漫筆日記・「噂と樽」

寝言のような、アクビのような・・・

昭和歌謡をくち遊む・「勘太郎月夜歌」

2015年09月29日 | せけんばなし

おとといは十五夜で、
夕べは「十六夜」、これで「いざよい」と読みます。

なんでも、おとといの満月に比べると、
月の出がやや遅く、そこからの銘銘で、「いざよいの月」。

「いざよう」というのは、
ぐずぐずしてためらっているようす、だそうですから、

新妻が、“恥ずかしそうにためらってる初夜”を、
「十六夜」と云う、・・・・・、

と云うのは、いま私が思いついた真っ赤なウソ。

って、・・・・・いまどきの新妻は、いざよったりしないか。 (笑)

「猶予」と書いて「いざよい」とも読むんだそうですが、
まぁ、これはいま辞書で仕入れたばかりの知識であって、

そうでもなきゃ、私にはゼッタイに読めません、
と、自信満々に言ったりして。 (笑)

ことのついでに、手元のことわざ辞典をひいたら、
「十六夜空や人の世の中」と云うのが出てきた。

いざよう空や人の世の中” あんがいいいじゃないですか。

意味は、
「はっきりしない空模様のように、
人の心のはかりがたく変わりやすいこと」、だそうです。

早いはなしが、
「女心と秋の空」ですかね、・・・ン、ちょっと違うか。

私は、夕べの月を見ながら歩いていて、

♪♪
 なりぃは やぁくざに やつれぇていても
            月よ見ぃてくぅれ 心のにしぃき


と「勘太郎月夜歌」を口ずさんでいたのですが、
こんな歌、覚えてる人も、今じゃ少なくなったんでしょうなぁ。

むかしはケッコウ流行ったんですけどね。






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