仕事帰り、土曜日夕方から降り始めた雪は、今回は積もりそうではありませんが、翌日でも、テニスのクレーコートは使用出来ないでしょう。それではと、一人越後湯沢へスキーに行きました。
10日、朝起きたら、窓の外は雪でした。前回出来なかった雪を止めて撮してみましたが、試行錯誤の末、1枚だけ仕上がりました。もっとも、背景が暗くなりすぎて、何がなにやらですが。
10日にモグロブで投稿した写真は、携帯で撮っています。矢張り細かいデテールは表現出来ていないようで、コンパクトでもデジカメの方が精密に描写出来るようです。昼近くに一旦雪が止み、静まりかえったファースト石打スキー場の“今”です。
記録を調べているのですが、なかなか見つかりません。1970年代に小田急石打スキー場として開業し、その後石打TBSスキー場、そして現在のファースト石打スキー場となったと記憶しているのですが、順序が違う?ネット上では、検索し切れませんでした。電話で問い合わせる程の事でもないので、記憶のままにしておきます。
アップで見ると、静寂に包まれたスキー場の麓には、ロッジや民宿が展開しています。メインのスキー場がないのですから、車での他のスキー場への送迎が大変でしょう。親亀こけたら皆こけた・・・にならなければ良いのですが・・・。
ここ数年の間に、スキー場の倒産、併合、経営交代代替わりなどがあちこちで起きています。経営改善により持ち直したり、ニセコのように、海外からの来訪者で息を吹き返している所もあります。反対に、毎年経営の変わっている所もあり、閉鎖もいくつかありました。スキーのみかボ-ド人口の減少は、スキー産業全体の衰退に繋がっているようです。
スキーに限らず、自然を主にした観光は、雪国僻地に多大な経済効果をもたらしました。山奥に近代的なホテルや保養施設が建造され、一時を謳歌しましたが、バブルの崩壊のみではなく、画一的な開発に、消費者の飽きをも早めてしまったのでしょう。
今回のスキー行で目立って感じたのは、西洋、豪州、そしてアジアに限らず、“外人さん”が目立って増えています。先日、白馬での外国人のお客さんの増加への対応策を、地域全体で受け入れる方向で勉強会の模様が、TVで放映されていました。この辺りにも、起死回生への道があるのではと思えます。もっとも、貧乏人の“日本人”は要らない!では困りますが・・・。
スキー場作るのに開発をして莫大なお金をかけたのに誰も来なくなったなんて・・・
確かに以前と比べるとスキー場は人が減っているように思います。なので続けている私としてはリフト待ちが少なくて助かるんですけどね^^
お金もかかるし好きじゃないと続けられないスポーツなのかな?と思うこともありますが、我が家は誰も大好きなのでずっと続けていこうと思います^^
還暦遙かに過ぎても、現役スキーヤーです。子供達も、よちよち歩きから、いまだに夫婦揃って滑っているようです。