レトロの小部屋

紙物を中心に古物を集めています。

伊吹山気象台の絵はがき

2018年11月14日 14時49分46秒 | 京都 滋賀の絵はがき

伊吹山は滋賀県と岐阜県境にあります。
薬草の花など見るために毎年多くの人が登ります。

近江伊吹山 頂上高象気流観測所と書いた絵はがきです。
スタンプの日付は7月31日ですが、2は何年でしょう? 

そこでweb検索して、写真は引用しました。

大正7年建築され、大正8年1月1日より運用。昭和4年、国に移管され中央気象台付属伊吹山観測所となる。

昭和10年2代目の庁舎。昭和34年彦根地方気象台と合同運用。

昭和54年改築の3代目の庁舎。平成13年3月31日その役目を終わる。

ということは、この絵葉書は初代の建築物で、昭和2年なのです。

平成22年(2010)10月解体されたとあります。

夫は長浜で小学校の頃の夏休み、担任の先生と夜中に登り、御来光を拝んだとの事です。
当時は教師が発案して、有志の子に声かけて連れて行った。
危険にさらさない指導力もあった。
懐かしい思い出となっているようです。


2010年10月7日 私は夫と駐車場までは車で初めて登りました。

何か工事中?と、カメラに収めたのがこの写真です。
解体前の準備中だったようです。

その後2014年6月にも登りましたが、その時は絵葉書を入手していませんから、気象台の建物の事など知りませんでした。
建物などは跡形もありませんでした。

「岐阜県に入りました」「滋賀県に入りました」とクルクルカーナビに言われながら昇ります。

車を降りてここから登山口です。

少し登ったところから駐車場を見下ろしました。

入山料は乗用車1台につきで、冬季は雪が積もるので閉山します。

 


明治39年富士山郵便局開局紀念絵葉書

2018年11月10日 09時46分22秒 | 記念(紀念)絵はがき

明治39年7月30日の紀念スタンプが押してあります。
白須郵便局長の肖像と共に局の全容です。

もう一枚は曽我兄弟。
曽我十郎祐成(そがのじゅうろうすけなり)と五郎時致(ごろうときむね)の兄弟。
父の仇 工藤左衛門尉祐経(くどうさえもんのじょうすけつね)の富士の裾野の狩りの陣屋に、工藤家の家紋「庵に木瓜(いおりにもっこう)の陣幕をくぐって討ち入るの図です。

ただ二人は本懐をとげられませんでした。

表には富士山郵便局開局記念祝賀會發行と印字されています。

 

同時発行されたものが他にもあるのかもしれません。

 


滑稽新聞の模倣

2018年11月02日 10時09分19秒 | 絵はがき

宮武外骨という人が、明治34年に小野村夫の名で1日と15日に発行した滑稽新聞があり、世間で人気となっていました。
当時の学生同士がマネをした様子が、まとめ買いした絵葉書の中にありました。
明治32年~39年の間発行された官製はがきが使用されています。

住所と戸主の名前は正確に書いてありますが、友人名はあだ名だったりバラバラです。

新聞の名は「すっぱ抜き古聞」39年8月4日、2号らしいです。

すっぱ抜き古聞を改題して、「怒泣笑信報」3号です。

黒く塗りつぶしてその上に鉛筆で書いてあります。

滑稽新聞は、権力者の収賄や悪行批判など書きたてて、発行部数を伸ばせども宮武外骨は、罰金、入獄を繰り返し、明治41年10月20日、173号を「自殺号」で廃刊した。

すると、彼らも「冥土旅」号を発行しました。

このハガキを受け取った理三郎君は大阪の商社に入社し、後に海外赴任しているとき先日の美人絵葉書が多数彼の元に送られました。

ちなみに宮武外骨(みやたけ とぼね)、一般ではみやたけがいこつと呼ばれたりもしますが、元の名は亀四郞。
亀は外が骨(甲羅)だからと外骨と称して、戸籍まで変更させるというジャーナリストだったと本に書いてありました。