ミュウタントのブログ

日本国憲法第9条は地球人類の宝、それを改悪するための日本国憲法第96条の改正に反対!

勘違いもはなはだしいですね

2009-06-30 20:01:50 | 政治
東国原知事「1期務めろと言うが、こんなチャンスは」(朝日新聞) - goo ニュース
 馬鹿につける薬はないといいますが、東国原さん自分を何様だと思っているのでしょうか、中央政界に出ることにやる気満々です。でも泥舟に乗ろうというのはどうしたわけでしょうか。自民党の方が、民主党よりもいいと思っているのでしょうか。

テレビ朝日ドキュメンタリ宣言『たった一人の反乱 土肥元都立三鷹高校校長』に異議有

2009-06-30 02:21:00 | インポート
 テレビ朝日で、元都立三鷹高校の校長だった土肥さんを主人公にドキュメンタリ宣言が、放送された。
 東京都教育委員会の通知、国旗を壇上中央に掲揚し、式典参加者は起立して国家君が代を歌えといういわゆる10.23通達に私は、反対してきた。そして、職員会議はただ単に上意下達の場ではないと訴えもしてきた。
 採決と挙手は禁止する、このことに反旗を翻したという風に描かれていた。しかし、異議有である。ではなぜ、自分の学校で、三鷹高校の職員会議では採決をやって、職員の挙手を求めなかったのか。
 都教委に質問状をぶつけたり、裁判を起こしたりという面だけがクローズアップされてきたが、実践において、教職員の言葉に耳を貸さなかったのはなぜか、さも権力に歯向かったひと、たった一人でと思われているが、実態は、しっかり権力の末端を担ってきて定年を迎えたということだ。
 臨時教員としての雇用延長が、突然取り消されたことで今裁判を起こしているが。

戦争体験を語れる人

2009-06-30 01:23:00 | インポート
 故司馬遼太郎さんが、自分がいた戦車部隊の戦車のことを語っていました。

司馬
 私どもにも初年兵期間があってつらかったですけど、しかし、学徒出陣で大勢でどっと入ったものですから、古年次兵の数が少なくて、苦労といってもいいかげんなものでした。そのときはもっとも、やりきれませんでしたけれど。
大岡 
 戦車隊は特科だから、大事にされるから……。われわれのような、鉄砲撃つだけのパチンコ屋とは違いますよ。
司馬 
 歩兵は肉体一つですから敗戦の場合でも、切り込みをやって死ぬとか、ある意味では変化の可能性がたくさんあるわけですけれど、戦車隊ですと機械力が劣弱の場合、それが絶対的なもので運命についての可能性などは少しもありません。暗いものでした。ただ鋼板の厚みで、国家の力がからだで否応なしにわかってしまうという、そういうわかり方はあの戦車(なか)にはいっていますとありますですね。敵の鋼板は、とても厚くて、自分の小さな大砲ではタドンを投げたようでカスリ傷もあたえることができない。日本のほうは、体裁はととのっているけれど、いざ戦場に出ると、トウフみたいに砲弾を貫かれてしまう。
 あの九七式中戦車(略称・チハ車)は、できあがったときには国際的水準に近い戦車だったようですが、しかしすぐ時代遅れになっています。昭和十二年のことでしたか、戦闘機が七万円、爆撃機が二十万円のとき、戦車は三十五万円だったそうですから、日本の国力ではモデルチェンジできないわけです。
 ノモンハンが終わったころに量産のコースにのったシロモノで、独ソ戦を経た欧米のレベルからみればとても……。太平洋戦争の初期のマレー作戦のときは、駐留英軍が装甲車程度しかもっていませんでしたから相対的に威力はありましたけれど、あとはずっと役立たずでした。
大岡 
 ノモンハンのときに、だめだということは証明されているわけだからねえ。あれより大型は作らなかったのですか。
司馬
 日本の国内鉄道が狭軌でしょう。ですから日本の貨車の幅で戦車の幅が決まるわけですから大型はだめだったんですね。
大岡 
 レイテにも戦車はきましたが、もっぱら、大砲を引っぱったり、連絡に使うつもりで持ってきたらしい。馬はすぐ死んじゃうのでね。ところが、戦車ってのは、すぐ飛行機に見つかっちゃうんで、昼間は広いところには出られない。夜だけ動き回っていたらしい。
司馬 
 沖縄でもそうです。沖縄にも戦車が一個連隊おりましたが、実際には使いものにならない。飛行機や相手の戦車にどんどんやられちゃいますから。そうすると、温存されてきて、他がみんなやられたのに戦車だけが残っては申しわけないというので、夜襲をかけたーー戦車で夜襲はできないというのは、常識ですけれど。大きな音がしましてね、それに、夜襲には無線が使えない。無線による指揮ができないとなると、バラバラになるおそれがある。
 要するに、闇の中を手さぐりで進むというのが、夜の戦車でしょう。であるのに夜陰にいっせいに動きだして、敵の方角へ進んだんです。全滅しなければ申しわけないという非戦術的理由だけで。むろん相手の大砲にドカドカと迎え撃たれて、二十分ほどで全滅したという。ここらへんがなにか、日本の旧国家のすがたですね。
大岡 
 レイテでも、ペリリュー島でも、敵が上がった晩、やはり夜襲をかけて全滅してしまう。戦車隊はおいといても、すぐに見つかっちゃうし、邪魔になるばかりなんです。ほかにやることがないから、潰してしまう。終末的思想とでもいうほかはないですねえ。
 (以上、引用は『司馬遼太郎対話選集6 戦争と国土』文春文庫より)。

 戦争文学というものが、ある。五味川純平さんの『人間の条件』などは、映画にもなった。
 映画で梶役の加藤剛さんを本気で殴ったと、上等兵役をやった役者が語っていたことがある。国民も被害者だったという視点で描かれていたという批判もあった。
 同じ五味川さんの作品で、『戦争と人間』は一新興財閥を主役に満州を舞台に戦争を広げていく、侵略戦争の愚かさが描かれていた。これも映画になっている。ただし、満州事変から、ノモンハン事変(ハルハ河戦争)、支那事変へ写っていく中での人間模様で終わってしまった。アジア太平洋戦争から敗戦までを描くには、映画会社に予算がなかったからだという。
 静かな反戦歌『さとうきび畑』が初演されたとき、会場からはすすり泣く声が聞こえたという60年代後半。70年安保闘争、学園紛争の終焉は、その後の労働運動の衰退をも招いた。

 戦争体験者が少なくなる、いなくなるのを待っていたかのように跳梁跋扈する右翼排外主義者たち。許せない。
 

今でも十分景気後退していますし~

2009-06-29 23:49:13 | 政治
「政権交代は必ず景気後退」首相が民主批判(読売新聞) - goo ニュース
 今でも十分景気後退していますし、そこを打って回復基調などというのは表面的な動きでしかない。ばら撒いた金は行き場を失って、再び原油投機に向かって、じりじり原油を上げているぞ

核持ち込みも密約

2009-06-29 18:24:00 | インポート
共同通信社の配信記事をそのまま使います。
 
 1960年の日米安全保障条約改定に際し、核兵器を積んだ米軍の艦船や航空機の日本立ち寄りを黙認することで合意した「核持ち込み」に関する密約は、外務事務次官ら外務省の中枢官僚が引き継いで管理し、官僚側の判断で橋本龍太郎氏、小渕恵三氏ら一部の首相、外相だけに伝えていたことが31日分かった。

 4人の次官経験者が共同通信に明らかにした。

 政府は一貫して「密約はない」と主張しており、密約が組織的に管理され、一部の首相、外相も認識していたと当事者の次官経験者が認めたのは初めて。政府の長年の説明を覆す事実で、真相の説明が迫られそうだ。

 次官経験者によると、核の「持ち込み(イントロダクション)」について、米側は安保改定時、陸上配備のみに該当し、核を積んだ艦船や航空機が日本の港や飛行場に入る場合は、日米間の「事前協議」が必要な「持ち込み」に相当しないとの解釈を採用。当時の岸信介政権中枢も黙認した。

 しかし改定後に登場した池田勇人内閣は核搭載艦船の寄港も「持ち込み」に当たり、条約で定めた「事前協議」の対象になると国会で答弁した。

 密約がほごになると懸念した当時のライシャワー駐日大使は63年4月、大平正芳外相(後に首相)と会談し「核を積んだ艦船と飛行機の立ち寄りは『持ち込み』でない」との解釈の確認を要求。大平氏は初めて密約の存在を知り、了承した。こうした経緯や解釈は日本語の内部文書に明記され、外務省の北米局と条約局(現国際法局)で管理されてきたという。

 …米核兵器搭載艦などの日本立ち寄りを黙認する日米「核持ち込み密約」は、外務省中枢官僚が管理し、その判断で「信用できる」一部の首相、外相らに伝えていた…ラロック証言以来、政府の「密約はない」答弁は破たんしてきているが、これほど生々しく官僚主導型政治を立証したことは初めてではないか。知らされていなかった池田勇人内閣は一時寄港も「事前協議」の対象と国会答弁し、当時のライシャワー駐日大使と大平正芳外相の確認会談があったという。橋本龍太郎、小渕恵三両首相は知らされていたが、麻生首相はどうか。

◆“核密約を歴代外相に伝えることは「秘密の義務」だった”  村田元外務次官がついにカミングアウトして告白(6月29日、共同通信)◆河村官房長官はあくまで密約そのものを否定

◆核通過優先のために海峡の領海幅を3カイリにとどめてきた 元外務次官が証言(6月22日、共同)

◆「核持ち込み密約は外務次官らで管理」 (5月31日、共同)

 【高知新聞のコラム】 かつて英国で放映されたテレビドラマ「はい、閣僚閣下」について、黒岩徹さんが「イギリス式人生」で触れている。大臣に面従腹背する官僚の生態を描いて話題を呼んだという。
 事務次官が部下にまわした回状が出てくる。「大臣がこの省を運営しようとすると、ものごとはうまくいかないばかりか、支障をきたす。省の運営は…私の仕事である」。この役人の本音は、そのまま日本の省庁にも当てはまるだろう。
 先に明らかになった「核持ち込み」の日米密約をめぐる外務官僚の姿勢もその一例。次官らが内部文書を厳重に管理し、首相や外相の誰に教えるかの選別もしていたという。国是の非核三原則といえども「仕切るのはわれわれだ」。

 今沖縄返還協定密約に関する米国の機密文書の存在をどう思うのかという裁判が行われている。
 こんな政府を戦後ずっと許してきたのは、この国の国民、私達一人一人の責任なのだ。

JAPANデビュー始まりました

2009-06-28 21:02:00 | インポート
 第4回軍事同盟にスポットを当て日本の戦争への道を検証していきます。
 明治からイギリスとの関係を見ています。露仏協商を結んでいたのに、フランスは英仏協商を結びます。ロシアを支援するはずだったフランスの離脱、それはバルチック艦隊がフランスが管理する港に寄港できないということを意味し、長期公海で戦意喪失を招いていました。
 米国大統領セオドア・ルーズベルトは、両国が消耗戦を演じることで、米国の利益になると言っていたそうです。
 講和会議全権は小村寿太郎でしたが、賠償金を得ることはできませんでした。満州権益を手にした日本。
 駐日大使グレイは、満州を日本が手放さなくだろうと見ていた。
 第1次世界大戦に参戦し、山東半島でドイツ軍を破り、中国に21ヶ条の要求を突きつけた。
 第5号の日本から顧問を受け入れるとしていたことに、イギリスは懸念を持つに至った。
 グレイの強い抗議で取り下げましたが、他の要求は呑ませました。米国はこのことに強く反発し、一切日本の行為は認めないと、発表していました。
 イギリスは日本の行為については不問にしていました。
 日本海軍のヨーロッパへの派遣も、要請していました。マルタ島に1917年、ドイツ潜水艦から連合軍の艦船を守るために派兵された。第2特務艦隊は、地中海の守り神と称えられたそうだ。
78名の犠牲者が出たという。しかし、この後彼らの死は報われなかったと説明していました。
 日米同盟を将来解消して、米国と手を結んで東アジアの安定を図るとグレイは本国イギリスに送っていました。
 イギリスとの日英同盟は、破棄される。
 水面下でドイツの軍事技術を日本に取り込みを図ろうとしていた日本。
ドイツは日本と、ソ連との二面外交を行っていました。ソ連は、ドイツの軍事技術拠点を受け入れていました。
 日独伊三国のほかにソビエトを加えるという発想を松岡は持っていたという。しかしこのときすでに、ドイツはソ連を攻撃する案を持っていたとき、日ソ不可侵条約を結んだ。
 イギリスのチャーチルは、米国の参戦を三国同盟が促すかという問いを松岡に送っていたという。
 ドイツがソ連侵攻を開始したとき、松岡の抗争は崩れた。
 イギリスが開発した航空レーダーは、さらに短波10センチが日本で、次にイギリスで開発されて行きます。
 ドイツに日本海軍が、視察に行っています。電探の技術公開は難しかったという。ドイツで初めて航空レーダーの実際を見学できましたが、実物を日本に持ち込む前に引き上げざるを得なかったといいます。
 イギリスは、米国と手を組みレーダー技術開発をすることは、たとえ技術の売渡があったとしても、イギリスの国益にかなうとしていました。技術供与を米国に申し入れています。
 1年でレーダーシステムの大量生産化が図られることになった、レイシオン社だった。
 ガナルカナルをめぐる日米決戦に初めて、戦艦に波長10センチのレーダーが投入されたという。PPI式レーダー(回転している軸、円盤の中に目標が映る)がこのとき初めて使われたという。今と同じ形式である。
 技術開発力の先端にいながら、みすみす先を越され、精神力で補うなどという大和魂や武士道などという発想から抜け出せなかった日本が、アジア太平洋戦争で負けたのは、当然の帰依だった。

 世界デビューから150年を経た今日、同盟国、いや世界とどう繋がっていくのか今まさに、そのことが問われている。
 

民間が病院再生を手がける中で

2009-06-28 04:29:00 | インポート
 民間資金を活用してPFI方式を全国で初めて導入した公立病院、高知医療センターの民間委託契約が事実上頓挫した。
 県側がオリックスを中心に構成する特定目的会社との契約を解消する方向で協議入りを決定したからだ。
 契約解消ということになれば滋賀県近江八幡市の病院についで2例目。
 小泉改革の綻びが、ここでも見え隠れし始めた。
 大体小泉改革のいい加減差は、郵政民営化、労働の流動化、公共施設の管理民間委託などにその綻びを見せ始めているのだ。
 公共の図書館や保育園まで民間に委託が始まっているが、これとて行政サービスには程遠い現状が浮かび上がってきている。
 地方自治の独立が叫ばれる中、道州制が叫ばれ、そのばら色が喧伝されているが、それとて嘘っぱちだからマスコミの報道もいい加減なものである。