市町村合併で、現在は滋賀県米原市です。
琵琶湖の隣によく似た形の内湖というのがあります。
昭和30年代に干拓事業で現在は水田です。
県内や福井など近県からも来て、干拓した土地を所有できたそうです。
商工会の皆さんの広告の電話番号は局番がありません。
名所案内です。
左から2番目の筑摩神社の奇祭「鍋釜祭り」に行ったことがあります。
5月3日数え年8歳の女児が鍋をかぶって、介添えは父親でした。
市町村合併で、現在は滋賀県米原市です。
琵琶湖の隣によく似た形の内湖というのがあります。
昭和30年代に干拓事業で現在は水田です。
県内や福井など近県からも来て、干拓した土地を所有できたそうです。
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左から2番目の筑摩神社の奇祭「鍋釜祭り」に行ったことがあります。
5月3日数え年8歳の女児が鍋をかぶって、介添えは父親でした。
鬼だけ集めた絵はがきセットです。
「鬼の念仏」
布施を求めて歩く鬼の風情を描いたもの。
心が鬼でも奉加護を持って廻る者をからかった図であります。
子供の夜泣き止めの符。
「鬼の三味線」
酒盛りなどして浮かれ遊ぶと時は 誰も鬼の手にあることを忘れていること、又それをからかった図であります。
「鬼の行水」
鬼が今 湯おけに入ろうとする図で、躰を洗って心を洗わぬものへの風刺した図です。
「鬼は外」
大黒さんに豆をまかれ追い出される鬼の図です。
節分の図であります。
「鬼と鼠と柊」
柊の葉をくわえた鼠に鬼が追われ、柱に逃げ出した図です。
柊の葉は昔から魔を払うと云われます。
時代によってハガキの大きさが違います。
逓信省時代、絵はがきは表面(宛名面)に通信文を書くことは許されませんでした。
そのため、絵の横に書き込まれていました。
そこで、表面の下、三分の一、その後二分の一に通信文を書くことを許されました。
三分の一では足らず、この様にもなりました。
ここからは、小さい方(古い方の)絵はがきです。袋が無いので何枚のセットだったかは不明です。
大津絵1の版画と同じ題材です。
大津絵は歴史上は多くの画家がいらっっしゃるようですが、こちらは有名な高橋松山さんの版画です。
現在は五代目の方だそうですが、この版画は何代目の方かは不明です。
タトウに畳んだ和紙で包んであり、十枚入っています。