漫筆日記・「噂と樽」

寝言のような、アクビのような・・・

 ○大森の邪神往来を悩ませし事

2014年07月03日 | ものがたり


 ○大森の邪神往来を悩ませし事

甲斐の国身延山の麓に大きなる森あり。
樹木年経(としふ)りて大木あまた有り。
其中に塊の木の太さ五人の両手をして漸くおよぼすほどの、
たけ五六丈ばかりなるすさまじき大木あり。

そのかたわらに社有りけるが、
旅人日暮れて此前を通れば、崇りをなしけるゆへ、おろかには通りがたし。

若し通らで叶はざる人は、
結構なる器物衣類、又は金銀等を、
このえんじゅの木の許へ供へ礼拝すれば、難なしといひ伝ふほどに、
人々おそれて日暮れては人跡絶へたり。

然るに茂次といふ百姓用の事ありて、
他所に至りけるが、
母おや急病のよしを告げ越しけるに、茂次常々孝心なりければ、
大きにおどろき嘆き、
取る物も取りあへず、わが家に急ぎけるに、
途中にてふとおもひ出だしけるは、聞き及ぶ大森の社の前を通らでは帰る事叶はず。

日ははや暮れに向(なんなん)とす。

然れども 宝器か金銀を供へずしては、通る事おもひもよらず。
此道を除かんとすれば、すでに三里の道を廻る。

急病なれば廻り帰らん事も浅まし。

いかゞせんと案じ煩ひけるが、
所詮、この森の御社(おにゃしろ)に御断りを申さんに子細はあらじと覚悟して急ぎけるに、
初夜の此ほひ大森のやしろに至る。

茂次かのエンジュの木の許にうづくまり、
地に平伏して祈りけるは、
「われ今日母親が急病によつて心いそぎ、御供物を失せり。
 重て宝器を捧げ奉らんに、此所を御ゆるしありて通さしめ給へ」と、

実に余儀なく断り申して、
夫より一さんにかけ行く所に、
俄に士風さつと一しきりして、
後より甲胃を着たる者、大勢追ひ来たり、「茂次まて」とぞのゝしりける。

茂次、南無三宝と身をちゞめけるに、
程なく追付きいふやう、
「汝は今、われわれが魁(さきがけ)の神に、
 供物を参らせずして過ぐる事、甚だ以ていはれなし。
 急いで宝器を渡すべし。
 若しさもなくんば命をとらん」といふ。

茂次色を正しくして、
「されば候ふ。わが母おや既に死せんとす。
 此ゆへに心いそぎて供物を失せり。
 重ねて宝器を捧げんに、此度はぜひゆるし給へ」と、

さめざめとと欺きければ、
其中に年老たる者のいはく、
「誠に此者助けがたしといへども、
 いか様偽るまじきつらたましゐなれば、此度はゆるすなり。
 必ず遠からぬうち供物を捧ぐべし」とて、

皆々引き具し帰りしかば、
茂次は辛きいのちを 助かり、やうやう宿に帰り、

母親が末期にあひ、
追善事すみて後、
彼の大森の邪神の事を委しく語りければ、
ありあふ人々舌をふるはし、
いよいよおそれあへりしが、其まゝに捨て置きては後難も如何とおもひながら、

茂次元来家まづしければ、
これに心を苦しめけるが、
兎角供物も分限相応なればとて、やうやうして鳥目五百文こしらへ、
彼の大森に持参し、
うちしはれて申しけるは、
「我家貧しければ、おほくの宝心に任せず、
 是れしきながらさし上ぐるなり。

 仰ぎ願はくは、あはれみをたれ給ひ、ゆるさしめ給へ」と
エンジュの木の許に五首文を置きて帰らんとせしに、

又冷風一しきり吹き来たつて、
以前の邪神顕はれ出で、
大きに怒つていはく、
「かゝるかるがるしき供物を参らせて魁神(かいしん)をかるしむるや。
 いで物見せん」とて、

大きなる土の鍋を取りいだし、
真申に引きすへ、
茂次を取つて打ちこみ、柴薪を持ちはこび、既に烹ころさんとす。

茂次はいと浅ましく苦しき事におもひながら、
今は覚悟を究めて、
日比念じ奉りし不動明王の真言を唱へていたりしが、

はや薪に火うつりて、
次第に炎燃へあがりしが、俄に夕立降りしきりて
、此火をうち消し、
忽然として赤き童子壱人顕はれ、此者どもをさんざんに打ちちらし、

茂次を鍋より助け出だし、
彼の土鍋は遥かの谷になげ捨て、
「今は故障(さわり)なし、
汝が供へし供物を持ち帰るべし」とて、

一つの筈を取つて、茂次に渡し、
引き出だし給ふとおもへば、程なく我が家忙帰り着きぬ。

茂次は夢の覚めたる心地して、
かの筈を明けみれば、金子千両ありけり。

こはいかにと思ひながら、
返すべき方もなく、我が物ならねば、つかふべきにもあらずとて、

ふかくかくし置きけるが
、某夜夢中に彼の童子あらはれ出で、
「それなる金子は、汝が常に親に孝ありしを以て、天より与へ給ふなり。
 必ずうたがふべからず」と、

あらたに示現を蒙りければ、夫より心定まり、
有りがたくおし戴き、わが物となしけるが、

次第次第に富貴になりて、今に栄へ侍るとぞ。



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