漫筆日記・「噂と樽」

寝言のような、アクビのような・・・

牢抜けの者の事 ⑤ 結末

2009年11月21日 | Weblog
きのうの続き。

首尾よく牢抜けは出来たものの、
このままではいずれ捕まる、
ならば、
自分だけ助かろうと、仲間を売ることに決めた庄八は・・・。

尚、以下の文中、
「丑三つ時」は、真夜中の三時前後。
「大童(おおわらわ)」は、なりふり構わぬさま。

与力、同心、共に奉行所の役人だが、
警察で言えば、
「同心(どうしん)」が刑事、「与力(よりき)」が、部長刑事と云った処か。
 
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その刻限、丑三つのころなれば、
門番、寝耳に水にこれを聞きつけ、窓より様子をうかがうに、

その有り様、在牢の者と見え、
大童なる怪しき体の者、門前にうずくまりている故、
「その有り様は何ぞ」と聞きただして、急ぎ当番の与力へ達す。

与力、早速まず庄八を捕えさせ、
事の次第を聞きただして、御奉行、伊賀守殿へ告ぐる。

依りて、夜陰ながら牢屋修復掛りの与力、
木村勝右衛門を呼び寄せ、
それぞれの手当てを致させ、

目付役の同心ども呼び寄せ、
非田院の者どもを付け、その夜のうちに八方へ遣わし、
近国、追々触れ流して、これを捜さし求む。

然る処、
文七と今一人は、播磨か摂津にて捜し出し、
同心目付、これを捕えて帰る。

半三郎と今一人は、色々捜せども行方知れず。

庄八は注進の功にて助命せられ、
文七と今一人は重罪故に一等刑重く成り、獄門に行わる。

掛りの役人、
木村勝右衛門事、牢屋内の土間のこと不心得、
囚人を入れ替え候 不念により、
しばらくの遠慮致し、かつ拷問場も塀際に在りしを、右の以後引き直され候。

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上の文中、
「獄門(ごくもん)」は、さらし首、同じ死刑でも斬首より重い刑とされる。

また、「播磨(はりま)」は今の兵庫県西部地方、
摂津(せっつ)は、今の大阪市から神戸市の辺りまでの地方。

尚、この記録は、
「翁草」にある物で、
文末に、
「此れに記する処は、庄八が白状の趣を以って記之」とある。

著者の神沢貞幹は、京都町奉行所の与力で、
この事件当時30歳ぐらい、従って記録を見る事のできる地位に居た分けです。





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