ミュウタントのブログ

日本国憲法第9条は地球人類の宝、それを改悪するための日本国憲法第96条の改正に反対!

竹島は日本固有の領土じゃない!!島根県の竹島の日に反対する!!

2013-02-22 18:15:41 | 歴史・日本史
 

1695(元禄8)年江戸幕府の老中阿部豊後守が鳥取藩に対して、竹島(現ウルルン=鬱陵島)、松島(現竹島=独島)が鳥取藩の因州・伯州に所属するかと質問したのに対して、鳥取藩が『竹島松島其外両国付属の島はない』(両国とは因州・伯州のこと)と答えている。この答えを受けて、1696(元禄9)年に江戸幕府は竹島(鬱陵島)は朝鮮領だとして日本人の竹島渡海を禁止し、鳥取藩に通達しています。
 下って明治政府は、1876(明治9)年に内務省も調査の上、竹島、松島ともに日本領土ではないとする結論に達した。翌3月に太政官決議『竹島外一島本邦関係無之儀』と決定するという太政官布を出しています。
 1905年に軍事的に重要だ(バルチック艦隊発見の望楼を建てたかった)として日本領だとしましたが、それは『無主地先占』という理由でしたが、大韓帝国はそれ以前の1900年竹島(鬱陵島)と独島を韓国領だとする勅令を出しています。このように先に領土だと宣したのは、朝鮮でした。無主地だとすると日本固有の領土にも矛盾しています。
 これからもわかるように、1696年、1877年の2度にわたって日本とは関係のない島と決めています。
 江戸以来リアンコ(現竹島)の領有権について否認したことはあるが、日本領だと主張したことは一度もなかったから、現在島根県や日本政府が竹島は日本固有の領土とする見解は間違いだということがはっきりしています。


天皇という存在、象徴天皇制

2010-06-13 07:26:50 | 歴史・日本史

 天皇制を廃止したいなどと一度も書いたことはないのですが、コメント欄に廃止しませんかとあったのを公開したことで「廃止論者」にされてしまいました。
 確かに自分の中では、日本の差別構造の頂点に立つのは「天皇」だという思いは被差別問題に頭を突っ込んだとき以来ずっと思っていますが、実はまだ「天皇制」についてよくわかっていません。なぜ今日まで、残ってきたのだろうという思いがいっぱいです。
 古事記や日本書紀などは反対勢力の土地神をうまく取り込んでいく様子が書かれていて面白いとは思いますが、その成立となると怪しいものです。初期の歴代天皇の漢字の名前は、江戸時代の天下の副将軍として今も人気のある水戸光圀が水戸に招聘した中国人の学者に付けさせた名前ですから、神武はまだ良いとして、漢字で書こうとしても思い浮かばないものばかりです。実在した天皇ということを考えると10代ぐらいまで下らないといけないのではないかとも思っています。しかも5世紀ごろに外来氏族に征服されたのではないかと思っています。つまり天皇の祖先は朝鮮半島からの渡来者といって良いかも知れないと思っています。
 天皇が直接ご親政と言う形で政治をしたのは、歴史上後醍醐天皇しかいないとも思っています。明治時代もあげる人がいますが、すでに立憲君主制の下にあって機関としての役割しか果たしていませんでしたので、奈良平安の貴族時代、室町から始まる武家の時代、江戸時代に入って天皇は官位を授ける機関でしかなくなっています。さらに忘れられた存在になっていたのを大日本史を編纂させた光圀によって、日本にこういうやんごとなきお方が存在するのだということがはっきりし、それが歴史を遥か下って幕末の水戸藩の尊王攘夷につながっていきました。面白いですよね。天皇という存在が一般庶民にも意識されるようになったのは、明治政府が天皇を中心とした歴史を再構築したことからです。

 日本の歴史、特に魏志倭人伝に出てきた邪馬台国と大和朝廷の関係を考えたり、日本史における日本研究を進めていくためにも天皇陵だといわれている墳墓について発掘調査が必要だと思っています。エジプトのピラミッドが古代エジプトに栄えた王家を今に伝えていますが、日本の古墳群も発掘調査することによって、さらに古代日本がどんな形で発展してきたかを知ることができます。仁徳天皇陵だといわれている前方後円墳をはじめとする古墳群の発掘調査を、ぜひ日本政府は認めてほしいものです。


『いろは丸』はポルトガルから買っていた

2010-04-23 09:07:57 | 歴史・日本史
いろは丸、坂本竜馬が乗船していたときに紀州藩の軍艦と衝突して沈没し、その賠償金を竜馬が紀州藩から取った話が有名です。
 坂本竜馬ブームですが、いろは丸と聞いて、ああ、あれかとわかる人は相当なものです。坂本竜馬が大洲藩から借り受けていた蒸気船「いろは丸」が紀州藩の軍艦と衝突し、竜馬が紀州藩を恐喝して巻き上げたのですから、すごい話ですが。
 あの「いろは丸」を大洲藩が「ポルトガル」から購入した契約書が発見されたとのことです。歴史の常識では今までオランダから買ったとされていましたが、ここに契約書が見つかったことでポルトガルから買っていたという事実が確認され、沈没した時にはまだ購入代金が支払われていなかったとされていましたが、引き渡されたときと同時に全額支払っていたこともわかりました。
 この契約書は個人が所有していたものが大洲市に提供され、東大に翻訳と研究を委嘱していました。契約書は、たて約30センチ、横40センチ。1866年(慶応2)長崎でポルトガル領事ロウレイロから大洲藩の元郡奉行国島六左衛門(くにしま・ろくざえもん)が蒸気船「アビゾ号」を購入しこれを「いろは丸」と大洲藩が宣言し、龍馬の海援隊に貸し付けていたものです。

改めて竹島=独島は日本固有の領土ではない

2008-11-02 09:23:53 | 歴史・日本史
 1695(元禄8)年江戸幕府の老中阿部豊後守が鳥取藩に対して、竹島(現ウルルン=鬱陵島)、松島(現竹島=独島)が鳥取藩の因州・伯州に所属するかと質問したのに対して、鳥取藩が『竹島松島其外両国付属の島はない』(両国とは因州・伯州のこと)と答えている。この答えを受けて、1696(元禄9)年に江戸幕府は竹島(鬱陵島)は朝鮮領だとして日本人の竹島渡海を禁止し、鳥取藩に通達しています。
 下って明治政府は、1876(明治9)年に内務省も調査の上、竹島、松島ともに日本領土ではないとする結論に達した。翌3月に太政官決議『竹島外一島本邦関係無之儀』と決定するという太政官布を出しています。
 1905年に軍事的に重要だ(バルチック艦隊発見の望楼を建てたかった)として日本領だとしましたが、それは『無主地先占』という理由でしたが、大韓帝国はそれ以前の1900年竹島(鬱陵島)と独島を韓国領だとする勅令を出しています。このように先に領土だと宣したのは、朝鮮でした。無主地だとすると日本固有の領土にも矛盾しています。
 これからもわかるように、1696年、1877の2度にわたって日本とは関係のない島と決めています。
 江戸以来リアンコ(現竹島)の領有権について否認したことはあるが、日本領だと主張したことは一度もなかったから、現在島根県や日本政府が竹島は日本固有の領土とする見解は間違いだということがはっきりしているのだ。