかなりいた。

 浄真寺は前にも紹介しているので、見落とした所を重点に掲載している。奥に見えるのは「開山堂」、寺務所もあるようだ。

 開山堂前から斜めに見た「山門・仁王門」。

 正面から入り、仁王さんと対面する。

  

 仁王門の中にはすぐ鐘楼があった。鐘楼の周りにも写生にいそしむ姿が多数あったが、「個人情報」なので割愛。

 本堂脇の枯山水の手前に「仏足石」があったが、解説板を見なければ気がつかない!

 本堂を正面から拝む。

 本堂正面には中品・上品・下品の三阿弥陀堂が並ぶ。中にはそれぞれ3体、併せて9体の阿弥陀如来像が鎮座する。九品仏の名の由来・・・とあった。写真は真ん中の「上品堂」と右隣の「中品堂」・・・。以前詳しく掲載したような?していないような?


煉瓦造がクラッシック 東京国立近代美術館工芸館:千代田区

2019-03-07 12:57:22 | 東京ぶらり旅

 最近の建築ではレンガ造りに見えてもレンガタイルが多い。これはレンガ造りとあったので間違いない・・・でしょう。明治43年建造とあった。

 2月初めスキー行以来殆どお出かけはない。強いて言えば帰京して次と次の日曜日、妻のお供で美術館に行っている。最初は「東京国立近代美術館・工芸館」の「棗にまつわるエトセトラ」、次の週は「出光美術館」の「染め付け展」であった。竹橋北の丸と有楽町丸の内、いずれも自宅から30分とかからない。直行直帰となるので途中の食事以外は寄り道もなく、散策もなかった。何しろ寒い日が続いていたので・・・。

 blog更新が滞っていたので、写真を探したが日比谷・北の丸は頻繁に訪れるので、取り立てて目新しい題材はない。「工芸館」の建物が威風堂々としていたので、何者かと記録した。結果「 重要文化財(建造物)旧近衛師団司令部庁舎」とあったので納得した。

 曇り空で日も射さず、“絵”としては冴えないが、途絶えたblog更新でも、元気に暮らしていることのアッピール!!

 ちなみに、重要文化財(建造物)は東京都内には78件あるという。都全域に点在してはいるが「台東区」「港区」そして「千代田区」の皇居(江戸城)周辺に多くある。やはり本堂・山門・五重塔など神社仏閣にまつわるものが圧倒的に多く、次いで大名や豪商など権力と財力のあったものに属することも多いようだ。地理的に偏る訳とも繋がる。都内の重文建造物???かなり訪れているが、特に認識して行った訳ではないが???。


秋ならば小春日和だが 続・清澄庭園:江東区

2019-02-01 16:45:14 | 東京ぶらり旅

 磯渡りの飛び石にのんびりとひなたぼっこを楽しんでいる集団が見えている。“池を巡りて”半周ほど来て対岸から見返している。

 太鼓橋の上にも、大正館にもゆったりとした時が流れている。

 小高い丘は富士山と名付けられているとあった。

 雪は積もるほど降ることは殆どないが風情としてか、もしもに備えてか雪吊りが施されている。対岸にもあった。

 雪吊りがあるからには、前回で紹介した藁巻は「菰被り」の表現のほうが・・・。雪吊りの松の傍らにはこの季節に欠かせないロウバイが。なぜか色が冴えない。

 こちら側から回り込む辺りに「涼亭」があった。夏の夕暮れ、夕涼みに一献など想像出来る佇まいだ。対岸の大正館と池を挟んでコラボ・・・“絵”になる!!

 庭園の各所に各地の石・銘石が置かれている。「伊豆磯石、伊予青石、紀州青石、生駒石、伊豆式根島石、佐渡赤玉石、備中御影石、讃岐御影石」などだが、富士山の近くで撮った一部しか画像は残ってなかった。区別がよく解らないので適当に撮っていたから。

 「松尾芭蕉句碑」、近隣に芭蕉が一時期居していた「深川芭蕉菴」があった。現在は記念館があるようだが、芭蕉菴改修の折こちらに移したとあって清澄庭園が特に縁が深いわけではなさそうだ。


これも梅花? 清澄庭園:江東区

2019-01-31 16:08:01 | 東京ぶらり旅

 少し遠いので確認出来ないが、紅梅のよう。藁巻がしてあるので暖かい地方の木シュロ・ソテツ?廻りには葉ボタンも。傍らの石は「伊豆磯石」とあった。

 江東区清澄にある「清澄庭園」の「大正記念館」前の庭。

 2016年2月のぽっかり空いた1日、谷中の寺町を散策し日暮里から寛永寺を経て鶯谷まで歩き、駅前で食事を済ませJRの駅を目指したが、通りすがりのバス停で亀戸行きの路線があるのに気づいた。すぐやった来た都バスに乗り亀戸天神で下車し、咲き始めの梅の花を観賞した。3年前に掲載している。

 その後、JR亀戸駅まで戻り、再びバス停に立ち寄ると「清澄庭園」経由の「豊海水産埠頭」行きの都バスがあることが判った。普段地下鉄やJR、私鉄では東急・京王線、せいぜい小田急線くらいしか利用しない。都バスは芝公園に行く時渋谷橋から利用するくらい、それもごく希に。下町方面に来ることも少ないが、この地域では都バスの路線が縦横に走り、線路のない所へ運んでくれる。もっとも地域内移動の足だから遠くへの移動は考えられていないのであろう、大回りしながら最寄りの鉄道の駅を回遊している。

 亀戸駅を出たバスは、亀戸天神脇をすり抜け、来た時も通った「押上」「スカイツリー」へ戻り、方向を変え「両国」駅から門前仲町方面へ向かい「清澄駅」「清澄庭園」へ着いた。

 通り1本入って入り口の門に着く。日の丸の旗がはためく??「建国の日」祝日、国旗掲揚は都バス、都立公園ではおきまり!

 園内に入ると植栽の向こうには大きな池がある。「池泉回遊庭園」池を巡ることになる。

 日だまりで集う若者、“磯渡り”と呼ばれる飛び石や橋も設えられて、なにより多くの鳥が池に集まっている。

 中央付近には島もあり、職人さん達が何やら手入れしているのが望める。

 振り返ると、最初に見た「大正記念館」の縁側で憩う人と傍らの梅花が眺められた。


国の重要文化財 飛鳥山公園・旧渋沢家飛鳥山邸:北区

2018-12-12 18:07:21 | 東京ぶらり旅

 「青淵文庫」のステンドグラスに見入ってしまった。

 飛鳥山公園児童遊具を横目に見て進むと、鉄柵で囲われた一角があった。「旧渋沢家飛鳥山邸・ 旧渋沢庭園」の入り口、開門されていた。渋沢栄一命日とあって「青淵忌」資料館始め施設は無料開放とあった。

 田園調布の開発に関わったとしか理解していなかったが、資料館で渋沢栄一について初めて認識した。事業家で富裕層であったことを・・・。資料館は最近の建築、重要文化財の2棟に向かった。先ずは「青淵文庫」

 ステンドグラスもタイルも家紋にちなんだ柏の葉文様とあった。

  

 少し離れて木立の中に「晩香廬」が、こちらは洋風茶室とあって木造のようだ。

 妻の関心事は茶室「無心庵」跡にあったのでそちらに向かう。途中社が、由来書きはなかった。

 「無心庵跡」は掲示のみであって詳しい案内はなかった。家内はしきりに礎石や蹲い・灯籠の配置を見極めて、茶室の姿を再現想像しているようだった。

 邸宅跡といってもかなり広く、木立や植栽も維持されていた。児童公園を抜けてJRの線路の反対方向へ丘を下ると「広場」があった。

 観客席に取り囲まれる中一段上がって舞台が作られ、ライブ演奏の最中だった。

 この後JR王寺駅まで戻ったが、飛鳥山から見えていて傍らを走っている都電で大塚まで戻ることにした。路面を走るのは僅か、専用軌道が殆どの路線で早稲田までしか都電はなくなって乗る機会は殆ど無いので・・・。かっては学生時代下宿していた渋谷区新橋町(現恵比寿)近くの天現寺橋には都電車庫があり、国鉄時代のストライキの時には渋谷橋・天現寺橋から信濃町を経由して大学のあった水道橋まで乗り換え無しで行けた記憶がある。そのときの車掌さんが偶然下宿の主のオジサンであったと、遠い思い出となっている。