7月20日、四谷・岐部ホールで行われた「日韓100年ネット」関東主催の件名講演会には、80名の方の参加があり、講演内容も充実したものでした。3連休の最後の日ですから、実は、どのくらいの参加者があるか心配で、少なめに用意していたレジュメは足りなくなってしまい、慌ててコピーする事態となり、主催者には嬉しい悲鳴でした。
(内容の詳細については、後日、また報告されると思いますので、ここでは、最初の部分のみ報告し・・・これは私のメモに基づくものですので、言葉やニュアンスなど違っているかもしれませんが・・・そのあと、アンケート記載にあったものをご紹介します。)
「日本が曲がる時、カーブする時・・・良い方向には曲がらないが、常に朝鮮問題がありました。これは法則といっていいぐらいのものです。
日韓関係史について、私は在日として見る、韓国人の一人として見る、という立場ですから、皆さんとは別の立場です。皆さんの常識となっている日韓関係史から見ると、ちょっと不愉快にさせてしまうかもしれません。『なぜ、そこまで(いうのか)?』と思われるかもしれませんが、どうぞ、ご寛容にお願いします」と姜先生は切り出された後、つい最近の経験を話されました。
「最近、知人に会って、『やあ、しばらく』と声をかけたら、『いい加減にしろ、このヤロー』という言葉が返ってきて、なぜ、こんなことを言われるのか分からず、呆然としました。鳩が豆鉄砲を食らったようでした。また、私の家の近所にコピー屋さんがあり、道が狭いのでオートバイの止め方を注意したら、『黙れ、この朝鮮ヤロー』と罵声を浴びました。
最近の調査では大学生の70%以上が敵基地攻撃論に賛成していました。テレビや、いい加減なコメンテーターが言っているだけではないんですね。そうしたものが普通の日本人にまで入ってきて、私が何十年ぶりかに経験する、そういう態度になって出てきているのでしょう。日本人の対朝鮮認識の底の深さを感じました。
これは、本当の事実を知らないところから来るのではないかと思います。これに対しては歴史事実をキチッと実証することが大事です。それが政治介入を抑制することにもつながるでしょう。
江戸時代二百数十年の朝鮮通信史の対等互恵の関係が、幕末の尊王討幕運動のよりどころとなったのは国学でした。それは天皇の権威を高めるために、『古事記・日本書紀』の史料批判・イデオロギー批判無しに『朝鮮三国は日本の朝貢国だった』としました。
『尊王』と『征韓』を結びつけたのは吉田松陰です。1854年の『幽囚録』に『朝鮮のごときは、古事我に臣屈せしも今は則ち、やや倨(おご)る・・・朝鮮を責めて質を納れ、貢を奉ること古の盛事の如くならしめ』とあります。尊王倒幕=『尊王倒韓』だったのです。」
講演の一部です。
「尊王倒幕=『尊王倒韓』」というご指摘には「目からウロコ」状態になりました・・・そう、確かに・・・「日本の勃興は、朝鮮の没落を意味した」と、インドのネル-も1932年12月30日の「父が子に語る世界歴史」(みすず書房)で書いていましたが・・・