漫筆日記・「噂と樽」

寝言のような、アクビのような・・・

★ 昭和歌謡で遊ぶ・ 「星影のワルツ」

2015年09月30日 | ものがたり


テレビの画面で、
マツコデ・ラックスが軽妙なトークを繰り広げている。

再放送とは云え、
朝っぱらから堂々とオカマが、

それもメインで出ていると云うのは奇跡だな、とヒロシは思う。

あのころ、もしこんなだったら、と考え、
それでもやはり別れるしかなかったか、と思い直しため息を吐く。

あのころの大阪は、万博を二年後に控え、
日本中の建設会社が千里丘に集まったような景気のよさだった。

バーテン見習いとして、
ヒロシの勤める北新地のバーでも、

店はいつも景気の良い客で満席だった。

そのころ、店のピアノを弾くため、
アルバイトに来ていた音大生が、タカシだった。

年の同じふたりは、
下宿が近いと云うこともあり、よく連れ立って帰った。

そのうち、互いの部屋を行き来し、
泊り込んだりするうち、二人が恋人同士になるのに時間は掛からなかった。

あのころは、
同性愛者だと分かれば、それだけで社会から排除され、

背後から石を投げつけられる時代だった。

ヒロシ自身もそのことに悩み、
「自分はオトコオンナの出来損ないだ」と己を責め続けていた。

恋心や性を隠すのが当たり前で生きていたその生活が、タカシと知り合うことで一変した。

もちろん、おおやけにはできないが、
夜の街を寄り添って歩くだけで幸福だった。

「自分はひとりではない」と思えた。

でもそれは、やはり許されないことだった。

タカシが地元に帰り、
音楽教師となって間もないある日、

ヒロシのアパートに、篤実そうな中年婦人が訪ねてきた。

出したコーヒーに手も出さず、
タカシの母だと名乗ったその婦人は、

手土産の菓子箱を押し出すと、
口ごもりながら、「息子と別れて欲しい」と切り出した。

地元の高校で、
「新任のあの先生はホモ」と噂が立っていると云う。

梅田で、タカシとヒロシが連れ立っているところを、地元の父兄に目撃されていたらしい。

「このままでは学校を・・・・・」とまで言った処で言葉につまり、
婦人は、ハンカチを目に押しあてた。

タカシはその月のうちに大阪を棄て東京に出た。

あのころ、千昌夫の歌が流行っていて、
一人暮らしの孤独に押しつぶされそうになると、よく口ずさんだ。

♪♪
  わかれることはつらいけど、
     しかたがないんだ 君のため・・・・・

大阪に舞い戻ってからでも、もう四十年、

この歌をなつかしいと思えるようになるまでには、
「五十年かかったんだよな」と、

ひとりつぶやいてみるが、
ガランとした部屋に返事をする相手はいない。







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