「ウランなのこれ?」
「そうよ」と。
ウランでは無さそうだったが、ウランガラスほどの値。
デザインのトランプに魅かれて買った。
やっぱり、違う。見分けられるようになったか私。
明治か大正時代の感がある。
「ウランなのこれ?」
「そうよ」と。
ウランでは無さそうだったが、ウランガラスほどの値。
デザインのトランプに魅かれて買った。
やっぱり、違う。見分けられるようになったか私。
明治か大正時代の感がある。
さくら井屋さんの製品には裏面に店名がありました。
店名の記されていないのは他店のものでしょう。
この3枚は少し大きめです。
この箱入りだったようですが、蓋だけです。
南地戎橋せ乃や製とあります、大阪のお店です。
はいからって書いてあります。封筒の開け方がタトウです。
京都の新京極で長年親しまれた「さくら井屋」さんが閉店され、売られていた絵はがきや絵封筒が骨董市で、次第に値を上げて、今ではもう見られなくなった。
絵草紙を調べている時に、出くわした本に載っていたことの要約です。
さくら井屋さんは和久屋治兵衛の名で絵草紙屋さんだった由。
和久屋治兵衛は、和久屋の名を譲って千本五辻に同様の絵草紙屋を出させました。
自身は、今まで通り堀川通り今出川舟橋で桜井屋と名乗りました。
天保11年(1840)届出の文書です。開業をお上に届ける決まりがあったようです。
天保十一年子年渡世仕候(開業することを渡世といったらしい)
1、本屋渡世
和久屋治兵衛改
右之通御座候以上
桜井屋治兵衛
嘉永四年亥四月
御年寄様
お上から本屋業界に対し様々な沙汰が下る問題があり、本格的な営業は天保12年となった。
明治28年(1895)新京極に移転して徐々に土産物店に移行し、平成23年(2011)年1月15日閉店されました。
お買い上げ品を入れて渡された袋なのでしょう。
お店で売られた品々です。
南座の歌舞伎デザインの便箋です。
絵はがきです。
袋の中は、
露店で一枚入手。
製造時期が違うのでしょうか、裏面が違います。
裏にのりがついた貼り絵です。
絵封筒です。
小林かいち
サインのあるのは、かいちの初期の物らしいです。
御所人形の図柄、左端はポチ袋です。
平成23年(2011)1月15日、閉店されました。
京都新聞の前身、京都日出新聞、明治39年に7000号記念絵葉書が発行されています。
2枚持っていますが、他にもあるのかもしれません。
縁日の露店で入手した異国のお土産です。
倒すと閉じて、起すと開き青い目が動きます。
ドイツのキューピーです。
糸が絡まっていました。
「何度も直したんですけど、お客さんが・・・・」と言った店主のおばあさん。
階段に吊っています。
こんな顔、日本人の発想ではないと思いました。
マトリョーシカ、北海道稚内のホテルの売店で見たのよりやっぱり古い。
端午の節句は4月5日ごろの「清明せいめい」の日から飾ります。
桃の節句にひな飾りはじめの2月の「雨水うすい」の日と同じです。
幟は、糊で固めた布に表と裏に同じ柄を手描きします。
図柄は無数にありますが、描くのに手間がかかるので数の在庫は無く、買いに行った時有る物から選ぶしかありません。
贈る側の家紋を入れるのが一般的ですが、双方の二家の家紋を入れる地域もあります。
染め付けの物もあるようですが、皆さん手書きを選びます。
弟が小さいころ生家の庭には鯉のぼりと2本の幟を、祖父と父が竹藪から切り出した孟宗竹に毎朝3本を立てていました。
義経、那須与一などから続く長い戦の時代が題材でした。
息子の初節句に贈られたのは「川中島その八」で、今日は虫干しです。
鯉のぼり用の10mポールでなければなりません。
1メートルくらい穴を掘って筒を打ち込み、ポールにチチを通し、釣り竿を伸ばすように一本づつ伸ばしては止めで、鯉のようにスルスル上げるのではありません。
そして3方くらいにロープを引っ張ってポールを固定しました。