レトロの小部屋

紙物を中心に古物を集めています。
ついでに所蔵品の思い出も。

趣味人と曽我廼家五郎 2

2019年04月13日 08時53分25秒 | 京都 滋賀の絵はがき

表面がはがき仕様になっているものとして。

はがきの料金が1銭5厘から2銭になったのは昭和12年4月でした。

曽我廼家五郎が、贔屓先の若林宅宛に送っています。
この絵葉書会で「のむらや」として印刷を手掛けた若林寿之助(丸印)

彼の暑中見舞いです。これは、大阪の貿易会社から海外赴任中の息子 理三郎に宛てたものです。

理三郎は、親はもとより、友人知人から海外で受けっとった膨大なハガキを持ち帰っています。
元の持ち主は誰なのか。
5年位前、京都の天神さんの縁日の露店で刀や鉄砲を商う業者が持て余し、まとめ買いをせまられて全部買いました。
「東福寺のお宅から出た」と言いました。

松竹から出ている曽我廼家五郎のブロマイド絵はがきなどはここでは割愛します。

次回は郵便法では送れない仕様のものを紹介します。

 


趣味人と曽我廼家五郎  1

2019年04月12日 06時21分25秒 | 京都 滋賀の絵はがき

数年前、京都北野天満宮の天神さんの縁日で発見しました。
元の持ち主も絵葉書収集家でもあったようです。

絵葉書を入手してから調べるうちに、滋賀県大津市歴史博物館がコレクターからの寄贈を受けて平成21年3~4月企画展をしていたことを知りました。県立図書館で借りた図録です。

曽我廼家五郎のファンクラブ趣味人たちが、彼を巻き込んで作った絵葉書を頒布したものらしいのです。

曽我廼家五郎(1877-9-6~1948-11-1)本名 和田久一。
1948年12月大阪中座で松竹新喜劇が結成されました。松竹芸能の役者だったようです。

ソノシートにサインがあります。

ブロマイドも絵葉書です。

この2枚の絵ハガキは昭和7年以前です。

表面の「はかき」の文字が「はがき」に代わるのは昭和8年からなのです。