漫筆日記・「噂と樽」

寝言のような、アクビのような・・・

無人島漂流船の事 ④ 焼け石の島

2009年11月05日 | Weblog
きのうの続き。

船も流され、流れ着いた島で生きるしかなくなった十二人ですが、
ともかくは、島のようすを探ります。
  
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かくては是非もなく
それより島にて、人家や人影をさがせども、影も見えず、

すなわち、無人島にてあれば、
縋(すが)る物とて無く、命を助かる手立ても覚えず、
十二人の者共 途方にくれ、万策 尽きたるありさまにて候。

詮方(せんかた)もなく、島を巡りそうろう処、
およそ一里あまりも有り、 (一里→約4km)
高さは三町ほどの岩山、 (三町→300m余)
それも全てが焼け石にて、島全体を成し、草木も見えず候。

わずかに山陰の下道に、
茱萸(ぐみ)と申す低木など、少々有るのみにて候。

さて、住居にもすべき場所を 見立てそうろう処、
島の奥にて、
高さ六尺、巾 七.八尺の岩穴見付け、 (六尺→約1.8m・七.八尺→2m~2m50位)
これを幸いと、住み処に定めまかり在り候。

その内に米も絶え、
それよりは、浜辺に下り、海草や魚鳥のたぐいを取り、食物に仕り候。

かく食物はあれども、この島、
水の無き事には難儀仕り、
ようやく雨水を受けそうろうて、飲水に致し、渇きをいやし候。

かく暮らす内、老年の者共三人、一両年の間に死に候。

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たどり着いた島が、
「焼け石の島」だったと云う事は、火山島で、溶岩だらけだった云うことだろう。

グミは、ツツジのような低木で、赤い実がなり、
私も子供の頃食べたが、酸っぱくて渋く、旨い物ではなかった記憶がある。

いかに老年とは云え、
船頭仕事をする健康な海の男が、
一・二年もせぬ内に 三人まで亡くなったことは、島の生活の厳しさを物語る。

勿論、絶望感もあって、
「生き抜く気力を失った」と云う事もあっただろうけれども。





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