テレビの画面で、
マツコデ・ラックスが軽妙なトークを繰り広げている。
再放送とは云え、
朝っぱらから堂々とオカマが、
それもメインで出ていると云うのは奇跡だな、とヒロシは思う。
あのころ、もしこんなだったら、と考え、
それでもやはり別れるしかなかったか、と思い直しため息を吐く。
あのころの大阪は、万博を二年後に控え、
日本中の建設会社が千里丘に集まったような景気のよさだった。
バーテン見習いとして、
ヒロシの勤める北新地のバーでも、
店はいつも景気の良い客で満席だった。
そのころ、店のピアノを弾くため、
アルバイトに来ていた音大生が、タカシだった。
年の同じふたりは、
下宿が近いと云うこともあり、よく連れ立って帰った。
そのうち、互いの部屋を行き来し、
泊り込んだりするうち、二人が恋人同士になるのに時間は掛からなかった。
あのころは、
同性愛者だと分かれば、それだけで社会から排除され、
背後から石を投げつけられる時代だった。
ヒロシ自身もそのことに悩み、
「自分はオトコオンナの出来損ないだ」と己を責め続けていた。
恋心や性を隠すのが当たり前で生きていたその生活が、タカシと知り合うことで一変した。
もちろん、おおやけにはできないが、
夜の街を寄り添って歩くだけで幸福だった。
「自分はひとりではない」と思えた。
でもそれは、やはり許されないことだった。
タカシが地元に帰り、
音楽教師となって間もないある日、
ヒロシのアパートに、篤実そうな中年婦人が訪ねてきた。
出したコーヒーに手も出さず、
タカシの母だと名乗ったその婦人は、
手土産の菓子箱を押し出すと、
口ごもりながら、「息子と別れて欲しい」と切り出した。
地元の高校で、
「新任のあの先生はホモ」と噂が立っていると云う。
梅田で、タカシとヒロシが連れ立っているところを、地元の父兄に目撃されていたらしい。
「このままでは学校を・・・・・」とまで言った処で言葉につまり、
婦人は、ハンカチを目に押しあてた。
タカシはその月のうちに大阪を棄て東京に出た。
あのころ、千昌夫の歌が流行っていて、
一人暮らしの孤独に押しつぶされそうになると、よく口ずさんだ。
♪♪
わかれることはつらいけど、
しかたがないんだ 君のため・・・・・
大阪に舞い戻ってからでも、もう四十年、
この歌をなつかしいと思えるようになるまでには、
「五十年かかったんだよな」と、
ひとりつぶやいてみるが、
ガランとした部屋に返事をする相手はいない。