レトロの小部屋

紙物を中心に古物を集めています。

白木みのるさん

2022年11月13日 06時10分44秒 | エッセイ

2年前に亡くなっていたとの訃報があった。

鳥取県の西部地方の田舎で私は生まれました。
白木みのるさんは島根県の出身だったのですか。

昭和になって集落の外れの広い敷地に移転したそうですが、明治大正時代には小学校だったという裏山に奉安殿の跡を持つ集落の公民館。

青年団の演芸や、映画、神楽、ドサ回りがその公民館で時々公演される。
昼間は仕事があるから、公演は夜と決まっていた。

小学校の4.5年生だったでしょうか、初めて一人で見に行くことを許された。
子供か大人かわからない小柄なスーツ姿の男性が紹介された。

「田端あきおちゃんです!」

甲高い声で歌う彼。びっくりして見入った。

まるでスターのように紹介されて数曲歌った後、ブロマイドの販売が始まった。
握りしめていた10円玉で思わず買った。

「ダラずが(馬鹿がの方言)」と叱られた。

ガリ版印刷のようなハガキくらいの大きさのブロマイド。

てなもんや三度笠が放映されると、え、あの人だと思った。
あれだそうなと大人達の間で語られた。
我が家は誰も見ていなくて自分の部屋でブロマイドをまじまじ見つめた。

有名になられる頃、私は高校を出て京都に就職した。
置いてきたブロマイドはいつしかなくなっていた。
今、あったらと思った。


縁遠くする家相

2022年02月17日 09時14分24秒 | エッセイ

易学は、当たるも八卦当たらぬも八卦で統計学といわれています。
家相はどうでしょうか。やはり統計学でしょう。
トイレ、風呂場、流し台(井戸)、コンロ(かまど)など方角の家相を重視していました。
現代は、不浄物は配水管によって敷地外に押し流され、敷地内にとどまることは無くなりました。

家相は新時代を迎えています。

「一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな 馬肥やせ」と妻あてに送った本多作左衛門重次。

遅くなって授かった仙千代丸を慈しみ、馬にしっかりエサを与えよ なのでしょうか。
馬小屋は敷地内の何処にあったのでしょう。
家相から言えば、おそらく家の裏の下座にあったと思われます。

現代の馬小屋と言えるのはガレージでしょう。
燃料を食べて水や排気する馬。

玄関が東向きの家は北側が上座。
   北向きの家は東側が上座。
   西向きは北と、東が上座。
   南向きは北と東が上座。

ガレージが上座にある家は、縁遠い子が出る。
上記の反対側にガレージを設けるか、他所に借りると良い。

家にマイカーが無かった時代は大半が結婚した。

結婚しないと悩んでいた西向きの玄関で北側にガレージのある借家に住んでいた方が引っ越した。
数年後孫が小学校に上がったと聞いた。家相の変化でしょう。

上の子供達はすでに家庭を持っている夫婦が、下の子を連れて転居してきた。
下の子に縁が無い。
南向きの玄関で、東側にガレージがある。

各々には結婚適齢期があるから、家相の変更は早くしなければ間に合わないこともありうる。

 

 

 

 


霊感

2020年08月21日 16時35分49秒 | エッセイ

 パート先で知り合った3歳年上の八重子さんは霊感のある人でした。
 子供は無かったがご主人とは仲良く暮らしていました。
 ご主人の姉が自殺して、成仏できない苦しみから弟であるご主人にとりつき病気にした。
 医者は治せなくご主人は亡くなった。

 自殺者の中には、憑依霊によってあの世へ取り込まれると霊能者の本で読んだことがある。
 理由が分からない自殺者がそれに当たるかもしれない。

 同じ会社でも部署の違う八重子さんの職場にはボスがいて「今度の休みにみんなで琵琶湖でバーべキューしよう。来ない人はバツとして2000円出して!」と言われたとか。
「行くの嫌やねん、湖で死んだ人がうじゃうじゃいるねん」

 所用があって我が家へ来て、道路に自転車停めて花壇の柵越しに話して別れた。
 夜、電話あり。
「その辺で交通事故無かった?」
「あった、去年の夏の深夜、正面衝突で若い女の子が死んだ。ハンドルにうつぶせて、クラクションが鳴りやまなかった。
 母親が、毎日お供え物持って道路端に来てたよ」

「まだそこにいるよ。帰ってからしんどくて3時まで寝たわ」

 死んだ場所にお供え物する風習はマスコミを通して世に根付いた。

 死後49日の間ははこの世で好きなところへ行ける。
 心(魂)だけで肉体が無いから、外国へでも不倫のベッドをのぞきにでも、瞬時に行ける。

 仏教で49日、神道で50日でお迎えが来てあの世へ旅立つ。

 死んだ場所は、皆さんがお供えを持ってきて下さって楽しい。
 行きたくないとお迎えを断ると、二度と迎えは来ないので成仏できないで地縛霊(その場所に縛られた幽霊)となる。
 
 死んだ場所にお供えして手を合わせると憑依されるおそれありと霊能者の本。
花を供えてあるところを通るとき私は、『こんなところにいるな!天国へ行け!』と心で叫んで通ります。
天国はキリスト教、仏教は極楽と言うそうですが。

 八重子さんは、会社の倉庫の男の霊にも助けを求められた。
 近所の方々と共に見舞に行った市民病院の駐車場で、死んだ患者の女性が薬指の間から入ってきて頭が割れるように痛い、脳の病で死んでるわと言う。

 冷たい思いをしている霊がついた時は、煮えたぎる鍋のお湯に手を突っ込んでもやけどしなかったと。
 酒好きや、甘党の霊の時は、多量の飲酒、饅頭食べたくなるが、供養を重ねて天界に送るとなおると言っていた。
 戦時中、上官にいじめられて、無念で死んだ叔父を送った時、七色の尾を引いて昇って行った。
 
 有縁無縁、八重子さんに憑依した霊を、自宅の仏壇で数か月かけて供養して成仏させた。
 大きな寺院の塔頭の庭で育ち、自然に仏教に帰依していた八重子さん。

 八重子さんは言う「そやけど、自殺者は成仏させられへんわ。主人の姉はまだ鴨居にいるよ」

 母の葬儀を済ませて帰った私に「お母さん、来てはるよ、私と話してる時、私にずっと話しかけてる女性がいた、あんたのお母さんや」と電話が来た。
 母はきっと方言でしゃべり、八重子さんには意味不明だったろうけど、と思ったけど母は私の家にいると思った。
 わが家は南無阿弥陀仏だが、実家は南無釈迦牟尼仏、幸い仏壇の隣にお釈迦様を祀っている。
 夫も私も得度している。
 毎日お釈迦様の前で母の戒名を言って経文を上げると10日くらいでロウソクの火がバチッとはぜた。
 頭から薄い絹がとれたような気がしたので、母が帰ったと思った。
 父に電話したら、近くに母がうろうろしてるように感じていたと言った。

 八重子さんのお母さんは彼女を連れて離婚して、再婚した。
 育ててくれた義父は優しく、実母は厳しく、生まれた弟や妹の子守ばかりさせられたが、母方の祖母が優しくしてくれたと感謝していた。

 実父の死を霊感で知って、青春18切符で旅費を持つからと同行を乞われた。
 外観を見るその生家は、豪農のたたずまいでした。

 正社員の上司が嫌だからやめると彼女が去って数年、疎遠だったある日「子宮がんで入院してるねん」と電話があった。
 「見舞いに・・・・・」
 「来んとき、いっぱいいよるねん(死者の霊がうようよしてるの意)」
 「あと一回抗がん剤したら帰る」
 「帰ったら家に行くわ」

 一年近く電話が来ず、彼女の2軒隣に同じ職場の先輩がいたので、電話して尋ねたら亡くなっていた。
 
 八重子さんは、動きやすいとモンペを常用し、顔も背格好も小芋の様な雰囲気の女性でした。
 隣人が、お母さんの写真を見せてもらった事があったけど、すごい美人だったと言った。

 八重子さんは母親のことを「あんたが股広げるから私が生まれて苦労する」と母親をなじったと言っていた。
 謎が解けた。美人でモテモテだったお母さん。
 できちゃった結婚、彼女は父親似だったようだ。
 父親違いの姉弟は仲良くしたそうだ。

 有名な霊感のある人を調べてみると、60代~70代半ばまでに逝き、長生きはしないようだ。

 心根の正しかった八重子さんは、あの世で美人だろう。
 肉体を捨て、天界に行くのは心だけ。
 肉体が亡いから、思っていること丸見えだからこの世でウソをつくくせのあった場合辛いだろう。
 お金も財産も置いていく、整形した美しい肉体でも捨てて行く。

 この世は100年、あの世は1000年以上。
 この世は心を磨くためにあるのでしょうか。

 ご冥福をお祈りいたします。ウソつけ!

 
 

 


創作 おむすび伝説

2020年03月27日 08時47分34秒 | エッセイ

♪おむすびころりんすっとんとん と歌われる童謡があります。
俵の形、花の形など、有名弁当、幕の内弁当のご飯の形は縁起のいいおむすびです。

いつのころからか、巷では三角にぎりが主流の様になっています。

元々、三角にぎりはお通夜の席で出されるものでした。
死者や、葬列に加わる人が付けた天冠の形だったのです。

おむすびでは無く、おにぎりです。
特に子供が食べるのは良くありません。
子供の将来を思うなら、お弁当には俵型か丸く結んで持たせるのが良い。
どうしても三角を食べなけらばならない場合は、角に力を加えて丸く結び直して食べましょうと教わりました。