漫筆日記・「噂と樽」

寝言のような、アクビのような・・・

「恋愛せずとも、結婚はできます」

2015年07月07日 | せけんばなし
きのうの続き。

まだ結婚が、家と家との結びつきで、
双方の親同士の了解をもって成立していたころ、

つまり、庶民でさえ、
嫁入りと云う手続きを踏むようになった江戸時代から、戦前のころまで、

「恋愛結婚」は、「どれあい」などと言われ、
仲人を入れてする正式な結婚とは区別された。

「どれあい」の「どれ」は、
「どれる」の連用形で、

「酔いどれ」と云う言葉があるように、
「だらしない」とか「乱れる」と云う意味。

戦前まで、きちんとした家庭のお嬢さんなら、
結婚は家同士の話し合いであり、せいぜいが一度の見合いをする程度で決まった。

だから当時のちゃんとした家の若奥さんに、
「お見合いですか、恋愛ですか」などとたずねたら、

表情に多少の不快感を浮かべながら、
「恋愛などと下品なことは・・・」と、答えに詰まったはずで、

つまり、「恋愛」とは、
犬猫の発情のような「卑しいこと」だったのです。

それが今のように、
恋愛が生命の賛歌となり、

このように全盛となったのは、

ナンと云っても、
明治以降の西洋文明の流入であり、

敗戦による、
西洋映画やアメリカ通俗音楽などの氾濫のせいでもある。

つまり今回の、政府の調査に、
「恋愛など面倒」と答えた青年の37・6%こそが、

伝統的で、「正統な心を持ち続けている日本人」なのであり、

したがって政府が、
日本の人口を減らしてはならぬと真剣に考えるなら、

恋愛を奨励するのではなく、

「恋愛せずとも、結婚はできます」と、
青少年に対し、啓蒙するべきなのであります。

・・・・・・ナ~ンてね。 (笑)






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